九日目・幸運 ○
痛すぎて意識を失えなかった。
どれだけ移動してきたのかは分からない。
それでも海のそばに来たことだけは確かだった。
潮臭さと波の音がわずかなヒーリングを与えてくる。
ヒーリングどころじゃないんだけどね。
おじさんとはぐれてしまった。しかも敵のど真ん中に置いて、だ。
よくよく考えればこれ一度あったパターンな気もするけど…。あの時と比べれば縛られてないしまだ大丈夫か。
——骨折していたな、そういえば。
何も大丈夫じゃなかった。
いっそおじさんも滑り降りてきてくれないかなぁと思ったけど、上から石でも落とされたら大変だし。
私でも予想ついてしまうから、おじさんはもっと別のことを考えて行動するだろう。
「どこか、緩やかな、ところ、から、行こうか…」
こちらから提案しないまでもお兄さんはおじさんを迎えに行く気でいてくれているらしい。
良かった。今更見捨てるなんて、そんなことできない。
見捨てた時が私に残った人間性の最後だろう。人形にはなりたく、ない。
ふ、と嫌な予感が胸を走る。
トントンとお兄さんの肩を叩くと何か察してくれたようで神妙な顔つき(包帯に巻かれてよくわからないけど)になった。
あたりを見回すも耳鳴りやめまいで違和感を見つけ出せない。
駄目だ、とにかくお兄さんの足手まといにはなれない。
そう思っていても足元はふらつき、後ろに転びかけた。
「明日香、ちゃん」
お兄さんが腕を引っ張ってくれたが、反動で頭が後ろに傾く。
何とか立て直さないと――
何の前触れもなく空気を切り裂く音と共に何かが鼻先を横切った。
「え」
ドスッと軽い音を立ててソレは木の幹に突き刺さる。
小さな、鉄製の…矢?
首筋から一気に温度が失われた。
下手をすると、これが頭に刺さっていたかもしれない。
なんという幸運か。
「ボウ、ガン…!?」
お兄さんは飛んできた方向を見ようと首を回しかけ、しかしそのまま座り込む。
二発目が立っているときのお兄さんの肩ぐらいを通り抜けていく。
これには避けた当の本人もさすがに青ざめて「あっぶな」とこぼした。
じっとりした視線だけは感じる。
だけどどこにいるかは分からないのが気持ち悪い。
「十メートル、以内に、近寄らない、つもりか」
どの範囲にいるかも分からないように、だろうか。
「そんなに飛ぶんですか?」
「下手、すれば、百メートル、飛ぶのも、あった、はず」
なんだってそんなものを人類は生み出すのか…。
とはいえ、矢だってそんな無限にあるわけでもないだろう。回収しつつ来ていたとしても、少なくとも二本は減っている。
「…あっちの矢が尽きるのが先か、こちらが相手を見つけるのが先か…」
「手数は、限られて、いる分、慎重、だろね。待って、弾は、あと、一発は…」
猟銃をゆっくり探り始めた。
おじさんから受け取っていた拳銃はどうしたのだろう。途中で落としたかな。
「あった。こちらも、まだ、手はある」
それは良かった。このままやられるのは癪だ。
ここを乗り越えて合流しなければ。