第7話
二人して会場を抜け出して中庭へ向かう。これから先に起きる出来事を想像すると足取りは軽く、いくらか早足だ。ユディットには多少の傷は起きるかもしれないとは思いつつも、今にルッツが失態を犯す瞬間が楽しみで仕方ない。
「ところで会場を団長殿がほったらかして良かったのか」
「騎士団が私やユディットだけで成り立っているとでもお思いで?」
「……なるほどね。貴族出身が多いとはいえ道楽じゃないわけだ」
クラウスは自信に満ちた笑顔で小さく頷いて返す。
「皇国騎士団は第三までありますが、我々が受け持つ第一騎士団は適切な試験を受けて合格した者のみが所属できます。たかが身分だけで入れるほど、私は甘く考えておりません。そのあたりは皆さまにもご理解頂いております」
規律と秩序を重んじる第一騎士団の所属は貴族にとっても憧れの象徴だ。先代の団長が公爵家だったことから、クラウスが伯爵とはいえ、いかな身分であれど彼の方針に逆らえる者はいない。ゆえに他の騎士団と違って粒揃いなのだ。
「なるほどね。出来の良さは評価できるらしい」
「恐縮です。……おっと、そろそろ声を抑えて。いますよ、すぐそこに」
植木の陰から覗く。怒りをあらわにしと怒鳴るルッツの姿が瞳に映った。ひどく醜悪で、その怒りが自己中心的なものという理解は誰にでもできた。
「お前はなんだ、ユディット。ヴァルトシュタインの娘だろう。魔女の護衛にもなっておきながら、私を取り立てることもできないのか! おかげで笑いものだ!」
「……申し訳ありません」
ルッツが鋭い平手打ちをする。ユディットはそれでも俯いたまま、ビクともしない。父親からの暴力に、ただただ悲しそうな顔を浮かべていた。
「この役立たずめ。この程度で済まされているうちが花だと思え。魔女ほどの人間にどれだけの利用価値があると思ってる? 比べてお前はどうだ。第一騎士団の所属というのも、私が育ててやったからだろう。その恩をささやかでもいいから私に還元することを考えたらどうだ、このバカ娘が」
聞いているだけでも気分の悪い話だ。クラウスが小さな声で「そろそろ行きますか?」とイーリスに尋ねたが、彼女は頷かず静かに聞き耳を立てた。今はまだ聞くべきだろう、とクラウスを手で制して。
「なあ、ユディット。分かっているだろう、魔女は粗悪な人間だ。魔法などという力を振って皇帝にまで取り入った。世論も魔女に傾いている。神殿もあれを危険視してることは、この間も話しただろう?」
ユディットは、そのときになって顔をあげた。
「だから利用価値があると仰っていたことですよね……。よく理解しております。魔女を上手く操って、魔法を奪えば人為的に聖女を生み出すこともできると」
魔女の根源たる力は持ち歩いている魔導書にある。────と、多くの人間は考える。実際には半分正しくて半分間違いだ。魔導書がなければ多くの魔法は使えない。それはあくまで魔女の知識にないからに過ぎない。そして魔法を使えるのは魔女として選ばれた、特別な力を持った人間だけだ。
その力を持つ人間を見抜く方法はただひとつ。魔女であること。当人であるイーリス以外には魔女の素質は見抜けず、また、力を持った人間が生まれるのは二百年に一度と決まっている。それ以外が魔導書を開けば、永劫に解けない不死の呪いに掛かった挙句、ある条件を除いて肉体だけは老いていくのだ。
イーリスは、まったく無駄なことを、と呆れてしまった。魔法を使える人間が仮に見つかったとして、そのためにどれだけの人間が犠牲になるのか。そんなことは必要な犠牲と考えもしない凶悪な傲慢であることを理解していない。
「出よう、クラウス。馬鹿げた話も聞き飽きて────」
「いえ。もう少しお待ちください」
