第24話
テオボルドは見た目ほど老いてはいない。ぱっと見れば五十代だが、実際の年齢はそこから十は若い。ただ、その外見と性格の悪さから婚約相手さえ見つからず、歴史あるヴォイルシュ子爵家で初めて後継ぎがいないままだった。
そこへ都合よく手に入れたルッツの横領の証拠は彼にとって都合が良かった。さして好みではないものの、ヴァルトシュタインの一人娘であればヴォイルシュの格にも釣り合うか、自分の格があがるというもの。これを逃す手はない、とルッツに証拠隠滅を手伝う代わりに娘を差し出すことだった。
ルッツには決して都合の悪い話ではない。子供に恵まれず、女子であったユディットを騎士として厳しく育てたが、ヴァルトシュタインを継がせるのは原則的に難しい。血を途絶えさせないためにも格の落ちない家門との婚姻が必要になった。だから脅されたとはいえテオボルドの提案は魅力もあったのだ。
しかし、大きな問題が生じたのは、そのあとだ。元々テオボルドはギャンブルに傾倒しており、少額ずつとはいえサロンに出入りする頻度も増えていた。そして、ついに狙われてしまった。その資産を丸呑みしようとする蛇に。
「────元々、テオボルドが大きな借金を抱えたのが二年前。そのときは、一年で完済できるという言質のもとでラモーナに見逃されていたに過ぎん。横領はその直後から始まったのだろう。だが、それが上手くいって、派手に遊ぶようになった。愚か者らしい結末だった。よもや娶った娘に暴かれるとはな」
順調に思っていた家門同士の結託も、結局は足を引っ張り合って共倒れだ。そこそこに古くから存在する二大家門が同時に消えたとなると、未来永劫語り継がれる大事件だったとも言えた。それを解体したのが当事者の女騎士と、それに手を貸す魔女によるものなのだから。
「ま、必然だろ。遅かれ早かれ、テオボルドは自分で破滅しただろうぜ。結果的にルッツも道連れにして。他人を踏み台にした連中らしい最後じゃねえか」
イーリスが嘲笑う。高く積み重ね過ぎた罪は、彼らの足場として機能不全を起こしてしまった。いつかはそうなるかもしれないと薄々感じていながらも、やめられなかった人間の末路としては良い見世物になったと。
「それより、お前はそんな話をするつもりで部屋に来たのかよ?」
「報告は必要だったかと思ってな。全ては仕組まれていたことだ、ユディットに罪がないことは公爵家が保証しよう。貴族たちが批判的になることはない」
除名は免れない。あくまで家門としての処分だ。とはいえ哀れに思う者はあってもユディット自身を非難する者はいない。自らが家門の悪事を暴き、処分まで進んで受けたのだ。罰を受けながらも、人々からは正義の使者として称賛すらされるであろうとヴェルターは言う。それがヴァルトシュタイン家の最後の功績だ、と。
「それで、お前たちはこれからどうするつもりだ」
「アタシはツッカークランツに顔を出すよ。ラモーナとの約束がある」
「……ふう、どいつもこいつも取引が好きなようだな」
「感情に左右されるのはお前くらいだろ。自分の娘を見たことあるか?」
指摘されるとヴェルターも黙り込んだ。ハイデマリーは感情に左右されず、ただ善悪の区別を付けているだけの現実主義に満ちている。父親とは異なり、それが自分たちの利益になるとなれば、遠慮なく手を伸ばす。もし彼女が取り仕切っていたのなら、すべての手柄は正しく第三騎士団のものとなっていた。
一方で父親のヴェルターは違う。タダでは動かないが、かといって現実主義者というほどでもない。自分たちの手柄にすべきところでも、イーリスやユディットに席を譲るくらいには他人に寄り添う生き方を知っている。
「俺とハイデマリーは違う。だが、いつかあいつも分かるときがくる。ただ見えている現実に従うだけでは、得られる未来など限られるのだと」
貴族という誇りに生きるのは大いに結構だ。公爵家なのだから、多少の図々しさも持ち合わせていなければ、社交界では目立てない。だが、だからといってそれだけではいずれ手から全て零れ落ちる。そんなものはいくらでも見てきた。ルッツやテオボルドにしてもそうだ。過ぎた行いに身を滅ぼしたとき、誰も彼らの良い側面を見出さない。見出せない。どう悪人であったかだけを口々に語る。積み重ねてきた悪事が。辿ってきた道程が。いざというときの命綱すら切ってしまう。あるはずの救いを手放してしまう。ハイデマリーは今、どちらに転んでもおかしくなかった。
「そりゃ心配しすぎだぜ、お父さん。お前の娘はそんなに馬鹿じゃねえさ。今は忙しいだけで、そのうちお前にそっくりに育つよ、あいつは」
「だといいんだが……。と、少し話しすぎたな。そろそろ出るか?」
次々と自分たちの領地に戻る貴族たちの迎えが来る中、馬車も持たず従者もいないイーリスには移動手段がない。そのためジーモンが労いも兼ねて、駅までの送迎馬車を用意してある。今頃は前庭に停めてある馬車で、御者があくびでもして待っているかもしれない。イーリスは仕方なくベッドから立ち上がった。
「行くぞ、ユディット。お前も行くだろ、ツッカークランツ」
「はい。ラモーナ様にはお世話になりましたから、私もご挨拶に」
好ましくはない場所だが、ラモーナの借用証がなければヴェルターの協力を得るのも怪しかった。にも拘わらず顔を出さないでは恥知らずもいいところ。ユディットは今日くらいなら我慢しよう、とイーリスと共に部屋を発った。
「お前たちとはこれでまた、しばらくは会うこともないだろう。何か問題があればエーバーハルト公爵家の名前を使えばいい。見返りも必要ない」
「お、太っ腹だねぇ。じゃあ遠慮なくそうするよ」
奇抜で先鋭的な外見の魔女だが、意外にも知名度はない。行く先々でうわさはされていても、ただ風変わりなだけでは黙っていると見向きもされない。そのせいか、自分を知っている者以外には魔女だと名乗っても信じてもらえず融通が利かないことも多い。エーバーハルトの名前を借りられるのは都合が良かった。
「俺の家門が手を貸すと決めた相手にはこれを渡している。受け取れ、これがあればどこで名前を出しても通用する」
渡されたのは家紋を彫った金貨だ。貨幣としての価値はないが、与えられた者はエーバーハルト公爵家の庇護のもとにあることを証明するため、どこの誰であろうとも平伏するほどの権力の象徴であるとも言える。
「へー、面白いもん作ってるな。渡してくれるのはアタシの分だけか?」
「……まあ、そのつもりだ。二枚も必要ないだろう」
ヴェルターがふいっと気まずそうに視線を逸らす。理解できなかったのは一瞬だけで、まるで二人の関係について知るところがあるふうな態度に、イーリスが気付いて腕を引っ張って小声で言った。
「お前、まさか見てないよな?」
「俺は声を掛けてから開けたぞ。お前たちが気付かなかった」
「やっぱり見てるじゃねえか。勘違いするなよ、あれは……」
「なに、はぐらかす必要はない。エーバーハルトは偏見を持たない」
イーリスが頭をバシッと叩いてふん、と鼻を鳴らす。
「違うっつってるだろーが。あれはユディットが裸で────」
「そういう話はしてはいけないでしょう、イーリス」
僅かに大きな手がイーリスの口を覆う。笑顔だが明らかに脅すようなユディットの表情を見て、魔女の肩書を忘れるほど恐ろしい存在もいるのだと思った。




