九日目・私と亡者 ○
激しい揉めあいのせいですっかり息があがっている。
血がないのもあるんだろうけど、あそこまでの体勢に持ち込めたのはほとんど運だっただろう。
それよりもおじさんがしきりに周りを見渡している。
十メートル近寄ればどうせアラームはなるのに。飛び道具を警戒しているのかもしれない。
逆に私が警戒心薄いだけだろうか。
おじさんがいっそう険しい目をして槍を構えた。
困惑する私には一切何も言わない。よほどのことなんだろう。
槍を構えてから数秒、ようやくその訳が分かった。
木々に隠れるようにしてこちらにくる人間がいたのだ。バレバレなのだがほんにんきづいていないのだろうか。
ふらふらと、どんどん近づいてくる。
「あれ…」
アラームが鳴らない。
おかしいな、そろそろなってもいいのに。
「ないんだよ」
私の疑問を見透かしたようにおじさんがささやいた。
見れば、確かに右と左の腕どちらにも腕時計型うんちゃらは嵌められていなかった。
壊れたか、紛失したか。取られている可能性もありえる。
「おれ、おれが、クリアして、金を、金、」
涎をだらだらとこぼしながらうわごとのように繰り返していた。
名前を聞こうとしたが、変に刺激を与えそうで怖い。
——狂っている。
我を忘れているとかではなく、もうすべてが崩壊しているのだ。今はただ、最後にあった願いを果たそうと動き回っているだけの、餓鬼。
私と何ら変わらない。
「明日香、下がれ。俺が相手する」
「でも」
「危なかったら援護。それでいいだろ」
そうまで言われたら引き下がるほかない。
私がゆっくりと下がると、おじさんが前に進み出た。
「お前が欲しいのはこれだろ」
骨折し、吊るしてある左手を指さした。三角巾みたいに腕全てを覆っているわけではないので、腕時計もばっちり見えてしまっているのだ。
「ああ、ああ、金が」
そこからはあまりにも早かった。
水を得た魚のようにその人はおじさんにタックルをした。そして、腕時計をむしり取ろうとする。
折れた部分に衝撃が行ったのかおじさんは一瞬白目をむきかけて、それでも即座に目の前にあった耳を引きちぎった。
金金呟いていた人は耳をちぎられたことに驚いたのか(驚くどころじゃない)顔を上げる。
そこを狙っておじさんはいったん槍を手から放した。そこから流れるように顎を殴打する。
後ろに倒れこんだ。背中から落ちた。痛そう。
おじさんは槍を拾い上げて、先ほどのように心臓に突き立てた。
「うわ!」
最後の抵抗か、足をばたつかせたのにはおじさんも予想がつかなかったらしい。
刃が身体から離れるとその人はまだ起き上がろうとする。なんという執着。
今度はおもいっきり差し込んだ。おそらく地面と縫い付けられたのではないかというほどに。
「ハァッ…文字通り金の亡者かよ。ゲホ、死者の黄泉路に、金は要らんだろ」
タックルされたことが効いたのか何度かせき込みながら忌々しげに毒つく。
ほら、三途の川の路銀があるから。
「今のは、ゲームオーバーになった人でしょうか?」
腕時計がないならもう『死んでいる』。
それで一回ヒヤリとしたことがあった。あれはおじさんの足首に巻き付いていて助かったようなもんだけど。
「だろうな。参加者以外にもこういうのがいるのか…めんどくせえな」
まったくだ。
【残り 六人】