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人殺したちのコンクルージョン  作者: 赤柴紫織子
『コレクト』から三年後
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2015年 7月20日 前原籠原

 太陽高度が最も高くなる時間。

 風もなく、少し湿気を含んだ空気が大気中をのさばっている。


『傷害事件の疑いで、神奈川県に住むアルバイトの萩野康太容疑者を逮捕しました。調べによりますと――』


 アパートの一室で前原籠原の瞳が片目だけゆっくりと覗いた。もう片方は開いても視力がない。

 浅い眠りを覚ましたのは、ニュースのアナウンサーがいつかどこかで聞いたことのある名前を読み上げたからだったからだろうか。

 少し記憶を探り、それでも思い出せないと早々に諦めて瞼を閉じる。

 が。


「あっちい…」


 梅雨が明け、太陽は絶好調で暑さを振りまいている。

 ましてやクーラーをつけていない部屋だ。二度寝など許さないと言わんばかりに鬱陶しい空気がそこらを漂う。

 加えてセミが鳴きはじめ、五感のすべてを夏で侵食する勢いである。

 諦めて身を起こした前原に、それまで同じように廊下で伸びていた雑種の犬が飛び起きて甘えにくる。


「やめろ寄るなカエサル」


 拒否をしても逆に話しかけられたと犬は上機嫌になり尻尾を千切れんばかりに振る。

 前原は身体を全力で摺り寄せてくるカエサルに辟易しながらも頭をわしゃわしゃと撫でてやった。

 自発的に飼ったわけではない。一年ほど前に大雨の中でよろよろと歩いていた子犬を拾っただけだ。届けには出したものの飼い主らしい飼い主が結局名乗りを上げず、そのまま保護を続けているといった感じか。

