第6話
甘い誘惑に背筋をなぞられる。淑やかなダンスとは違い、イーリスは情熱的で煽動的。学んできたものとは違う、もっと自由で愉快さを醸すダンス。ヒールとブーツが床を叩き、心が躍った。
上品さはない。だが愛せた。静けさはない。だが美しかった。
「いつまで豪華な犬小屋の中で満足してるつもりだ?」
「そんなつもりは……」
「してるさ。お前は目的がありながら今に甘んじている」
「だとしても、それが騎士の役割であり、義務であります」
軽快なステップで楽しく踊りながらもユディットは戸惑いを隠せない。魔女の誘いに心を揺らされ、そうあるべきではないと自分を律しようとする。
体が密着したとき、イーリスはユディットの背中を艶めかしく撫でた。
「抑圧は毒だ。ほんの一滴なら苦しいだけで済むが、致死量まで達した人間の末路なんて見え透いてる。お前は愛してもいない世界の正しさをどう説くのかな」
手を取り、舞うように踊りながら、魔女は妖しく微笑んだ。
「扉は一枚じゃない。お前が開けるべき扉は本当に間違っていないのか?」
悔しい、とユディットは思った。あまりにも輝く世界で生きる魔女の姿が愛おしい。羨ましい。妬ましい。願わくばそちらでありたいと、いつも願ってきた。息苦しい騎士の姿など退屈だ。────首輪など捨ててしまいたかった。
「私だって自由になりたい。求めることは誰だってするはずです」
「だったら叶えよう。誰のためでもない、お前のために」
輝く紫煙が二人を巻く。ほんの少し心地が良い。見るものすら魅了する光景。なぜだか、勇気が出た。今までにないほど踏み込んだ言葉が喉から飛び立った。
「そうしたい。私だって自由が欲しい。鳥が空を羽ばたくように、私だって。それの何がいけないというのです。思うだけなら構わないと思ってきたのに!」
躍り終えたとき、二人は息を切らしていた。
「……じゃあ。お前はどうすべきか、分かってるだろ」
「わかってますよ。でも、簡単そうで難しいんです」
「それは分かってる。だから諦めるのか。お前は今に甘えるのか」
答えは出ない。すぐには出せない。やってもいいのかな、と悩ましい。自分の思うままに生きようとするのは難しい。貴族令嬢という立場が邪魔をするのだ。
「人生は短いんだ、ユディット。今はたった二十数年の人生も、同じだけの時間を生きれば、お前が元気に生きてるなんて誰が言える。その頃に呪縛から解放されたとして、お前にはどれだけの時間が残ってるか分からないだろ?」
六十を過ぎて生きていれば立派なものだ。やや早いとはいえ四十代で亡くなる人間も多い中、自分がまだ若く体力があるからと甘えて耐えていれば、何も得られないまま終わってしまう人生なこともある。ユディットの考え方は間違いに寄った、未来の危うさを感じられない若者のものなのだ。
ユディットはようやくイーリスに頼るべきかと考えたが、突然そこへ戻ってきたルッツが割って入った。
「人の娘を誑かすなど、魔女様と言えども度が過ぎているのでは?」
ルッツにとっては面白くない状況だ。手塩にかけて育てたユディットは、彼にとって金の卵を産む鶏だ。家門における名の知れた騎士として、どの家に嫁がせても問題ないように躾けてきた。イーリスはまさに、その費やしてきた時間を無駄にしかねない言葉を放っている。看過できるはずがない。
「ユディット、こちらへ来なさい。お前には話が……」
引っ張って連れて行こうとするルッツの腕を、大きな手が掴んで止めた。
邪魔をしたのはクラウスだ。笑顔のままだが、目は笑っていない。
「それはいけませんよ、ヴァルトシュタイン卿。彼女は今、祝宴が終わるまで私が与えた魔女の護衛任務に就いております。勝手な真似をされれば退場を願うことになりますが……皇帝陛下の御前で醜態を晒すおつもりですか?」
ジーモンが明らかに空気が悪くなったのを見て不愉快そうにため息を吐く姿に、ルッツは悔しさをかみ殺すようにイーリスを睨む。
「ちっ……! ユディット、後で話がある。中庭で待っているぞ」
「あ、はい……。わかりました、お父様」
