九日目・急転 ■
「行きますよ!」
鋭い声に目の前の男から意識がはがれた。
岡崎が幾分歩きやすそうなところを指さして言う。
「どう見ても、変です! まだ、相手には、したく、ない!」
言われて思考を切り替える。
まだ何が起きているのか理解できない。だがあれは普通の人間じゃないのは明白だ。
腕を食われても大丈夫な人間なんているわけがないだろう。
そんな相手と対峙するのは万全な体調の時ならまだしも今は無理ができない。
明日香は左手がほとんど使えず、失血が多すぎる。心身の疲労度もかなりだろう。
俺は肩腕折られているし足は歩けるが痛みはある。
岡崎は頬から耳にかけて浅いとはいえ抉れている。
……なんという。
岡崎は両手が使えることは使えるが…いろいろ不安要素があるからな。それに明日香みたいに殺し慣れてないからいざとなった時動けないのではと思う。
別に貶しているわけではなく。
ともあれ、頷いて明日香に声をかける。
「引くぞ。何者かもわからないまま突っ込みたくない」
「……おいで!」
文句を言いたげではあったが、素直にブルータスを呼びつけた。
二度目の飛びかかりをしたものの失敗してしまったようで初撃からダメージは与えられていないようだ。
男は虫を振り払うように斧をふるう。
ブルータスは寸でのところで避けたことには避けたが、恐怖心が勝ったのか一目散にこちらへ逃げて来た。
あいつが『異常』だという認識をさせてくれただけでも勲章ものだ。
追いかけるように男はのったのったと走り出す。
速度は遅いがのんびりしていられるわけでもない。
斧なんて殴っても良しかち割ってもよしな、およそ人道的じゃない武器だから接近だけはしたくない。
「岡崎、走れるか」
彼は返事の代わりに親指を立てた。
「明日香は」
「できます」
そう言った割には足元がおぼつかない。
やばいな、これは転倒する。
明日香の傷じゃ一度倒れたら起き上がるまでに時間がかかるだろう。
悩む時間がない。岡崎に足止めをしろと言うのも酷だ。
明日香を動くほうの腕で担ぎ上げた。
「痛ッ!」
傷を負ったところが痛んだのだろう、うめき声が上がる。
あとで謝るから今は我慢していてくれ。
どうか轍を追ってきませんようにと祈りながら俺たちは木々の間を走った。