第1話
がたんごとんと列車が揺れる。窓際の席に座って景色を眺めながら、組んだ足の上に分厚い本を広げるのは、黒い長髪をざんばらに纏めたポニーテールの若い女。細い肩紐で吊っただけの袖のない黒のトップスには、割れた十字架を骸骨が抱くといった宗教を顧みないデザインが描かれていた。
白い肌に深紅の瞳を持つ女は、さながら書物に見る吸血鬼のようだった。美しく、そして爪を黒く塗っているのも特徴的だ。レースのロンググローブにしろ、革のショートパンツにしろ、身に着けるものは何もかもが黒一色に染められた。
目的地が見えてくると列車は徐に速度を落としていく。女は静かに本を閉じた。忘れ物がないかと軽く席を見渡してから、降りる準備を済ませる。ふと眺めた窓の外に見える賑わいにチッと強く舌を鳴らす。
片耳につけた百合のピアスを指でつまむように触れて、ため息を吐く。
「こういうの嫌いなんだよな」
乗客たちが列車を降りると駅には人が詰めかける。皇都にやってくる魔女を一目見るためだ。年に一度の皇帝の生誕祝いにパーティが開かれ、今年はそこへ魔女が招待されたとあって、皇都は大きな盛り上がりを見せていた。
駅に来ているのは市民だけではない。皇国を守護する騎士団が魔女の警護と送迎のために箱馬車を用意し、市民たちの暴走を抑えて待った。
「お待ちしておりました、イーリス・ブレンヒルト様。騎士団長のクラウスと団長補佐のユディットと申します。皇帝の命によりお迎えにあがりました」
他の騎士たちとは違い制服に豪奢な羽織を纏う二人の騎士が、胸に手を当てて深くお辞儀をする。ゴシック風な服装に身を包む女は、嫌そうな顔をして視線を遠くにやり、ピアスを指でつまむように摩った。
「そういう仰々しいのやめてくれないかな、ウザいんだけど」
クラウスは顔を上げて、にこやかに腰に手を当てながら。
「ハハハ、そうはいきません。皇国の貴賓であらせられる魔女様をお迎えするのは騎士の務めです。どうか受け入れて頂きたい」
愛想笑いが鼻につく男だ、とイーリスは目を合わせない。
「……じゃあ、せめてその魔女様ってのはやめろ」
「仰せのままに。ではイーリス様、馬車をご用意しております。念のため護衛としてユディットが同席いたします」
隣にいた女の騎士が微笑み、また小さくお辞儀する。
「ユディット・ヴァルトシュタインと申します。よろしくお願い致します」
美しい金色のロングウルフヘアが風に揺れる。凛としていて鼻筋の通った、美しい中性的な顔立ち。体を動かして汗水流す騎士団には珍しかった。
「ま、なんでもいいけど……」
片手に抱えていた分厚い本をユディットに預けて馬車に乗り込む。魔女を呼ぶ声が騒がしい。無視しても良かったが、子供の姿が見えるとイーリスはやんわりと微笑んで手を振り返す。
「イーリス様は子供がお好きなのですね」
対面に座ったユディットが意外そうに尋ねる。魔女の噂はよく聞いていた。冷酷で人間嫌いの変わり者。子供などもってのほかだと。自身の富と名声のために皇帝と密約を交わしてるとの話すら耳に入ってくる。
そんな人間が、子供にやさしい笑顔を見せたのだから驚きだった。
「どうせロクでもない噂が流れてるんだろ。人を頭から喰ったとか」
「不快にさせたのなら申し訳ありません。イーリス様もうわさは耳に?」
「嫌と言うほど入ってくるよ。でも気にしてたらキリがない」
魔女の評判はいつも悪い。神のしもべを自称する神殿の信徒たちは魔女を呪われているといって非難する。魔法は神の領域に踏み込もうとする悪魔の所業であり、断罪されるべきだという過激派も存在した。
彼らは排斥派と呼ばれ、人々に神の良さを説き、尊い命について語りながら、魔女に対するありもしない悪評を振りまいている。そうして世論を操り、魔女を悪いものだと仕立て上げるのが当たり前。
だが、そんな噂の効果は大きなものだ。実際に魔女を肯定する人々も多く世論は半々に分かれているが、否定派は攻撃的な態度で罵詈雑言を吐く。だから魔女は存在をほとんど知られていない。皇都のように神殿の力が強く及ばない場所だけが、自由に息を吸えると言っても過言ではない。
