第3話
だらだらと部屋で待ち続けるなどナンセンス。さくっと町へ繰り出して夜がやってくるまで時間を潰そうという。ユディットが慌てて席を立ち、呼び止めた。
「ちょ、ちょっと駄目ですよ! ここで待つよう指示があったはずです!」
「休んでろとは言われたが、出るなとは言われてない。お前も行く?」
「ですが……」
戸惑うだけのユディットにイーリスは馬鹿馬鹿しくなった。
「よくそこまで飼い犬気質でいられるよ。団長の命令がないとアタシの護衛すらできないって? それならひとりで行くから」
「あっ、お待ちください……! 私も行きます!」
振り向かず前を歩くイーリスがニヤッとする。それでいい、と。
その道中で他の騎士たち数名と話しているクラウスに会う。彼は部下に警備の強化などの指示を送った後、二人に向き直った。
「どちらへ行かれるのです?」
「ちょっと暇つぶしに町へ。文句あるか」
止めてくれと願うユディットの視線に気づいたクラウスはニコッと笑う。
「確かに城の中はイーリス様には息が詰まることでしょう。ただ、護衛無しで外出をされるのは困ります。────ユディット、君が護衛をしなさい」
「は、はいぃ……。わかりました……」
どうしてそうなるんだとしょぼくれる部下の肩をぽん、と叩く。
「たまには楽しみなさい。レディとてヴァルトシュタインの肩書を背負ったままでは、いずれ重圧に潰されてしまいます。息抜きの仕方も覚えるべきです」
そう言い残して何事もなかったように去っていくクラウスを見送り、ユディットは呆然とする。イーリスが、そんな様子を見て肘で小さく小突く。
「あいつ、案外良い奴じゃないか」
「……ええ、まあ……それはそうなんですけど」
上手く自分の責任を押し付けられた気がしてならないユディットだった。とはいえ正式に護衛を任された以上は仕方ない。そうして気は進まなかったが、イーリスに半ば無理やり町へ連れ出されてしまった。
しばらくは祝宴の準備や町の警備強化などで忙しくしていたので、ただ護衛をするという任で外に出るのは久しぶりだ。ただ、魔女の護衛というかつてない大役には内心でビビって震えていた。もし暴漢に襲われて頬に擦り傷でもできたりしたら、明日にも王城前の広場で自分の首が晒されているに違いないと。
「はあ~、すっかり町もお祭りムードだな、屋台があっちこっちに。けど、列車もできたってのに文明はたいして発展しないものなのか?」
「まだ、いくつかの炭鉱がある町と繋がっているだけですからね」
長生きはしているものの、イーリスは時代の流れには疎い。ユディットが店先で量り売りされている石炭をちらと見て、話を続けた。
「そもそも列車が実用的になってきたのも最近の話です。このあたりでは石炭より木炭の方が主流でしたから。旅客輸送を始めたのも二年くらい前で、軌道に乗ったのは今年だったりします。だからほとんどが貨物車両だったでしょう?」
「あぁ、そういや乗れるのは二、三十人くらいだった。へえ、面白いな」
わざわざ調べるほどでもないが、聞く分には興味が湧く。道すがらに屋台で買った串焼きを食べながら、楽しそうに耳を傾けた。
「お前ってさ。一応は貴族令嬢なわけだろ」
「はい、伯爵家の娘ですから」
「知識も豊富だけど、腕も立つよな。騎士の家門だから?」
「知識と腕っ節には自信があります。……でも、令嬢らしくはないかも」
貴族令嬢らしく教養は備えている。たとえ騎士となる身であれど、剣の腕ひとつでどうにかなるほど世の中は単純に回っていない、という父の教えには納得した。だからユディットは学ぶことに熱心であった。剣にしてもそうだ。必要であるのならやるというのが身に沁みついている。
令嬢らしくお茶会に興じたことはないし、編み物や刺繍はどうしても苦手だ。音楽に造詣も深くない。聴いていて素晴らしい演奏とは思いながらも、楽器に触れれば剣よりずっと扱いが難しいので、諦めてしまった。
「ですが、父にはどうせ必要ないと。結婚しても騎士であり続けることは変わらないのだから構わないと言われたので」
