一日目・私とおじさん ○
首を絞められていた。
敗因は、油断と経験不足。
まあ最近までただの女子高生だったのだからこうなることは仕方のない話だろう。
いきなり力が覚醒する系の世界ではないので、自力でこのピンチを乗り越えるのは無理だ。
よって。
私は無駄な抵抗をせずに死ぬことにした。
それにしてもこんな序盤から死ぬなんてなぁ、と胸の中でため息を漏らす。
まだ何にも始まっていないのに。面白くもなんともない。
終盤あたりならまだ盛り上がりがあって良かったのだが。
うだうだ言ってても現実は現実。
結局私は弱かったということだ。
「……」
「……」
無表情で私の首を閉め続ける、この三十代ぐらいのおじさんはどんな理由で“ゲーム”に参加したのか。
少しだけ気になったけど、それはもはや遅すぎる疑問だ。
喉が圧迫されて気持ち悪い。えづいてしまいそう。
早く死ねないかな、と瞼を閉じる。
瞼の裏には一面に塗りたくられた赤が見えた。網膜に焼き付けられ、こびりついて離れない。
……全く。
なんて滑稽な人生だったことだろう。
走馬灯は職務放棄して出てこなかったために、自ら記憶を掘り起こす。
悲鳴が、怒号が、恐怖に歪んだ顔が、延々と脳裏で上映される。
楽しかったことは、嬉しかったことは、何一つ出てこなかった。
私にはもはや幸せだった時など思い出す価値もない。そういうことなのだろう。
なら、やっと呪縛から自由になれるのか。
死という解放を持ってして。
早すぎるとは思うが、大歓迎だ。
その時だった。
突然私の首を絞めていた手が緩み、離れたのは。
驚いたのは私だ。突然大量に入ってきた酸素に肺がパンクしそうになる。
咳き込みながらも息を整えて、何事かと彼の顔を仰ぎ見る。
「なん……わたし、殺さないんですか」
「やめた。こえーんだもんお前」
「怖い? ナイフ一本しか持たないただの小娘ですよ」
「武器云々じゃねーよ。お前自身が怖いんだよ」
「はぁ」
よく分からないので合間に返事をする。
ともあれ、助かったらしい。
死ねなかった残念さと、ゲームを続けられる嬉しさと。複雑な気持ちだ。
「しかし、その小娘がよくもまあこんなゲームに参加しようと思ったな」
ふむ。この人は一般参加者、だろうか。
ポーチだけの私とは違ってしっかりした荷物持ってるし。
ヒャッハーとかいいながら何人か海に沈めていそうな顔をしているなぁ。
どんな顔だよ。
「私は強制参加です」
「ほう」
おじさんの表情が驚きに変わる。
タバコまで吸いだしてずいぶんと余裕そうだ。
「じゃあお前、死刑囚か」
「はい」
隠しても今更なので素直に肯定する。
「参考までに、なんの」
なんの参考にするんだろうとは思わなくもない。
私は指折り記憶を辿っていく。
「両親殺しに三華宮高校殺傷事件…と、言えばわかりますか?」
我ながらよくここまでやったもんだ。
あの時はもう無我夢中だったしな。
「あ、知ってる。すっげー有名人だな。卒業アルバム晒されていたぞ」
「それ偽物ですよ。私、本当に当たり障りのないことしか書いてなかったらしくて」
メディアとしては面白くないだろう。だからでっち上げたんだと思う。
あとどうやら自称私の友達がインタビューに答えていたとか。
それはない。
『あの一件』か、そのショックで死んだかのどちらかで親しい人はいなくなったはずだから。
もともと友達少なかったし。
いたとしても、うわべだけ仲良くしていた子だろう。
「マジか。メディアって最悪だな」
なんかぶつくさ言い始めたぞ、このおじさん。
それにしても奇妙な流れだ。
先ほどまで殺し殺されしていた二人が今は和やかに会話をしている。
内容は和やかじゃないが。
「遺族からのたっての願いで、この“ゲーム”に参加したわけです」
のうのうと生きるな、という理由で。
ちなみにクリアしたら晴れて自由の身である。
遺族としてはクリアしないで途中で無様に死んでほしいのだろうが。
「ふーん。ドンマイ」
「全くです。おじさんは?」
「おじさんじゃねぇ。俺は懸賞狙い。と、暇つぶし。と、軽い自殺願望」
変な人。
自殺願望とか下手な思考もっていたらここじゃ真っ先に殺られてしまうんじゃなかろうか。
その人に私は真っ先に殺られかけたのだが。
「お前は自由、俺は金か」
「いうほど自由が欲しいわけじゃありませんがね」
どうせ自由になっても、遺族が私を刺しに来るんだろう。
まったく笑えることだ。
本当の被害者はこちらのほうだというのに。
「へー。面白い奴」
まじまじと私を見るおじさん。
「よし、決めた。いっしょにこのゲームやらないか」
「は?」
「殺すのが惜しい。どこまで行くのか見たくなった」
「……そりゃどうも」
面白みなどまるでないと思うのだが。
ま、二人でいれば食料調達も便利ではあるだろう。
私は首を縦に振った。
「名前は?」
「明日香です。明日の香りと書いて、明日香」
名字は言わない。嫌いだから。
おじさんも何も言わなかった。
「俺は前原籠原」
「籠原が名前ですか」
「ああ。変な名前だろ」
「あは、初対面だったらどっちが名字だろうって思いますね」
久しぶりに笑った気がする。
おじさんは荷物を背負い、移動するそぶりをみせた。
私も立ち上がり落ちていたナイフを拾い上げる。
…これを落とさなければどうなってたんだろうとふと思う。
まだ首の痛みはあるが、じきにひくだろう。
「行くぞ」
「はい」
行けるところまで行こう。
世間は安心しているようだが、私の復讐劇はまだ終わっていないのだ。
いっそここからクリアして出て、今度こそ終わらせようか。約束を。
墓前で京香にした約束を。
賞金となるメダルを集めつつ、最後の一人になるまで殺しあうゲーム、『コレクト』。
この正義も法律も規律もない無人島に、百人弱。
私たちは今からその人達を端から殺していかなくてはいけない。
殺す覚悟も殺される覚悟もとうの昔にできている。
――さぁ、ナイフ片手に踊りましょうか。