 無駄吠えもしない、世話のしやすい犬だったのが幸いだ。


 元からアパートは犬を飼っても大丈夫なところを選んでいた。

 別に最初から飼う予定があったわけではない。

 もしかしたら。

 もしかしたら、いつかあの島で失った彼らが訪ねてくるのではないかと。

 そんな甘い妄想にすがるように動物飼いが許可されているところを借りたのだ。


「馬鹿馬鹿しいっていえば馬鹿馬鹿しいよな」


 独り言ちながらカエサルの顎を撫でる。

 しばらく弄りまわしたあとにふと近くに落ちているスマートフォンに目をやった。

 第六感的なものを感じしばらく見ているとメールを受信したというメッセージが表示される。


 サブタイトルは『今夜十一時に』だけ。

 本文はないが、画像は添付されていた。最近近くで始まった再開発地だ。


 前原はサブタイトルと画像を繰り返し見ると、ため息をついた。

 スマートフォンを放り出しカエサルの頬を両手で挟み込む。


「とうとう俺の番らしいぞ。どうしようかお前」


 ・・・


 前原は岡崎美空と田村彦一の事件直後の現場両方に訪れている。

 偶然ではない――呼ばれたのだ。

 どちらも今のように簡素なサブタイトルと画像を添付され捨てアドを使ったメールが送られてきた。まるで来ることを信じているように。

 ただし時間はずらしていたようで、前原が現場に到着するころにはすべてが終わっている。

 相手がどうアドレスを知ったのかは不明だが、相手が誰なのかはなんとなく分かっていた。


 深夜十一時。

 馬鹿正直に前原は再開発地へ足を運んだ。立ち入り禁止の看板を無視し、フェンスをよじ登り、持ってきた懐中電灯で足元を照らしながら。

 カエサルは今頃冷房の効いた部屋でのんきに眠っていることだろう。

 どうせ明後日には幼馴染が様子を見に来る。そのぐらいまでならなんとか生き延びられるはずだ。


 そんなのことをつらつらと考えていた前原は足を止めた。

 誰かがいる。

 遠くの街の明かりを背中に、シルエットが浮かび上がっている。

 片目しか使えないので遠近感もあいまいだ。

 ゆっくりと懐中電灯の光をその人物の足元から照らしていく。


「……」


 こんな時間にこんなところにいるのが不思議なほど普通の格好をした女がいた。

 長袖のブラウスにスラックス。首には黒いストールを巻いている。


「よお――」


 そこまで認識して前原が声を掛けた瞬間だ。

 それが合図だったかのように女は真っ直ぐ駆け込んでくる。

 手元には鈍く光る刃――。


 そこまで視認し、とっさに懐中電灯をかざす。

 金属同士がぶつかる甲高い音。宙を舞う懐中電灯。ナイフを跳ねのけて顔面に叩きこもうとするが直前でかわされた。

 前原の身体は鈍っていることもあり以前ほど俊敏には動かなくなっている。

 なにより視界の半分が閉ざされているのだ。避けるだけでも精いっぱいだった。


「明日香!」


 怒鳴ると相手の動きが一瞬止まった。

 その隙に間合いを取って続ける。


「殺すにしたって理由ぐらいは聞かせろ! 困るんだよ反応に!」


「それは失礼しました」


 はっきりと女は顔を上げた。

 少しきつい吊り目、何を考えているのか分からない表情、わずかに口元で浮かぶ笑み。


 忘れるわけもない。

 来宮明日香、その人だった。


「……生きて、いたのか」


 ある程度予想はしていたとは言え、前原は茫然とするほかなかった。

 当たり前だ。死んだと思っていた人間が目の前に立っているのだから。


「いえ。来宮明日香は死にました。あなたが一番知っているのでは?」


 女は少し屈んで落ちた懐中電灯を拾い上げる。同時にストールを取り去り、自分の首元を照らした。

 蝶のような痣が彼女の首元を飾っていた。

 前原は手にびりびりとした感触を覚える。あれはおそらく、首を絞めた時についた痣――。

 ずっと、残っていたというのだろうか。


「…じゃあ、お前は誰なんだ」


「国府津咲夜と申します。咲く夜と書いて、咲夜」


 深々と女は礼をした。

 彼女はすぐに頭を上げて、前原の記憶にあるぎこちない笑みを浮かべた。


「とはいっても、名前とそれまでの経歴をすべて消されて新しいデータに書き換わってはいますが――人格とかはそのままなので。そんなに気張らないでください」


「死んだと、聞いたんだが?」


「はい、『来宮明日香』は死にました。ただし身体は死んでいませんので『回収』されたという感じです」


「騙されたってことか…あの男に」


 国府津夜崎とやらに。

 どうりでなんだか変な物言いだったわけだ。

 そして前原を駒にしなかったわけも。彼より年齢の若い人間がいれば、それも社会には二度と出られない存在となればそちらを使いたくなるだろう。

 国府津の言葉を借りるなら、「呪いに身を浸し」ていたのかもしれない。


「そんなところですね。でも一時期仮死状態にはなってましたよ。現に私、半年も動けませんでしたし」


「……。なにしてんだよ。お前。今」


「殺し屋とでもいいましょうか」


 特に迷いもせずに咲夜は答えた。

 元からそのつもりだったのかもしれない。

 目線で咲夜は「笑ってもいいですよ」と言っていたが笑えるはずもない。


「詳しくは話せませんが、まあ裏社会でわいわいとしています」


「わいわいってなんだよ。…指は? 生えたのか?」


 前原の問いかけにいえ、と咲夜は首を横に振る。

 左手の袖を引っ張って見せた。手袋が嵌められている。

 さらにそれを外すと、サイボーグのような機械の手が現れた。


「二の腕の真ん中から先を義手にしました。試作品らしいですがよく動いてくれますよ」


 確かに滑らかな動きで手が開閉する。モーター音がかすかに聞こえた。

 苦いものを感じながら前原は口を開く。


「俺の代わりになったのか? 殺し屋とかそうのに」


「それは違います。自惚れないでください(・・・・・・・・・・)。私はあなたの肩代わりをしたつもりはありません」


「………お前が言うならそうなんだろうな」


「ええ。…ライターあります? 今日忘れてしまって」


 前原は無言でライターを取り出し咲夜に投げる。

 器用に受け取ると煙草に火をつけ、またライターを投げ返した。


「お前、覚えてたんだな。俺の吸う煙草。匂い強くないか」


「ぼんやりでしたけど。強い方がいいんですよ、色んな匂いが消えてくれる」


 わずかな光の中で紫煙がやけにはっきりと見える。

 前原が見る限りあまり美味そうではなかった。


「……なんで俺に岡崎美空を殺させなかった。こちとらようやく見つけてチャンスを待っていたのに」


「すいません。でも、直接頼まれたのは私でしたから」


「……」


「ところで、心臓に重い病気を持つ新ヶ崎まもる君が突然匿名希望から一億を寄付されて無事手術に漕ぎ着けたと聞きましたが」


「へー。すげーなそりゃ。太っ腹だ」


「あと何億残ってるんです」


「それは秘密」


 豪遊しなければ一生働かず済む程度にはまだある。

 カエサルだってそんな高級志向の餌を食べているわけではない。


 咲夜は煙草を吸殻入れに押し込むと前原に向き直った。

 前原もそれに気づいて相手を見据える。


「…殺し屋はできる限り不安要素を潰さなくてはいけません」


「ほう」


「だから、おじさんを潰します」


「手荒い求婚だな。まあいいよ、潰せるなら来い」


 その言葉に咲夜か照れ臭そうに微笑み、それから鞘付きのナイフを投げた。

 前原はギリギリのところで受ける。


「私強くなってますから。ハンデです」


「優しいこった。後悔しても知らねえぞ」


 生ぬるい風が吹く。

 咲夜が一瞬早く踏み込んだ。




・・・



 翌朝。

 工事現場に来た従業員はその場の惨状に驚いた。

 彼方此方に血が点々とついていたり、もめたような痕跡が見受けられたからだ。

 すぐに警察が呼ばれて検証が行われたがどこかに死体が隠された様子でもなく、また少なくとも致命的な血液の量ではないと結論が出た。

 まるで、ただ喧嘩したように。



 ただひとつ分かることといえば、並んで歩いたかのように二筋の血の跡が残っていることだけだった。












『人殺したちのコンクルージョン』 了










何が正しいか、何が間違えているのか。

その問いすら正しいか分からない。



ありがとうございました。


あとがきはこちらで

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/197729/blogkey/1199555/

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