「また親父の話か。よくもまあ嫌いな奴のことをそこまで話せる」
つまらない話にうんざりして目を細め、串に刺さったチキンを齧った。さっきまでの面白がっていた空気は消し飛び、沈黙の中で町の喧騒だけが耳に飛び込む。
「……お前も喰えよ、串焼き」
「いえ、私は。任務中ですし、騎士たるもの自制の心が」
「そういうの要らないから。それとも口移しがいいか?」
「すみません、食べます。いただきます」
そう言いつつも、受け取った串焼きをジッとみるだけで口に運ばない。食べるかどうか自体を悩んでいて、イーリスがチッと舌を鳴らす。
「何を悩んでるんだよ。貰ったものを横で食べずに不味くなるのを待ってるのか。それともアタシがくれてやったものは気に入らなかったか?」
「あ、いえ。ただ、こういうの食べたことなくて……」
思わずきょとんとしてしまった。イーリスはユディットが貴族令嬢であることは分かっていても、だからといって彼らの常識について詳しいわけではない。庶民の当たり前が貴族にとっては非日常なのだ。串焼きなど屋台で手に入る食べ物など、見たことはあっても口に運んだことはない。当然だ、と失念に反省する。
「じゃあ食べなって。美味しいから」
「は、はい……。では────」
意を決して、ぱく、と食べた。口の中にじゅわっと広がる脂の甘み。塩と胡椒のシンプルな味付けだが、それが程よい刺激をくれる。火加減も程よく、噛めばすんなりと噛み切れる柔らかさ。残りも自然と口に運んだ。
「美味しいです……! 巡回で近くは通るのですが、こんなに美味しいものとは……。他の騎士たちにも差し入れを……いや、駄目かな……」
「差し入れはやめとけ、揉めるぞ。あいつらも大概が貴族出身だろ」
腕が悪ければ大概は騎士団に入ることもできないが、それでも騎士団員の大半は名家出身の者ばかりだ。幸いにも庶民出身の仲間を攻撃することはないが、食生活に関しては令嬢が串焼きなど差し入れれば、冷ややかな目で見られるのは必至だ。
「そうですよね……。残念です。結婚したら、こんなに美味しいものを食べる機会もなくなるんでしょうから」
「贅沢言うなよ、毎日ステーキとか食える方がよっぽどだろ」
呆れた笑いにユディットは首を横に振った。
「質が良く美味しいことと、私の舌に合うかどうかは別の話です。食べられなければ無駄にしてしまうだけでしょう。こちらの方が私は好きです。だから、結婚したらもう食べられないのか、と思うと少し残念だなと」
食べ終わったあとの串を眺める姿に、イーリスはあまりに不憫だと感じる。貴族令嬢の身に縛られているせいで、彼女は永遠に自由を奪われているのだ。ヴァルトシュタインの所有物。飼い犬。それが尤もな評価だ、と。
「どうせ結婚も、お前の意思なんてないんだよな」
「もちろんです」
ユディットが深く頷いて、目立たない程度に小さく肩を竦めた。
「ヴァルトシュタイン伯爵家に見合う相手となれば、ある程度は相手の家門も立派でなくてはなりません。それで先月、ヴォイルシュ卿と婚約したんです」
「ヴォイルシュって、あのチョロヒゲの?」
「言い方が無礼ですよ」
こほん、と咳払いをしてユディットは少しだけ苦い顔をする。
「父が用意した婚約者ですから、拒否権はありません。少なくともヴォイルシュ卿は副団長を務めておられます。身分的にも彼より適任はいないのです」
好きでもなんでもない。どちらかと言えば苦手だ。仕方ない。家門のためなのだ。自分に拒否権はなく、拒否する理由もないと自分の人生から目を逸らす。
バカげていると考えても意味がない。ユディットはそういう人間だった。
「退屈な人生だな」
「裕福に育った代償のようなものです」
「じゃあ、全部捨てちまえ」
いつの間にかぐるっとまわって広場に戻ってきていた。イーリスは王城を背にしてユディットをまっすぐ見つめて、そう言ったのだ。
「何もかも捨てちまえば楽になれる。その手助けをアタシがしてやるよ」




