事件が終わった後、事件が始まるまで 6
朝。学校、『明日香』のクラスにて。
桃香は私の顔をみてひどく驚いた顔をした。
「明日香ちゃん、顔腫れてる…」
「ん、そう?」
頬に手を当ててみる。しっかり冷やしたはずなのに熱っぽい。
そういえば顔を殴られるなんてこの数年で久しぶりだったかもしれない。
普段露出している部分に怪我を作ると両親にとっていろいろ不都合だから。
言い訳を考えて、口に出す前に桃香に遮られた。
「誰にやられたの?」
「……階段でこけただけだよ」
言った瞬間、肩をむんずと掴まれ、さらに睨まれた。
予想外な動きに私は目を白黒させるしかない。
クラスメイトはそれぞれの会話に夢中で私たちに注目が行かないのが幸いか。
「うそ」
「も、桃香?」
ほわんとした普段の顔をしかめ、私を鋭く睨む。
「うそつき。明日香ちゃんはあたしにうそをついちゃダメ」
有無を言わせぬ口調で私を責めた。
と思うと私の肩に顔をうずめてうりゃうりゃとする。甘えている――のかな。
戸惑うというよりも危機感を覚え始めていた。
…ちょっと、やばいかもしれない。
何処がと問われると言葉に詰まるのだが、とにかくやばい気がする。
どうしてこうなった。私がなにをしたという……したかも。
狂気へ完全に落ちる前の理性のセーフティネットが私になったということなのだろうか。
セーフティネットを離さぬように必死だとしたら納得が出来る。
心の中でため息をつき、ぽむぽむと頭を叩く。
「じゃあうそは言わない。だけど――本当のことも言わない」
「明日香ちゃん…」
「ごめんだけど、踏み込まれてほしくないところもある。そこを察してほしい」
親からの暴力なんて今更すぎるし、私の置かれている状況が状況なんで下手に騒ぎを起こしたくない。
後ろ盾がないどころが崖から飛び降りる五秒前みたいな有様なのに。
「とにかく、込み入った話があるの。放課後空いてる?」
「うん」
チャイムが鳴って私たちはいったんそれぞれの席へと帰る。
京香がいなくても、和子がいなくても、藍川くんがいなくても時間は何事もなく進んでいく。
それが、苦しかった。
放課後、誰もいなくなった昇降口。
私は昨日会ったことを桃香に洗いざらい話した。
靴を取り出しながら彼女は少々難しい顔をする。
「……“投票”の話は、ちょっとだけ聞いたな」
「どこで?」
「クラスで。今は知らないけど、事件直後はよく話されてたよ」
体調崩して学校を休んだから詳しくは分からないと桃香はすまなそうな顔をした。
だがこれであのフリーライターの言っていることはある程度正しいということは証明された。
投票。
そんなので京香が選び出され、死んでしまったのだとしたら。
「ところでさ、明日香ちゃん」
この話題は触れたくないというかのように桃香は話題を変えてきた。
当たり前だ。自分の友人が他人によって身代わりにされたというのは考えたくない。
「人を殺すって、どうして?」
それか。
桃香は理由も聞かずに同意してくれたが、理由は話すべきだろう。
「この事件は急速に忘れられている。というか忘れさせられている」
情報規制。
圧力。
擦り減っていく記憶。
「事件とみんなを、忘れるなんて許せない。だから、殺すの」
人間は非情だ。
どんなセンセーショナルな話題でもあっという間に忘れてしまう。
だからもう一度事件を起こす。
壁に、体に、心に、傷を深く刻み付ける。
「……」
「桃香、これは復讐だよ。すべてに向けての」
これはエゴだ。分かっている。
だけど、これから先、京香を捧げたやつらが笑って生きる世界は許せない。
犠牲になった十人を忘れさせるものか。すべてを敵に回してもだ。
突然後ろからパチパチ手を叩く音がした。
ふぅと体温が一気に下がる。
…しまった。つい熱くなって油断していた。
桃香と顔を合わせゆっくりと振り返る。
「その計画、お願いなんでおれも混ぜてくれないっすか」
一年生を示す赤い上履きを履いた少年が立っていた。
その目の奥に燃えるものが見えた気がした。