間章・秘密とお茶菓子 前
近くの花屋で買った花を携えて、わたしはお寺の境内に入る。
ここへは今まで来たこともないし、先祖が眠っているわけでもない。
わたしはこのお寺にとって部外者に近い。
だけど、まったくの部外者というわけではない。
「すみません」
たむろっている猫たちの間をすり抜け、お寺の本堂の奥へまずは呼びかけてみる。
わたしの声はどこかに吸い込まれ、すぐに消えてしまう。
聞こえただろうか。もう一度呼ぶべきか。
ぐるぐる考えたが、しばらく待つことにした。
静かだった。
時折そばの道路を走る車の音がするぐらいで。
猫たちは日向ぼっこして微睡んでいる。
どこまでも平和だった。
まさかあんな事件が起きた地域だとは言われなきゃ分からないだろう。
「すみません、お待たせしまして」
住職さんらしき人が出てきた。
けっこう年は召しているようだ。
「大丈夫です。お墓の場所をお聞きしたくて」
「どなたさまのでしょう」
「来宮京香という、女の子の」
住職さんは眉を一瞬ひそめた。
警戒を帯びた目をする。
「――残念ながら、来宮家は檀家さんにはいません」
そっけなく返された。
しかしこのぐらいは予想していた。
なるほど、明日香ちゃんが信頼しているわけだ。
口が固いと言っていたから。
「では、子猫のお墓はどこですか? 結構前のことですが」
ぴくり、と住職さんの肩がかすかに動いた。
ビンゴか。
『子猫』というワードを口に出せば大丈夫なはずだという助言は当たったということだ。
周りをゆっくりと見回して誰もいないことを確認すると住職さんは口を開いた。
「…ふむ。あなたは?」
「京香ちゃんの――従姉妹にあたる者です」
「なるほど、なるほど」
納得したように頷く。
「明日香さんに何か頼まれたのですか?」
「え、と。彼女の名前を知っているんですか?」
「子猫に来宮に京香さんときたら、残りは明日香さんしかいないでしょう。…彼女は、しばらく見ないうちに殺人鬼となってしまったようですが」
「それ、なんで知っているんですか? 犯人のことは非公開なはずですが」
未成年だから。
ニュースの時だって少女Aが基本なのに。
「噂が届きやすいんです。ここでは様々な人と接するので」
「そう…ですか」
事件を知るおしゃべりな人間から聞いていてもおかしくないか。
「しかし、何故ここに? 明日香さんと会ったのですか?」
住職さんは普通に彼女の名前を口にしていた。
憎悪も畏怖も含まず、ただの一人の人間として。
久しぶりにそんなひとと会ったかもしれない。
「そんなところですね。妹のお墓にお花をあげてくれないかと頼まれてしまいまして」
「彼女がそんなことを。信用されているんですね」
「信頼ですか。どうでしょう、ね。あの子の本心は分かりませんよ」
どうしてそんな話題を出したのか今も分からないままだし。いつか分かる日が来るのだろうか。
明日香ちゃんはあの無表情の仮面の下でどんな顔をしているのだろう。
何もかもあきらめたような眼にわたしは映っているだろうか。
住職さんは下駄を履くとわたしについてくるように言った。
しばらくしてついた場所は隅のほうのジメッとした場所だった。
その一番端のほうに、大きめの石が置かれている。
その前で住職さんは止まった。
「誰にも話さないと、約束してください」
静かにわたしを見て聞いてくる。
すべてを見透かされそうな視線。
「はい」
わたしは即答する。当たり前だ。
これ以上彼女たちを表舞台に出してたまるか。
住職さんは少し黙ったあと、ポツポツと語り出した。
「あの子たちに会ったのは十年も前でしょうか。無残に潰れた子猫を持って来て、お墓を作って欲しいと」
「……」
「ですから、このスペースに穴を掘り、簡易なお墓を作りました。少しお経もあげて」
「優しいのですね」
「いえいえーー子猫のため、というよりあの子たちのためでした」
それは。
どういうことなのか。
「目が虚ろでしてね。猫が死んだからではないとすぐに気づきました」
しかし聞いても何も答えなくて、と住職さんは手をきつく握った。
あの時何かできていればと後悔しているのだろう。
でもその悔やみはわたしだっておんなじだ。
何故、わたしとあの双子は会えなかったのか。仕方ないとしても、辛かった。
「たまに見よう見まねで墓参りをしていたみたいです。私に会うと必ず挨拶してくれました」
わたしは相槌を打たない。
いや、打てない。
なんだか話を中断してはいけない、そんな気がする。
「それから数年後ーー一年ほど前の三華宮高校占領事件の後に再び明日香さんは私に頼みにきました」
淡々と住職さんは言う。
目はここを見ていない。過去を回想しているのだろう。
「京香を埋めさせてほしい、と」