今度はクラウスがイーリスを止めた。長くユディットを部下として観察してきた彼は、場の空気が一変したのに気付いて今は出るべきではないと判断する。
正しいと証明されたのは、その直後だった。
「お父様はいつだって神殿だの騎士だの家門だのと、それしか頭にないのですか? いい加減、馬鹿げていて聞くに堪えません」
制帽を脱ぎ、前髪をかきあげてユディットが反抗的な眼差しで睨む。
「……ユディット? 貴様、誰に向かってそのような口の利き方を!」
再び平手打ちが襲った。叩かれた頬が赤くなったが、ユディットはそれでも堂々としていて、屈していない意志の宿った強い瞳をギラつかせた。
「誰に向かって? さあ、分かりません。────いや、もういい。取り繕うのはよそう。私を育てたと恩着せがましい父親に向かってだよ」
叩かれた拍子に口の中が切れ、溜まっていた血をプッと吐き出す。
「私は小さな頃から家門のために生きてきた。それが正しいと教育を受けてきた。何かを願うたびにそれは間違いだと思って息をした。……間違っているのはあなたではないか。その願いのために、私をただの道具にしか見ていない」
腰に提げた剣の柄に手を掛けて、いつでも自分は剣を抜けるのだぞと丸腰のルッツに見せつける。次に手を出そうとしたら腕を落とすつもりだ。それくらいのことが当たり前のようにできるくらい、ユディットは騎士としての腕も良い。
「当たり前だろう。お前は何を勘違いしているんだ、家門のために生きるのは貴族としての誇りであり責務だ。皆がそうやって紡いできたものを、お前だけが特別な生き方を許されるとでも思って────」
抜かれた剣がルッツの首に僅かに触れて薄皮を裂く。
「特別などではない。貴様に与えられたのは窮屈な檻ではないか、何が誇りと責務だ。好きでもない剣を握り、好きでもない騎士としての生き方を与えられ、好きでもない男と婚約までさせられて。不幸以外の何物でもない」
「魔女に感化されたか。それこそあれの策謀だろう。お前は……」
元々、ルッツも騎士だ。命の危機に晒されたからとて、相手に殺意があるかどうかは目を見れば分かる。それゆえに冷静さを崩さない。ユディットの脅しなど、まるで効いておらず、態度は堂々としたものだった。
だが、紡ごうとした言葉はユディットにかき消されてしまう。
「私は元々、何にも囚われない自由が欲しかった。だが、その扉の前で立ち竦むばかりだった。貴様という蛇に睨まれるのが恐ろしかったからだ。今は違う。これ以上、私を蝕むのであれば、偽りなく首をここで落としてやろう」
鬼気迫る表情にルッツは今度こそ気圧された。先ほどよりも僅かに刃が首に食い込み、つうっと血を滴らせる。間違いない殺意があった。処断されることになったとしても父親の命に従わないという強い意志が、退くどころか前に進ませた。
これ以上の問答は命を落とすと理解したルッツは、気に入らなさそうに剣を掴んで退けると、心底不愉快そうに舌を鳴らす。
「……今日はもういい。祝宴はまだ二日ある。お前も騎士団の人間として忙しいだろう、必要以上に関わっていては陛下への心象に悪影響だ。だが、それまでによく考えておけ。魔女の誘惑なぞに媚びることが本当に正しいかどうかをな」
立ち去る父親の背中を見つめて、剣を鞘に納める。初めて逆らったこと、そして、それが自分を前に進ませてくれたことに清々しさを覚えた。
息の詰まる毎日から解放された。今はそれだけで十分だった。
「────私は考えを変えるつもりはないよ」
寂しさはある。歪んでこそいたが、自分を大切に育ててくれたことだけは嘘ではない。だが、自身の行いが間違いだったのではないかと疑ったりはしなかった。勇気を奮い立たせた反抗で、やっと願いに手が届いたのだ。




