第8話
胸につかえていたものが取れると、ユディットも気が抜ける。やってしまったという罪悪感も押し寄せたが、それよりずっと楽になった。これで勘当されても、きっと後悔はしない。たとえ今後に待つものが不幸なものであったとしても、自分のために戦ったのだという事実に喜んだまま死ねるとさえ思った。
それが良いことなのかと問われれば、彼女には分からない。ただ、何もしないでいれば、永遠に自分を嫌いになっていたことだけは分かる。
「ブラボー! 実に良かったぜ、ユディット!」
「……えっ!? イーリス様に、クラウス団長!?」
なぜ二人がと驚く顔にクラウスがにこやかに返す。
「すみません。盗み聞きをするつもりはなかったんですが、気づけば足がこちらに向いていました。決して来たくて来たわけではないのですが」
「はいはい、そうでしょうね。……どこから聞いてたんですか?」
複雑な気持ちを抱え、じと目でイーリスに投げかける。
「ああ、ついさっきだよ。ヴァルトシュタインの娘だろとかどうとか」
「殆ど最初からじゃないですか!?」
「いいじゃないか。別にそれでアタシたちに聞かれて困ることがあるのかよ」
「それはないですけどぉ……。恥ずかしいでしょう、あんな話」
ため息を吐き、どうしてこうも周りの人間は好き勝手なのだろうと呆れる。しかし二人に向ける感情はルッツのような人間とは違い、好意的ではあったが。
「別に恥ずかしくはないさ。むしろカッコよかったよ」
「ありがとうございます。まだ終わってはいませんが……」
二日後。祝宴が終われば、ルッツはまたやってくる。そのときこそヴァルトシュタインの名を捨ててでも自分の信念を貫くつもりだ。
「なんにしてもお前の好きなようにやればいい。アタシはどっちでも構いやしない。お前のための物語だ、誰の意見も聞く必要はない。正しいと思うものだけを選んで握りしめていろ。────二日後を楽しみにしてる」
魔女の言葉は心強い。これまで誰も自分の背中を押してはくれなかった。クラウスでさえ気を遣うだけで、立場を考えれば強く出られずにいたのを、イーリスが悉くを塗り替えて状況を一変させてしまった。
かつては対面するだけでいつも心を塞いでしまうほど恐ろしかったルッツの存在も、今の自分で打ち勝てるとユディットが自信を持つほどだ。
これにはクラウスも感心を抱き、魔女が名だけでないことを理解する。
「(ここまでスムーズに事が進むとは。私では部下の信頼には答えられなかった。魔女は名ばかりではなく、その信頼を言葉ひとつで勝ち得てしまう……。驚きだ。百年も生きていると経験が違うのだろうか?)」
複雑な気分だった。クラウスは自分が騎士として務めを果たすことばかりを考えて生きてきた。弱気を助け、強気を挫く。それこそが騎士道だと。
しかしながら、伯爵という立場は容易に許してはくれない。騎士としての立場が強いにせよ、貴族たちは狡猾だ。いくらヴィンケルマン伯爵家と言えども手を組まれれば命はいくつあっても足りない。それを実行に移せるだけの権力がヴァルトシュタインにはある。────魔女さえ絡まなければ。
「おう、そうだ。ユディット、先に部屋に戻っててくれないか。寝床を整えるのを忘れて出てきちまった。アタシは少しクラウスと話がある」
「はい、わかりました。では部屋の清掃を済ませてお待ちしています」
ユディットを先に帰らせたことにクラウスが小さく首を傾げた。
「はて……。お話があるような雰囲気ではなかった気がしますが」
「いやあ、別に。アタシも大した話があるわけじゃないんだ」
イーリスは、してやったりな顔でクラウスを見上げた。
「アタシを使うなら、回りくどいことはせずに直接言え」
「いつから気付いていらしたんです?」
貼り付けた笑顔は驚きが隠しきれていない。いつだって素顔を露わにせずに生きてきた。その方が怒るよりは疲れないし、呆れるよりも失望しない。他人に自分を見せないことで、余計に距離を縮めずに済んだ。関係は業務的なものになってしまうが、その方が相手を不快にさせずにも済む。