ざわつく会場をジーモンが手を叩いて鎮める。
「色々と事情があるようだが、今は余の祝宴の席だ。どうか穏便に、皆も宴の続きを楽しんでほしい。今日くらいは余も目を瞑ろう」
イーリスにパチッとウィンクをして気を利かせ、ジーモンもまたぶどう酒に口を付けて楽しそうにする。これにはまた礼をしないとな、とイーリスは肩を竦めた。
「クラウス、助かったよ。まさかお前が割って入るなんて」
相手は歴史ある家門のヴァルトシュタイン家だ。ヴィンケルマン家は同じ爵位なれど格としては遠く及ばない。イーリスからすると、喧嘩を売ると後で厄介なことになるのではないかと危惧したが、クラウスは首を横に振った。
「私とてヴィンケルマン伯爵家の当主ですから。歴史だけのヴァルトシュタインに臆するほど小さな家門でもありませんので、ご心配なく」
「おう。最初は気に入らない奴だと思ったけど、お前は中々悪くない」
すると誇らしげにクラウスが微笑んで胸に手を当てた。
「イーリス様の自由に栄光を。それでは私は職務に戻ります。……ユディット、イーリス様の護衛を引き続き頼みます」
「はっ。了解です、団長」
それから祝宴は再び穏やかに進み、イーリスもユディットと共に、ゆったりと食事を楽しんだ。酒を浴びるほど飲んで頬を僅かに赤くする。
「はーっ、楽しかった。美味い料理を食べられるのはこの世の最もたる至福だな。生きてる限りは不老不死だろうが切っても切り離せないものだ」
ぐぐっ、と体を伸ばして、深呼吸をする。空気の詰まったような会場に疲れたイーリスはひらひらと扇子のように手を仰ぎながらテラスへ向かう。
「アタシは少し夜風に当たる。ちょうどクラウスもいるみたいだし、お前は中庭に行って来いよ。親父が待ってるんだろ?」
「よろしいのですか。父のことですから、少し時間が掛かるやも」
「いいよ。護衛なんてなくてもアタシには何も起きないから」
与えられた任務は部屋に送り届けてからようやく終わる。今はまだ祝宴も終わっていないのにとユディットが困り顔をしていると、テラスから気付いたクラウスが『行きなさい』と手で合図を送った。
許可が出て、彼女はホッとしてイーリスに頭を下げた。
「それでは後程。しばらく失礼致します」
「はいはい、いってらっしゃい」
ユディットと別れてテラスへ出ると、クラウスが自身の着ていた羽織を脱いで出迎え、寒そうなドレス姿を庇うように羽織を着せた。
「昼間は温かいですが、夜はまだ冷えます」
「ありがと。でもアタシは体温調節くらいできるぜ?」
「これは騎士としての気遣いですので受け取って頂ければ」
「ハッ、融通の利かない奴。騎士ってのはそういうものなのか」
「まさか。私は騎士団長の身ですから」
ニコニコと見せ続ける笑顔は考えていることがまるで読めない。イーリスも不思議に感じるほど、クラウスには表も裏も感じなかった。
「お前、随分とユディットのこと気に掛けてたよな。昼間もそうだ。アタシが街に出ると言ったら、あいつのために許可を出しただろ」
「……彼女の境遇には思うところがありますので」
業務的なクラウスが、そのときはいくらか寂しそうな顔を浮かべた。
「彼女は騎士に向いていません。デビュタントを行うこともなく騎士として育て、同年代との接触もない。手には剣ダコをつくり、朝から晩まで稽古に明け暮れ、自分の居場所さえ選べない。婚約者さえも望まぬ相手とは残酷が過ぎるでしょう」
イーリスには彼の考え方が常識的に思えた。いくら鍛えているから体格はしっかりしていても、ユディットは女性だ。家門のためとはいえ本来であれば目指す必要のない騎士として生き、あまつさえ政治的な利用価値を持たせて良家の嫁に出すという父親の一方的な利益のための暴挙。魔女が尤も嫌う、自由と程遠い行いだ。
「気が合うな。ところでクラウス、ひとつ提案があるんだが」
「おや、それは確かに気が合いますね。私にもひとつ提案がありまして」
二人は言葉に出さずとも意見が一致して、悪だくみの笑顔を浮かべた。
「じゃあ行くか。ちょっと遊びに」
「お供致しますよ、レディ」




