八日目・親子会話
あれ。確かおじさん関係で何かしなくてはと思っていたのだが、忘れてしまった。
まあいいか。忘れるということはわりとどうでもいいことだろう。
歩きをいったん止めて、唖然としている人たちをぐるりと見回す。
「今逃げるなら、追わない」
睨みつけてから、踵を返す。
後ろから誰かに撃たれるかと緊張したけどそれは結局杞憂に終わった。
みんな、私なんかに構っているどころじゃなくなったのだ。
ひとつは満を持してのお兄さんとブルータスの登場だ。あのふたり…一人と一匹は、存外に不意打ちがあっているのかもしれない。
もうひとつは、どうやらみんなあの男から離れたがっていること。騒ぎが起きたのもあるし、なにより「逃げればいい」と私が無責任にはなった言葉が呼び水になり、固まっていた空気が再び動き出す。
この機に逃げようとしている人、どうすればいいのか立ち尽くす人、戦おうとしているつもりか、無茶苦茶に腕を回すひと。
その人たちの間をあまり刺激しないようにしながら、義父の前に立つ。
ナイフを握りしめて。
「あいつ、殺した方が良かったかな」
そいつは、つまらなさそうにぼやく。
「所詮あなたの得意とした精神的な束縛も…こういうことになってしまうと、意味をなさないですね」
目は合わせられない。
だけど、さっきより堂々とはしていられる。
今まで『誰かいるから強くなれる』なんてセリフは鼻で笑っていたけど――なるほど、こういうものなのか。
「そうみたいだね」
残念そうに、でもそこまでは落胆していなさそうだった。
次の一手を考えているのだろうか。
「……どうやってあんなに人を増やしたんですか? こんな島じゃ、お金も通用しないのに」
メダルだって、島の外に出てからでないとその意味はない。
それまではただ重いだけの荷物だ。
「人間が一番――生物が一番嫌なことは何だと思う?」
突然。
義父は躊躇いなく私へと棒を横なぎに叩きつけようとする。
寸前で避けたから良かったものの、一時期同じ屋根の下で暮らしたのに一切容赦がない。別に甘やかされたいって意味でもないけど。
彼は何事もなかったように棒を肩に担ぐ。当たらなかったことが残念そうだ。
「…痛いこと」
答えてしまう私もどうかと思う。
後ろで発砲音がした。
流れ弾で死ぬのは嫌だな。
「そう、痛み。暴力だ」
「…暴力をふるい、恐怖で人を従えさせる…。そんなの、誰も最後までついてきてくれないのでは?」
「最後まで? 用済みになったらもういらない。面倒事を増やすだけじゃないか」
そう、そうだ。
こいつは本当に軸がぶれなくて感嘆すらしそうになる。
一回ぐらい痛い目を見ればもう少しマシになってたのではないかとも思うのだけど。
痛い目?
いや待てよ、この男、理由もなしにここへ来たわけじゃあるまい。一攫千金とはいえこんな危険なものやるぐらいなら鉱山で金掘ってた方がまだ生存率は上だろう。
「……ここへはどうして、どうやってきたんです?」
「ここ? 知らない」
「え」
「誘拐っていうの? 目ぇ覚めたらここだったんだよねー。困ったよ」
それ、お兄さんと同じ手口ではないか。
いったいどういう手段を使ったかまでは知らないが、分かることは一つ。
この男をこの島へ送り付けた人がいるということ。
そう思うと、可笑しくて可笑しくて、仕方がなくなってきた。
誰だろう、そんな思い切ったことをした人は。ありとあらゆる幸福が降り注いでほしい。
「…キョウカは、どうやら違うようだけど?」
笑いたくなる衝動を抑え込み、私は短く答えた。
「私、死刑囚です」
ゆっくり上げた切っ先の向こう側には私の過去。
倒せたからどうだってことはないけど、荷物整理ぐらいはして死にたい。
「なにそれ。マジウケる」
「ですよね」
うふふあははと笑いあう。
息を大きく吸い込んで、心を落ち着かせて。
もうこいつとの会話ものこり僅かだろう。がんばらなくては。
「名前を教えてください。どうせすぐに忘れてしまうでしょうが、名前も知らないまま殺すのは失礼でしょう?」
「言うようになったじゃん、クソビッチ」
「ありがとうございます、バカ男」
「親の名前も知らないなんて泣けるねぇ。明人。黒川明人、だ。じゃ、死ねよキョウカ」
「私の名前は明日香、です。そっちこそ死ね、黒川ァ!」
反抗期というものはこのようなものなのだろうか。