だから他人に自分を理解されたことはないし、理解させようともしなかった。誰に対しても温厚だが木安に振れてはならない人間を演じてきた。────イーリスは、それをいとも容易く見破った。
「お前はいつもユディットを目で追ってる。あぁ、安心しろ。それが恋愛感情じゃなくて哀れみだってのは分かるさ。騎士としての出来も良くて自分とは違う温かさを持っているのに、誰にも手を差し伸べられなかったんだから」
ほんの小さな仕草も見逃さないようユディットを注視してきた。誰と一緒にいるときも、彼女が痛みを伴うような関係になっていないかと心配した。
皇帝の生誕祭が迫った頃、クラウスはひとつの思い付きを実行する。それが、馬車で魔女に付き添わせること。神殿から流す情報は信じられない。魔女を知るいくらかの人間に話を聞けば、困った人間を放ってはおけない性格なのは分かった。
『これは都合が良いかもしれない』
そう思った。ユディットはいつもどこか塞ぎ込んでいる。自分に自信がなく、誰かの言われるがままに生きるだけの人形のようだった。魔女であれば、そんな彼女の後ろ暗い背景まで見透かしてしまうのではないか。助け舟を出せるのではないか。振る舞いを見ているうちに、それは確信に変わっていった。
「おかげさまで便乗できました。今回の件はユディットの背後に魔女がいる。それだけで、私が手を貸す理由になります。魔女肯定派の貴族も多い。私があなたと協力できるということは、それだけ良好な関係にあるというアピールにもなる」
できる限り水面下で近づき、ここぞという場面で自然に自分を売り込む。手段としてはユディットもイーリスも利用した形だが、最も効率的で確実に部下の背中を後押しできる。何より、自分の立ち位置をより良い場所にも押し上げられた。
「お前は中々に狡いね。良い奴なのは間違いないが、やり方としては七十点だ。周りにはデカい印象を植え付けられただろうがな」
「では今後の参考に、残りの三十点は何が悪くて落とされたのか聞いても?」
イーリスはくだらないと言って笑い、クラウスを置いて歩き出す。
「アタシのさじ加減ひとつで全部が台無しになるって話。アタシには堂々と頼めばいい、ルッツみたいに恥を搔きたくなきゃな。せこいのは気に入らない」
なんにしても堂々と。魔女だからと一線引いて関わるのではなく。狡猾に利用しようとするでもなく。図々しくもなく。ただ正々堂々と正しいと思った行動を取るように話しかければいい。でなければイーリスは応える気がない。
たまさかユディットを気遣っているのが見て取れたので何も言わなかったが、手段としては魔女の印象は最悪なものだ。運が良かった。だから三十点の減点。そう言われればクラウスも納得せざるを得なかった。
「ふむ。でしたら、どうでしょう。今後もユディットのことを今からでもお願いするというのは? 捧げられるのであれば片腕くらいなら譲りますよ」
「んなもんいらねぇよ……。お前は悪魔崇拝でもしてんのか」
気味悪がられたクラウスが残念そうに肩を竦めた。
「魔女は悪魔の手先だと言われているらしいので、確かめてみたかったのです。あなたが悪魔であれば、今の取引は最も喜ばしいでしょう?」
「アタシより悪魔みたいな連中が此処にはいるだろ」
上流階級の人間など、ほとんどが信用に値しないと断ずるイーリスに、クラウスは初めて、愛想ではなく心からの笑い声が出た。
「あっはっは! 間違いない、彼らは私よりも狡い人間ばかりですから!」
「お前は違うみたいな言い方だな」
「もちろんです。私は騎士であることを誇りにしていますので」
クラウスは隣を歩きながら胸に手を当てて────。
「ユディットの件で御恩があります。忠誠でしたらいつでも誓いますよ」
「それは皇帝だけにしときな。アタシには忠臣は要らねえ」
あっさり蹴った。イーリスには主従関係は必要ない。
「対等な友達になってくれって話ならアタシはいつでも待ってるぜ。お前が、そのベタベタに甘ったるい敬語を使わなくなってくれるならだけど」
「これは性分ですから……。私も二日先までに考えておきましょう」




