第5話
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日も暮れて夜がやってくると、皇帝の生誕を祝う祝宴に集まった貴族たちは皆が順に呼ばれ、祝いの言葉を捧げ、今日のためにと用意した贈り物を献上する。大粒の希少な宝石の指輪。豪華な装飾の施された外套。中には有名な画家が描いた肖像画であったり、領地から運んできた最高級品のぶどう酒など様々だ。
皆が口々に皇帝を讃えて忠誠を示し、それから皇帝の乾杯によって祝宴は始まった。貴族たちは互いに挨拶を交わして、立食に興じながら、くだらないゴシップで盛り上がる者もいれば、極めて重要な情報交換の場として数人で静かに言葉を交わす者もいる。しかし、その日は殆どが、ひとりのことで話題が持ちきりだ。
皆の意識はいくらか魔女へ逸れた。度々皇都に顔を表すものの、貴族の多くはイーリスとの繋がりを持っていない。良い機会だ、と取り入ろうする。
「これ美味いな。もう一個取ってこようかな」
礼を尽くす場において、イーリスも服装だけはフォーマルな黒いドレスに身を包んでいる。それが魔女らしい厳かな印象を放った。しかし晩餐が始まったら、誰と会話をするわけでもなく、ぶどう酒を片手にスモークサーモンとクリームチーズのカナッペを口に放り込んで満ち足りた顔を浮かべていた。
あからさまに近寄りがたい空気。本当に関わっても良いのだろうかと囁かれた。イーリスはそれが聞こえても気に留めず、食事を楽しんだ。
「楽しんでいらっしゃるようですね」
堂々と周囲の目も気にせず不作法なイーリスに最初に話しかけたのはルッツだ。魔女の護衛として、我が子であるユディットが傍にいるからなのか、魔女との関係を匂わせて周囲にふんと鼻を鳴らして自慢げな顔をする。
だが、当のイーリスはまったく見向きもせずに食事を続けた。
「あの……、魔女様?」
「此処じゃ誰もアタシに寄ってこない。それは気分が良い」
テーブルのぶどうを一粒取って口の中に放り込み、不快さに目を細める。
「長く生きてると、見た目こそこれでも学ぶことは多い。空気を読まないのと空気を読めないのは、まるで違う。お前は自分がどっちか分かるか?」
魔女を利用しようとする者は多く、ルッツはその中でも典型的で、さらにいえば図々しい。自分の娘に政治的な利用価値を付加して、魔女との交流で自分の地位を高めようとするのは見え見えだ。
イーリスにとって不愉快の極み。話す価値さえ感じない。
「廊下で挨拶した程度で友達気取りなら引っ込んでろ。アタシが傍にいさせてるのはユディットであって、お前じゃない」
「し、失礼しました……」
会場では、その光景にくすくすといくつもの笑い声が起こった。魔女に不用意に近寄ったお調子者が罰を受けたと嘲って。衆人環視の中でイーリスによる公開処刑を受けて、ルッツにはこれほど屈辱なことはない。
「……ちっ、魔女風情が偉そうに」
聞こえない程度の小さな声で悪態を吐いて、ルッツは早足に立ち去った。眺めていた皇帝も、ルッツには良い薬であっただろうと何度か頷く。
「流石はイーリス・ブレンヒルト。恐れるものはないようだ」
魔女に近づくことを許された数少ない人間である皇帝が労いに声をかける。
「よう、ジーモン。また老けたか?」
「寄る年波には勝てぬ。そなたの変わらぬ美しさに嫉妬するよ」
「いいじゃないか。歳を重ねるのも悪くない。お前はかっこいいさ」
「世辞でも嬉しいよ。ところで、そなたは祝いの言葉だけなのか」
まるで褒美をねだる子供のような視線だったが、実際に求めているものはちっとも子供らしくないものだ。なにしろイーリスが用意したのは────。
「あぁ、持ってきた。ほれ、契約書だ。書けばアタシは必ずひとつだけ、お前の願いを叶えてやる。ただし長生きだの願いを増やすだのは契約対象外だ」
「それは残念、歳を取ると健康で長生きがしたくなるものなのだが」
ただの紙切れ。だが、それはあらゆる希少な宝石よりも高価。金の鉱山ひとつでも足りないほどの値が付いておかしくない、世界でただ一枚の契約書。誰もが欲しがる魔女との繋がりを示すもの。
