八日目・来宮明日香の逡巡 肆
桃香はほとんど衝動的に胸にナイフを突き立てたのだろう。自身の復讐が終わったのだと安堵して。
でもできなかった。
止めようにも何もかもが手遅れだった。
だから私に頼んだんじゃないかな、と思う。今となっては推察しかできない。
『明日香ちゃん、殺して』
私が桃香を殺さないでいられた道はあったのかと、今も桃香が生きている世界はあったのかとたまに思うことがある。
多分、あったのだ。
違う。私がクラスメイトを殺すということに固着しなければ――計画などしていなければ、きっと。
だが終わったことには仕方がない。もはや文句もなにも受け付けられない。
私は間違えてはいるだろう、でも自分に正直な選択はしたのだ。だれに批判されようとも私は私の行いがミスだとは思っていない。
だが、一点――桃香のことはいまだに後悔する。
そう考えると萩野君が逃げたのは良かったことなのかもしれない。彼を殺さずに済んだのだから。
『明日香ちゃん』
死は、すべての救いだと思う。
むしろ救いじゃなければいったい何が救いになるのだ。
そうは思いはしたけども私は逡巡をした。
いざやれと言われると戸惑ってしまったのだ。それより前に何十も人を殺していたくせに。
桃香は私の友達だったから。
もはや記憶にはないが、一言二言交わした気もする。別れの言葉だったかもしれない。
『分かった』
結果的には私は持っていたナイフを振り上げて――介錯をするように桃香の首を掻っ切った。
彼女の唇が揺らめいて「ありがとう」と動いた、というのは多分私の都合のいい解釈だろう。
友人を殺したということから目を背けるための。
「刺した時は特になにも感じませんでした。もう慣れてしまっていたから」
桃香が地に倒れたと同時に、私は駆けだした。校長を殺すために。
まあ、顛末は先に行ったとおりだが――。
本当にここまでの流れを考えると最後はひどすぎるな…。シリアスな劇の最後ですっころんだみたいな微妙な空気って感じ。
「これでお終いです。事件としては尻つぼみな感じで終わってしまいましたが――でもまあ、私の本懐は果たせました」
「……」
「…大事なところで詰めが甘いな」
おじさん手厳しい。
「私そこまで頭良くないですしね…。達成したことだけでも褒めてくださいよ」
「褒め…うん。まあいいだろう。行き当たりばったりなのはもったいないが」
おじさんだいぶ手厳しい。
少し反論しようとして、ブルータスの吠える声にすべてを持っていかれた。
「ヴォン!」
「ブルータス!?」
ここまで無駄鳴きをしなかったというのに、これはいったい何が起きたのか。
おじさんがブルータスの吠える方向を見て顔をしかめた。
「誰か来るぞ…どうする。逃げるか」
腕時計が鳴らないということはそう近くはないのだろう。
手早くおじさんが戦闘準備に入る。いつからか持っていた、リボルバー。
「あと何発ぐらいですか、それ」
「三発。無駄撃ちはしたくねえな。骨折したところにも響く」
「逃げましょう。逃げられるなら」
なんせ満身創痍だ。
逃げ回ってばかりだが、それでも全体的な参加者の人数は減っているし今大暴れしたら後々痛い目を見そう。
「そう、だね。前原、さん。足は」
「くじいてるだけからそんな気にしなくていい。分かった、去るぞ」
ブルータスが唸る方向にある草が揺れる。明らかに人為的なモノだ。
お兄さんを庇うようにして後ずさりしながらそこを睨みつける。
のっそりと顔を出したのは――男性。
「アー……」
が、なにか様子がおかしい。
意味のないことを喚きながら首をぐるぐると回していた。
十メートル以上離れているから目立ったところはそのぐらいだが、それでも十分違和感を覚えた。
ズ、ズ、と足を引きずりながら、ゆっくり近寄ってくる。
なんとも奇妙な光景に逃げることも忘れてポカンと眺めていた。
「おかしい、です、ね。そろそろ、腕時計、鳴っても……」
一瞬見えた男性の左腕には確かに腕時計型生体反応装置が嵌っていた。
新ルールとやらで『十メートル以内に人が近づいたらアラームが鳴る』という迷惑な機能が追加されている。
距離がまだあるから鳴らないのか、腕時計が壊れているのか、すでにゲームとしては『死亡』しているのか、それとも――
男性が、本当に死んでいるのか?
「グァオ!」
ブルータスが飛び出し、突き倒し肩にかみついた。
今までに見たことが無いほどの凶暴性を顔全体に押し出しながら。
勢いよく二の腕の肉を布ごと食いちぎる。
だが、
「ウァー……」
痛がる様子もなく、男性はブルータスを跳ね除けて立ち上がり私たちへ近寄ってきたのだ。
同じペースで。
斧を片手にぶら下げたままに。
【八日目 終了】
【残り 十五】