第26話
なんだ、思ったより転機は早く訪れそうだなとイーリスは笑みが零れる。ヴェルターが心配せずとも、ハイデマリーはクラウスといれば成長できる。感情を知り、社交界に戻ることがあっても、やはり血の争えない性格になるだろう。そう確信する。それがクラウス・ヴィンケルマンの良さなのだ。
「さあ、そろそろです。私は外で馬車の番をしていますので」
「サンキュー、クラウス。少し時間が掛かるかもしれないが頼むよ」
二人は馬車を降り、クラウスを残してツッカークランツへ入る。玄関にいた使用人は、既に名簿にあるイーリスとユディットの招待状は確認せず、顔パスでの通行を許す。今度は堂々とサロンの会場に姿を見せた。
ツッカークランツは既に多くの貴族たちが集まっている。皇帝の生誕祭を理由に首都へ訪れて集まり、紳士淑女の嗜みと言いながら巨額の賭博に興じているのだ。大金が右へ左へ動く様が彼らには愉快で仕方なかった。
しかし、そんなものがどうでもよくなるくらい、彼らには衝撃的なことが起きた。魔女がサロンにやってきたのだ。ほとんどの人間を寄せ付けない魔女が。
「いらっしゃい! 本当に来てくれたのね、イーリス!」
「ヘイ、ラモーナ。例の件が解決できたんで、礼を言いにな」
今日という日がラモーナにとっては最高の日になる。魔女がサロンへ来て、ましてや自分と親しく話しているのだから、一気に家門の価値はあがっていく。
「もうテオボルドが捕まった件は朝に聞いたわ。上手くやったのね」
「お前が借用証を譲ってくれたからだよ。おかげで第三騎士団も動いた」
「あら、嬉しい言葉だわ。さあさ、少し遊んでいってくださらない?」
「もちろん。お前と遊びに来たんだ。賭けをしよう」
イーリスが指をぱちんと鳴らすと、どこからともなく金貨の詰まった袋が現れた。それをユディットに渡して、近くのテーブルに付く。
「やろうぜ。得意なんだろ、ヴァン・エ・アン」
「……あなた、まさか本気で言ってる?」
ツッカークランツでは無敗の王者。イカサマではなく気迫で多くの貴族から資産を奪い、喰らい尽くしてきた賭博の女王。その最も得意とする『ヴァン・エ・アン』で勝負を挑まれるとは思っていなかった。それでは勝ちは決まったようなもの。なんの誇張もなく、イーリスはそのゲームが弱いからだ。
負けるはずがないのに、そんな勝負を挑むなんてどうかしてる。ラモーナは疑ったが、魔女の不敵な微笑みの意図にハッと気付くと席に着く。
「いいわ、やりましょう。……いいのよね、本当に」
「そのために用意した金だ。遊ばなくちゃ面白くないだろ?」
袋には金貨がパンパンに詰まっている。大金が動くとなると、サロンに来ていた者たちの熱気は最高潮になる。あの魔女と賭博の女王が賭け事をするなど、おそらく生涯で今だけしか見られない光景だと誰もが興奮した。
「……あなたと同じだけの額を賭けるわ」
「ならアタシは金貨を五枚」
五枚でも十分が過ぎる大金だ。ラモーナは理解していても震えた。これが歴史に残るであろう、ツッカークランツにおける────女王の最初の敗北になる。
「ではわたくしも金貨を五枚。始めましょうか、ヴァン・エ・アンを」
勝負が始まると貴族たちは皆が口を閉ざす。いつものように空気も読まず会話に花を咲かせて騒がしくするところが、二人の白熱した勝負に見入っていた。最初は順調に勝ちを稼ぐラモーナに対して、途端にイーリスが巻き返し始める。取って、取られてを繰り返し、十二試合目。真剣勝負はゆうに一時間を過ぎた。