「皇家とは昔から親交が厚くてね。お互いに知った仲だから仕事を請けてやることはあるよ。それを密約だって言うなら、あながち間違いじゃない」
イーリスの魔法は多彩で、あらゆる方面に役立つ。精神的に不安定な人間を前向きにさせたり、軽い未来視もできる。汚れた川は原因を取り除けるし、乾いた土地には豊かさをもたらす。神の偉業にも等しい行いだ。神殿が冒涜的だと言うのも無理はないと、彼女自身もそう思っていた。
「悪い噂の大概は神殿の奴らが流してんだよ。連中は聖女こそ救世主、魔女は悪しき悪魔の手先!……って騒ぐのが仕事だからさ」
「イーリス様も大変ですね。私は味方ですからご安心ください」
くすっ、と笑うユディットを見てイーリスは嘘つき、と口先を尖らせた。
「ヴァルトシュタインは神殿寄りの人間だろ」
「それは家門の話で、私個人としては不可知論者なので信仰心は曖昧です」
「あの恥知らずの親父が許すのか、そんなの?」
「建前は信心深く振る舞ってますから」
騎士の家門の中でヴァルトシュタイン家は敬虔な信徒で、魔女排斥派ではないものの、神殿との関係を鑑みて魔女とは基本的に関わらない。これまでも何度か宴の席で顔を合わせたものの、イーリスは話したこともなかった。それどころか、まるで汚物でも見るような眼で見て、陰で悪しざまに評していたのだ。
そんな当主とは真逆の性格であるユディットに、あの男がどう育てれば、こうも聖人のような性格に育つのだろうかと可笑しくなった。
「お前、面白いね。仲良くなれそうだ」
「光栄です、イーリス様。……あぁ、でもそろそろ到着です」
楽しい時間は短いものだ。せっかく打ち解けてきたところで、イーリスとユディットにはお別れの時間がやってきた。王城の門が開き、見応えのある手入れの行き届いた前提を眺めながら、城の入り口で馬車が停まった。
「少しですが本音でお話ができて楽しかったです、イーリス様」
「こちらこそ。退屈せずに済んだよ」
ユディットの手を借りて馬車を降り、預けていた本を受け取る。城に入ってからのエスコートを担当するのはクラウスだ。前任が年齢を理由に引退して三年。新たな騎士団長は若く、礼儀正しい青年に違いない。
だが、そういう無欠な人間がイーリスはあまり好きになれなかった。
「ではイーリス様。ここからはクラウス・ヴィンケルマンがエスコートいたします。生誕祭の祝宴が開かれる前に、昼食をと陛下が仰っていましたので」
「なんでアタシがあいつのご機嫌伺いなんざ」
めんどくさそうに本の背表紙で肩をトントン叩く。クラウスが苦笑いした。
「申し訳ありませんが、同席して頂けると助かります。でないと後で他の方々が気苦労を背負うことになりますので、人助けと思って頂けると」
皇帝の機嫌を損ねると、その後始末は他の者がする羽目になる。特に護衛として付く騎士はネチネチと小言を言われ続けてしまう。行動ひとつで大勢に迷惑が掛かるのだと言われているようで、イーリスは不服だった。
「じゃあ伝えといてやるよ。自分の機嫌の尻拭いくらい自分でやれって」
「ハハハ。ご冗談を……おや、まさか冗談でない?」
「嫌なら昼食にはいかない。アタシは御機嫌取りに来たんじゃないんだ」
中指を立てようとして、クラウスがそっと手で遮った。
「仕方ありません。それでは陛下にお伝えしておきますので、部屋にご案内しましょう。ご不便も多いでしょうから、メイドをご用意します」
城は広いだけでなく構造も複雑だ。慣れていない人間が出歩けば、目的地に辿り着かないどころか自分の部屋がどこだったかも分からなくなる。たしかにメイドのひとりくらいは必要だ、と思いながらも知らない顔と過ごすのは気が進まない。
「聞くけど、それは頼めばメイド以外でも指名できるか?」
「城の構造を理解している者であれば、どのような者でも構いません」
都合がいい、とイーリスは指を鳴らす。
「それならユディット・ヴァルトシュタインを指名させてもらおうか」




