迷い猫が見た双箱
この話は作者の観念を文章化したひとつの考察であり、あらゆる思想や観念を批判するものではありません。また、残酷な描写などはありませんが、軽く死後の世界を思わせる表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
一匹の黒猫があたりを見回しながら歩いていた。猫は今いる場所に見覚えが無いらしく、きょろきょろと落ち着かない。部屋に並ぶいくつものカプセル。その中に入っているのは、人間だ。猫はしばらくその様子を見ていたが、やがて興味をなくしたように、その部屋を出た。
「あ、猫」
部屋を出てすぐ、人間に見つかった。少し首をすぼめたが、逃げなかった。その人間の声に非難の色が見えなかったから。
「よしよし。いい子だね。お前もゲームオーバーになっちゃったの?」
猫を抱き上げた茶髪の少年は優しく問いかけた。
「なんてね。猫はあのゲームに参加出来ないから」
おいで、ミルクあげるよ。と連れて行かれる中、猫はおとなしくそのままになっていた。
「おい、なんだその猫」
茶髪の少年に連れて行かれた部屋には先客がいた。
「迷い猫みたい。連れてきちゃった」
「本当に迷い猫か?死んだんじゃないのか」
「いやだな、俺と同じこと考えてる。猫はあのゲームに参加できないよ」
それもそうかと、先客である黒髪の少年は頷いた。
「猫、こっちこい」
黒髪の少年が猫を呼び寄せる。猫はにゃあと短く鳴き、そばにかけよっった。
「お前、賢そうな顔してるな」
大きな手が、優しく毛をなびく。乱暴そうに見えるが、動物は嫌いでないらしい。
「お、すっかり懐いてるね」
「腹減ってんだろ」
そうかもね、と笑う茶髪の少年がミルクの入った皿を置いてくれた。美味しそうだ。
「さて、チェスの続きをしようよ」
「次は俺が勝つぞ」
「さっきもそういって負けたよね」
テーブルの上にあるチェス盤。コツコツ、と駒を進める音が響く。
「なぁ」
「なに」
手を休めぬまま会話は続く。
「あのゲーム。参加人数どれだけ残ってる?」
「そうだなあ……。まあ、全体の7割」
黒髪の少年はため息をついた。
「あんな体感ゲームのどこが面白いのか分からないぞ、俺は」
「それには同意する」
ミルクを飲み終わったらしい。猫もにゃあと声を上げた。
「ほら、こいつも同意してる。なんだって、ここにきてまで、もう一度つらい経験をする?」
「ここにきたからこそじゃない?ここはゆったりしてのんびりして。激動の人生を終えてここに来ると、退屈なんだよ。死後の世界は」
「それでまた、人生ゲームを始めるのか」
「彼らにその意識はないと思うけど。体感ゲームで死んではじめて、あぁ、ゲームだったなって思い出す程度だよ」
天国なんだから、ゆっくりすごせばいいのにと黒髪の少年は笑みを浮かべた。どこか蔑むような表情、猫はそれをじっと見つめる。
「あぁほら、そんなこと言ってるから。チェックメイト」
茶髪の少年が朗らかにとどめを刺した。
「弱いね」
「……」
猫はふと窓の外を見た。誰もいないはずのそこに、猫は確かに笑顔を見た。先ほど黒髪の少年が浮かべたのと同じ類の笑顔を。それを見た猫は窓に飛び上がり、出してくれと催促をする。
「もう行っちゃうの?」
そう言う少年も、猫が行くのを止めようとはしない。
「気が向いたら、又来いよ」
黒髪の少年の声に短く鳴いて応える。次の瞬間には、勢いよくその身を躍らせて。
ここがそうかもしれないし、向こうがそうかもしれない。証明しないかぎり、どちらもそうでないし、どちらもそうであると言える。
だから願わくば。証明されずにいられたなら。
黒猫が信じる世界はいったいどちらなのだろう。