八日目・退路不通
「その人を取り戻すために」
私は緊張のし過ぎで吐きそうになるのをこらえながらなんとか大事なことを言い切った。
おじさんがどんな顔をしたのか少しばかり興味はあったけど、見ている場合じゃない。
片手に木の棒を下げている男は少し何か考えたそぶりをした後に口を開いた。
「ふうん。そう」
あっけないぐらいの返答。
拍子抜けはしない。この男はそういう人間だから。
こうやって何でもない風を装うのが得意なのだ。だけど、腹の中で何を考えているのかまではーー分からない。
「…私は、オトウサンとは戦いたくありません。お互いにこのまま手を引きませんか」
本心であるが、しかし。
こんな言葉がこいつに通じるわけもあるまい。
サディスティックの塊もいいところであるこいつが、玩具を目の前に何もしないなんて思えない。
私はこの男の『お人形さん』だったから。
今は違うと私が否定しても、こいつの中では今でもあのままの私なのだろう。
「手を引く、ねー」
にこりと、オトウサンが笑う。
――なんだろう。
これは何か切り札がある表情だ。人を手のひらで転がす時の目だ。
いや、むしろ切り札がないほうがおかしいか。
これから来るであろう事態に今から冷汗がふつふつと湧いてくる。
「キョウカも言うようになったじゃん」
「…それは、ありがとうございます」
じわじわとオトウサンから感じるオーラに思わず後ずさる。
ああ。
ああ。どうしよう、怒らせてしまった。
こわい。また骨を折られてしまう。それ以上のことをされるかもしれない。
だけど。だけどだけどだけど。
私はもう『お人形さん』じゃないから言いなりには、絶対ならない。
「でもおれは」
後ずさりした分、オトウサンが一歩踏み出す。
反射的に後ろに下がる。
ひとつふたつと距離が詰められていく。指先が冷たくなりすぎてもう感覚がない。
「昔のキョウカのほうが良かったかな? 馬鹿で空っぽなほうが、すごく可愛かった」
「私は、もう、昔の私ではありません」
「それを決めるのは、お前じゃない。おれだ」
ごつん、と。背中に固い感触。
待て、こんな遠回りな言い方する必要あるのか。
木にぶつかった。つまるところ、退路が断たれた。
退路? 逃げてどうする。私は何のためにここに来た。
おじさんとここから抜け出してお兄さんたちと合流するんだろうが。しっかりしろ、私。
「あー。あとさ、残念だけど」
気付けば二メートルほどの距離にまで縮まっていた。
ナイフを探る。大丈夫、ある。あるから、戦える。
オトウサンはわざとらしいゆっくりとした動作でジーパンのポケットに手を突っ込んだ。
何が入っているんだろう。銃とかそういう類じゃないのは見てわかるが。
焦らすように出てきたのは、腕時計。
「……!」
しかも、ただの腕時計じゃない。
私もしている、あの生死判別と残り人数のお知らせを兼ね揃えている腕時計型のカウンターだ。
誰のだ。左手首に嵌っているのが見えたから、こいつのじゃないのは分かるが。
周りにいる茫然としたような、生気を抜かれたような男たちのどれかのものか。
――それとも。
「…まさか!」
「そのまさか、だよ」
考えたくもない最悪の事態が頭を過る。
「馬鹿、なにしてんだよ! 他人なんてどうでも良いだろ!」
おじさんが怒鳴る。
それぐらいには元気あるのかと安心するとともに、肺に石を突っ込まれたように息苦しくなる。
他人なんてどうでも良いとは言うけれど。
ここに来たのは、紛れもなくおじさんのためで。今更、見捨てて逃げられるものか。
「だってさー、キョウカ。優しいねぇ」
軽い口調でオトウサンは私に腕時計を見せつける。
釣られるようにして思わず見てしまった、それは。
「あ…」
おもわず頭を抑えた。
ぐわんぐわんと耳元でおかしな音が鳴る。
からからに乾ききった口で、それでも私は怒鳴った。
怒鳴らずにはいられなかった。
「おまえぇえええぇぇええ!!」
本来ならデジタルで表示されているはずの数字や文字は消えていた。
腕時計を外されたことにより、内蔵されたパーツが生体反応を感知しなくなったという証拠。
――おじさんは“死亡”してしまったのだ。