八日目・岡崎美波の事情 3
「見ていたって、殺人現場をですか?」
「うん」
ふむ。なんだかややこしいことになってきたような。
回りが鈍くなった脳みそがちゃんと話について行かれるかどうか。
「あの日、は。寝ていて。ひどく、体が、重くてーーでも、母さんの、悲鳴で、目が覚めて」
言いながらお兄さんは耳をふさいで唇を噛んだ。
もしかしたら鼓膜にこべりついた悲鳴が聞こえているのかもしれない。
私もそうだから。殺さないでくれ、痛い、やめてくれと。ときおりそんな言葉が聞こえる。所詮は私にわずかに残る罪悪感だ。
いやまて。やったことが根本的に違うから同一感を覚えては駄目だ。
「あれ…もしかしたら、あいつに、薬盛られて、いたのかも、しれない。コーヒー、珍しく、いれて、くれたし」
「……」
そもそもここに来るときも睡眠薬飲まされていたということだから、お兄さん盛られ放題である。
女の子ならエッチな展開だってあったはずで…やめよう、昔そんなことをさせられた経験がある。心の古傷が痛む。
「兄貴と仲が悪かったんだろ? もう少し警戒しとけよ……」
もっともなおじさんの指摘だった。
でも今みたいな生きるか死ぬかという殺伐とした日常ならともかく、平和に身を預けている現代日本で、仲が悪い兄弟と言えども毒物を盛りにくるのはごくわずかではないだろうか。
「…まさか、そんなこと、するとは、さすがに、思わなくて」
別にお兄さんが悪いわけじゃないだろう。一般思考レベルでは考えつかないことなんだから。
「……まあな」
「そうですよね」
犯罪じゃねーか。
いつかおじさんと息ピッタリにしたツッコミが頭の中をリフレインする。
手馴れた手段過ぎて岡崎美空という人に前科がなかったのか聞きたくなる。
多分お兄さんがいちいち飲み物にまで疑いをかける人間じゃないと分かっていたからこそしたんだろうな。
まさか兄弟の入れる飲み物に薬が入っているとか普通は思わないもんなあ。
とりあえず、とお兄さんは脱線しかけた話を戻す。
「駆けつけた、時には、もう。僕の、命ですら、危なくなるぐらい、部屋が、燃えてて」
「お兄さん…」
逃げる以外に選択肢はなかったのだろう。
お兄さんはそれを悔やんでいるようにも見えた。お人よしだから自分を正当化しながら生きていくことが難しいのだろう。
いくらご両親が死にかけていたとは言え――助けようなどとしていたらお兄さんも巻き込まれていた。
それに。ご両親が果たして救出されても生きられたかどうか。その時点でまだ生きていたのかも不明だ。
「でもよ、お前ばっちり兄貴が親を焼いているの見たんだろ? 警察には言わなかったのか?」
「……。言え、なかった、ですかね」
重い重いため息をついて。
「前日、僕は、両親と、大げんか、してまして。お隣さんまで、聞こえてた、らしく」
「…まず真っ先にお前が疑われていてもおかしくなかったと。それこそ、事故に見せかけて殺したんじゃないかってやつか」
「はい。そして、何を、隠そう、ショックで、腰の抜けた、僕を、外まで、連れ出したのは、美空、なんですよ」
「ああ」「ああ」
燃える家から兄弟を救出した青年。
ひねくれた人間じゃない限り、そんな人を真っ先に疑うことはないだろう。
「……岡崎の兄貴の、周りの印象は?」
「愛想のよい、好青年、ですよ。表向きは」
表向きは。そこを強調したのでお兄さんと二人だけの時とかは好青年でなかったのだろう。
そういうのはよくいる。さっき殺した男もそうだ。
「岡崎は、周りからどんな印象だったんだ?」
「……おとなしいと、いうか、根暗?」
予想はしていたけども。
なんだろう、きっと何かの間違いでお兄さんが逮捕されていたら近所のインタビューで『おとなしい子だった。まさかあんなことをするとは』とテンプレの人物像が語られていたことだろう。
…私はどうだったのだろう。自称友人や親友たちは何を語ったのか。
「岡崎一人が『こいつが犯人だ』と騒いでもどうしようもなかったってことか…」
「そう、なりますね。僕と、しては、事件性があったと、欠片でも、証拠があったらと、思っていたんですが――」
「――事故で片づけられてしまったと」
「はい」
「どうしてこう…岡崎は運がないんだ……」
おじさんは頭が痛そうにこめかみを押さえた。
天のいたずらレベルにたちが悪い運の悪さである。前世で何かやらかしてしまったのではないだろうか。
ですよね、とお兄さんは他人事のように苦笑いした。