「では願いはそのうち決めよう。本音を言えば来てくれただけでも嬉しいものだ。そなたは中々、会いに来てくれぬからな。昼間も少し不貞腐れた」
「自分の機嫌の尻拭いを他人にさせんなよ。皇帝としての格が落ちるぞ」
二人で楽し気に笑い合う姿は、長年に渡って互いをよく知る友人そのもの。ジーモンのことは生まれた頃から見てきた。周囲から見れば不遜に思える光景も、二人にとっては当たり前の関係性なのだ。
「ありがとう、イーリス。引き続き宴を楽しんでくれ。余は他にも話をしたいものがいる。都合がつけば、明日にもゆっくり話そう」
「そのときは付き合うよ。三日も都にいても暇なもんでね」
小さくワイングラスをぶつけ合い、イーリスの方からその場を後にした。他に話したい相手がいるわけでもない。ルッツの件もあって、皆がイーリスへの興味を持ちながら近寄りもしない。魔女は傍若無人だが気高く、受け入れるべき者は徹底して選ぶのだ。半端な欲求で近寄れば、大やけどを負うだけだと。
そんな会場でイーリスが話したのは、ジーモン以外に二人いる。当然のことながら側仕えに選んだユディットだ。美味しそうな料理の場所などを聞いたりして、ときには自分が取った料理を──半ば強制的ではあったが──食べさせた。
ほどなくして、イーリスは警備の配置を尋ねたあと、会場の端で出入り口の横で壁の傍に背筋を伸ばして立っている男に声を掛けに行った。
「クラウス。相変わらず何が楽しくてニコニコしてるんだ」
「特に理由はありませんよ、こうしている方が、私らしいだけです」
「じゃあ感情は特にないって?」
「ええ。むしろ腹を立てているときもありますよ。たとえば……」
ユディットをちらと横目に見てから────。
「伯爵のように、悪態を吐きながら尻尾を巻いて逃げ出す人間とか。あまりにも醜くて吐き気さえしてきます。まあ、この会場はそういう人間ばかりですが」
「ハッハッハ、言うじゃないか! お前も確か伯爵位だったか!」
クラウスは小さく胸に手を当てて会釈をする。
「知って頂けているとは光栄の極みです」
「お前は知らなくても家門は知ってる。親父さんは元気か?」
「引退してからは港町に引き籠って釣りに興じてますよ。羨ましい限りだ」
「へえ。今度会ったら挨拶でもしておくよ、お前に世話になったってな」
「恐縮です。……あぁ、そろそろ楽団の演奏が始まるようですよ」
会場を振り返る。楽団の演奏に合わせて、何組かが前でダンスを踊る。イーリスは待ってましたとばかりに、自分の持っていたグラスをクラウスに預けた。
「そいつはやるよ。飲みかけだけど」
「レディとの間接キスということでしょうか」
「好きにしろ、それくらいは許してやる」
「冗談ですよ。ではどうぞ、お楽しみください」
イーリスは他の貴族の後ろに立つのは嫌だったので、すぐさまユディットの手を引いて「早く行こう!」と履き慣れていないヒールで小走りに駆けた。貴族たちは皆が魔女が来たのを見て場所を空ける。粗相があってはルッツの二の舞になりかねない。自由の魔女は、どこまでも空気を支配した。
「良い場所取れたな」
「ですね。でも、私だけ視線が痛い気が……」
「気にすんな。馬鹿共が妬んでるだけさ」
演奏が始まり、最初は皆が耳を傾ける。しばらくしたら、皇帝がワイングラスを揺らす。それを合図に皆がダンスのパートナーに声を掛けるのだ。
ダンスの最初の一曲目は皇帝が選んだペアが踊る。本来であれば皇族か、準ずる階級の人間が踊るものだが、今夜に限っては該当するのが魔女だけときた。祝宴に来ても踊ったことのない魔女が前に出るわけもないと、ジーモンは会場を一瞥したが、その瞬間を狙ってイーリスはユディットの手を取った。
「アタシと踊ろう、ユディット」
「はい? あの、でも私は参加者ではないのですが……」
「細かいことはいい、アタシが誘ってるんだ」
流されるがままに中央へ出て、ユディットは戸惑いに視線が泳ぐ。
「あああ、あの、空気が怖いんですけど。私、刺されたりしませんよね?」
「そんなことねえさ。ほら、ビビらなくたっていい」
抱き寄せて体を密着させると、イーリスは耳元に囁いた。
「良いこと教えてやるよ。人生ってのは最後まで楽しんだもん勝ちだ」




