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閑話・面会と別れ

 そろそろ見慣れてきた、面会室。

 何時まで経ってもこの圧迫するような空気は苦手だ。

 わたし自身が閉所をあまり好まない性格だからなおさら。


 他愛もない思考を頭の中で回しているとドアが開く音がしてそちらに目をやる。

 いつも通りの面会相手、明日香ちゃんだ。少し髪が伸びた気がする。

 促されてパイプ椅子に座り、わたしと向かい合う。

わたしたちの間にあるのは穴が開いたアクリル板。それが、犯罪者あちらと一般人こちら側の線を明確にしていた。


「久しぶり、元気だった?」


「はい」


 すぐに返事が返ってきた。しかしながらどうみてもそうは見えない。

 相変わらずの無表情。そして光のない瞳をわたしに向けていた。

 初めて会ったときはそれなりに生気があったのに今ではすっかりこうだ。

 感情の機微すら見いだせず、一見すれば人間に似せた人形みたいだった。


 理由とか聞いてもはぐらされてしまうのだろう。

 良心の呵責が――ということでは、ないか。

 不安事か、どうにもならない思いを抱えているのは分かるのだけど。ほんの数センチの壁がわたしたちを阻む。

 他の人を慰めるときのように手を握ってやったり抱きしめてあげることはできない。そもそも殺人鬼の少女にそれをすることは誰も許さないだろう。


「…あのね、」


 切り出してはみたものの次へと繋げない。

 話すべきだろうか。


 母親の旧姓とか。

 母親は養女であったこととか。

 あなたのおじいちゃんは一応生きているだとか。

 ――—名付け親は恐らくあなたの母親で。

 そして、幸せを願っていたのかもしれないだとか。


 ――やめておこう。

きっと、今はこの言葉全てがこの子を傷つける。

 片割れをなくし、覚悟をして人を殺したこの少女をいまさらどう慰めればいいのだろうか。

 彼女の過去に触れるたびに彼女が遠ざかっていくようなこの感触が気持ち悪い。


 口を閉ざしたわたしを不思議そうな目で見た後、今度は明日香ちゃんが口を開いた。


「もう、あなたと会えないと思います」


 最初から決めていたのだろう。淀みのない言葉だった。

 冷静すぎるともいえる彼女と対象にわたしはひどく動揺した。


「え…いや、え? なんか不満だった?」


「いえ。面会はかなり難しくなるんじゃないかと、そう思っただけです」


「……なんで?」


「もうじき判決が出るだろうから」


 涼しい顔でさらりとそんなことを言う。

 息がつまった。


「重い刑罰は特に面会は難しくなると私は聞いています。そうでしょう?」


 重い刑罰。

 無期懲役ではなく、どストレートに死刑のことを指しているんだろうと思った。

 彼女はまだ未成年である。が、あまりにも事件が陰惨すぎてその可能性もあるのだ。

 また仮に死刑になってしまうと面会者は本当に近しいものか弁護士に限られる。つまるところ『ジャーナリスト』としてのわたしは通してもらえなくなる可能性があるのだ。


「…今まで付き合わせて申し訳ありませんでした。迷惑だったでしょう」


 頭がくらくらとしてきたわたしへと彼女はすまなそうに声を掛ける。

 その裏でゆっくりと別れの言葉が吐かれている。


「そんなことはないわ。わたしは、あなたの――」


 従姉妹。

 わずかしか血がつながっていなくても、従姉妹ではあるから。


 そんなのいまさらだ――それがいったい何になるというのか。

 従姉妹だから、なんなのだ?

 それがいったい何を変えてくれるというのだろうか。

 じわじわと理解していく。何もかもが遅すぎたのだ。

 過去を手繰り寄せることはできるが、今を止めることはできない。

 事件の真相を調べることはできるが、事件そのものを止めることはできない。


 脱力感に襲われて椅子の背もたれにもたれかかる。

 そんなわたしを知ってか知らずか、彼女はさらに畳みかけて来た。


「さよなら、しましょう。私の不幸が移る前に」


「不幸ってなに?」


「…私に近しい人が死んじゃう呪い」


 どこか言い方が子供っぽくて場にそぐわずわたしはほほ笑んでしまった。


「…ふ。呪いなんかでわたしが死ぬわけないじゃない」


 明日香ちゃんはただ黙って目を閉じただけだった。

 恐らくわたしの言葉への否定を飲み込んだのだろう。


 しばらくそうしていたのでわたしはただ明日香ちゃんの顔を見つめるほかない。

 整った顔立ち。美少女、というには言い過ぎだろうけど綺麗な顔立ちだった。

 舞花さんと似た顔をしているのだろうか。


「かおりさん」


はじめて名前を呼ばれた。

 びくりと肩が跳ねて、いつのまにか目を開いていた明日香ちゃんと視線を交わす。


「どうか、お幸せに」


 そう言って、明日香ちゃんは席を立つ。看守に連れられて部屋を出ていった。

 私の返事を待つこともせずに。

 一度ぐらい振り返ってくれてもよかったのに、彼女はそうしなかった。

 わたしはといえばしばらく茫然として立ち上がれなかった。

 すっきりとしない別れ。

 もっとほかにも別れの方法はあったのではないかと胸の奥で毒つく。

 でも明日香ちゃんにとって思いつくのはこれだけだったのだろう。気の利いた言葉を絞り出すことしか彼女にはできなかったのではないだろうか。

 悲しくなるぐらい、不器用な子だ。



 ————それからしばらくして彼女の判決が出た。

 被害者の家族やマスコミが裁判所にあまりにも多く殺到し、わたしは見に行くことができなかった。

 予想通りというのか。

結果は死刑。

 未成年に対する異例の判決だったけれど、『殺人鬼』に同情を向けるものは一部しかいない。

 あの子は静かにそれを受け入れたという。

 死刑という言葉を聞いた時、遺族から歓声が上がっただとか、ものが彼女に投げつけられたとも聞いた。それも静かに甘んじて明日香ちゃんは受け入れたという。

 いったいその遺族の何人が占領事件で死んだ十人を知っているのだろう。

 その十人が代わりに死んでわが子が助かったことを知らず、そして今はただ凶行に倒れた憐れなわが子が一番不幸だと嘆くのだろう。

 不幸だけど、幸せな人たち。

 わたしは冷めた目でしか見ることができない。ずいぶんとまあ、考えが偏ってしまってしまった。


 またテレビがにぎわって、新聞の文字が躍って、それもいつかは別のことに関心が行くのだろう。

 事件は風化していくのだ。覚えているものはほんの一握りだけになっていく。

 それでも明日香ちゃんの起こした事件はネットの隅っこで時折語られる話題になるんだろう。


 ふと、吸い込まれてしまいそうな真っ黒な明日香ちゃんの瞳を思い出す。


 ――どうか、お幸せに。


 小さく笑みが漏れた。

 別れ際にずいぶんと強い呪縛を持つ言葉を貰ってしまったと、そう思う。



どうにもすっきりしないんですが空けすぎもさすがにアレだったので…

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