その全ては仕組まれた流れ。互いにそれとなく情報を開示しながら相手に勝ち星を譲って、良い勝負を演じる。そして最後の試合となり、皆が歓声をあげた。目の前で起きたのは、イーリスが『21』を揃えて問答無用の勝利を掴み取るという奇跡。圧倒的強者であったラモーナが、ツッカークランツの歴史で初めての主催者の敗北を喫した瞬間。テオボルドの話題など瞬く間に踏み潰されるほどの勢いがあった。
「負けたわ……。アダン、彼女たちに同じ額の金貨を用意しなさい」
「既にご用意しております、お嬢様」
使用人が金貨の詰まった袋をユディットに渡す。既に彼女の手にはふたつも重い袋が持たされていて、少し重たそうな顔を浮かべた。
「楽しかったぜ、ラモーナ」
「こちらこそ。また来ていただけるのかしら?」
「数年以内には顔を出すよ」
口約束だが、貴族たちがそれを聞くと、またざわつき始めた。主催者であるラモーナが魔女との強い繋がりを持っているのだと分かり、下世話な話題が尽きないとばかりに嬉々とした表情で口々に語り合っている。
「玄関まで見送るわ」
「いや、いいよ。これだけの騒ぎだ、お前がいないと纏まらないだろ」
軽いハグを交わした後、イーリスはユディットを連れてサロンを出ていく。待っていたクラウスの馬車に乗り込み、どさっと金貨の袋を置いた。
「おや、サロンに入っていったかと思えば遊んでいらしたんですか?」
クラウスが困り顔で笑みを見せる。今までで一番退屈な時間だったと言わんばかりの様子にイーリスは堂々と袋の中から金貨をつまんで見せた。
「お前にやるよ。アタシは金貨なんざ殆ど使わないからな」
「ハハハ。それは嬉しい話ですが遠慮しておきます」
「なんだよ~、つまんない奴だな。なあユディット?」
話を振られたユディットは焦った様子で、首をぶんぶん横に振った。
「ど、同意しませんよ……!? 私の立場も考えてください!」
「あははっ! ジョークだよ、まったく面白い奴だなあ」
けらけら笑って、手で弄んでいた金貨を袋の中に戻す。
ジッと見つめていたユディットは、不思議そうに尋ねた。
「ところで、どうしてラモーナ嬢は自ら負けたのでしょう。どう考えても、イーリスが勝てる可能性などなかったでしょうに。あなた、素人ですよね?」
腑に落ちなかった。最後まで勝っていれば賭博の女王としての威厳は保てただろう。魔女に負けることでサロンの格が落ちることはないにしても、負ける理由が分からない。勝った方が名声を得たのではないか、と。
イーリスは遠ざかっていくサロンを眺めて、ニヤリとする。
「価値のある敗北は勝利に勝るものさ。あいつは自分の二つ名に傷を付けてでも、得られる莫大な利益を優先できる女だ。なにせ、ただの渾名なんぞは金にならない。むしろ誰も挑まなくなる。それは価値があるように見えるか?」
その答えが、ユディットにはもう分かっている。価値のある敗北と言われれば、ある意味では自分の選んだ道も、それに等しかったから。
「ふふ、自由な令嬢なのですね。何者にも縛られず利益を追求して、ただありのまま欲しいものを手に入れようとする。ラモーナ嬢らしくはあります」
「ありゃ生粋の金好きだからな。誰よりも貴族に向いてる」
多くの者が、畏れ多いと言って魔女に触れられない。ラモーナは違う。たとえリスクを冒してでも得られるもののためならば命さえ賭けられる。富も名声も、立っているだけでは手に入らないことを理解しているのだ。
宝石は磨かなければ。莫大な金は使わなければ、ただの鉱物に過ぎない。とにかく集めて、とにかく使う。自分の人生を彩るための手段として。それがファーレン侯爵令嬢、ラモーナ・ファーレンの自分に忠実な生き方だった。
「お前も、ああなれとは言わないけど、もっと気楽にあれくらい自分に貪欲で居たほうが良い。でなきゃ退屈な日常にうんざりしちまうだろう?」
「……ふふ、まったく同意見です」




