三日目・彼と傷跡
「おじさん?」
なんだかぼんやりとしている。
呼びかけるとはっとしたようにこちらを見た。
「どうした?」
「いえ。ボーとしてるので」
「ん、ああ…針の穴に糸を通す作業で集中力使ってな」
お年寄りかよ。
なんて、応急処置してくれた相手にいえるわけもない。
ブルータスは足元で私の血がたっぷり染み込んだガーゼの匂いを嗅いでいた。
ゴミはゴミ箱にと学校で言われていたのでなんとなくガーゼもろもろが
地面にそのまま放置されているのが落ち着かない。
教えを忠実に守る母親によりゴミ箱へ突っ込まれたことあったなそういえば。
流れからして私ゴミ扱いだったじゃないかあれ。
「こら」
ペロペロとガーゼを嘗め始めた。
人間の血って美味しいのだろうか。血生臭いからかな。
ともあれ、気分的によろしくないので取り上げる。
目が何事か訴えているが心を鬼にして無視する。
ブルータスは可愛いけど、私の味を覚えたら厄介だ。
文法がおかしい気がするけど私自身もそもそもおかしいので気にしないでおく。
ほら私、死んだ後はともかく生きたまま食べられたくないですし。
いつかどこかの処刑ではそんな感じだったそうだけど。
首だけ出して地面に埋めて、鋸をそばに置いたとか。
その時に鳥や犬が頬肉や目玉を食べにくる――と社会科のおじいちゃん先生が雑談で話していた。
よく考えればもうあの人はいないのか。
『あの一件』で生徒を逃がそうとして、殺されたんだ。
そしてその死を隠蔽されなかった人。…良かったのか悪かったのか。
私と京香を見分けられる数少ない人だった。
ふと気づくとおじさんが私を見ている。
顔じゃなくて、肩だけど。
なんか様子がおかしい。まさか。
「…おじさん、もしかして見たんですか?」
「何がだ?」
「なんでもないです」
首を振る。
ずくずくと肩が痛むが、処置する前よりはだいぶマシだ。
私もさすがにこの傷はよろしくないと思っていた。
でも、それ以上に古傷を見られたくなかった。
これは、これだけは絶対に。
私の体にはもはや綺麗なところなんてない。
それを見られてどう言われるか、どう思われるかが恐ろしくてたまらない。
だから見せるのは嫌だったのだ。
だがあそこまで言われると任せざるを得なかった。
幸いにも傷跡のほうは見ていない――ようだが。
断定はできない。
もうこの話はやめよう。
話題を振ることにした。
「おじさんってサバイバルしていた時期、あるんですか?」
「なんで」
「色々詳しいですから。実戦も強いから、そういうお仕事していたのかと」
どういうお仕事かと言われると困るが。
警察……じゃなさそう。
「おう。実は正義の味方をしていた」
「あはははは」
口だけで笑っておいた。
正義の味方か。
さすがに日曜朝八時ぐらいから放映されるような職業じゃないだろ。
首絞めるし。へし折るし。刺すし。
さわやかな朝っぱらからそんなバイオレンスなもの見たくない。
おじさんは「半分冗談じゃないんだけど」とぶつくさ言っていた。
「ん」
急におじさんが振り向いた。
ブルータスはちょっと前からそっちを見ている。
そこには何もいないんだけども。見えないものを見ようとしているのかな。
「どうしました?」
「なんか燃えてる臭いがする」
そう言われればそんな気もしてくる。
「なんでしょうね? どこかでご飯作ってるとか」
ちなみにお昼すぎである。
もう少ししたら寝床を探さなくてはいけない。
「……」
彼は無言のまま険しい顔をしたままだ。
そんなに気になるものだろうか。
「おじさん?」
「人だな」
「え?」
「人を燃やす臭いだ」