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天然小悪魔系猫後輩

——秋の昼下がり。風に舞う落ち葉が、校庭をカラカラと転がっていた。


五時間目の授業が終わり、俺——みなと ひかるは、教室から廊下に出て

大きく伸びをした。


(……眠い)


窓の外は高く澄んだ秋空。だけど風はすっかり冷たくなっていて、

制服の上着を羽織る生徒も増えてきた。


そんな季節の中——


「せんぱ〜いっ♡」


その声がした瞬間、俺は条件反射で身構えた。


「うおっ……! またかよ!」


背中にふわっと飛びついてきたその柔らかさは、もうお馴染みだった。


「びっくりするからやめろって、凛」


「えへへ〜、驚く先輩、かわいくて好きだもんっ♪」


いたずらっぽく笑って、俺の腕にぴたっとくっついてくるのは

——天音あまね りん


一学年下の後輩で、小柄で華奢、猫みたいに気まぐれで人懐っこい、

“天然小悪魔系”の女子だ。


(っていうか、誰にでもこんな感じなのかと思ったけど……)


少なくとも、俺の知る限り、ここまでグイグイくる相手はそう多くない。

おそらく彼女なりに「選んでいる」んだろう。


「……ったく、廊下でくっつくなって。先生に見られたら面倒だろ」


「先生も見て見ぬふりしてるよ、きっと。私がかわいすぎて!」


「はいはい」


俺は肩をすくめながらも、内心少しだけ頬が熱くなっていた。


「それよりさ〜、今日の購買ってチョコ蒸しパン入ってると思う?」


「知らん。毎回売り切れてんじゃね?」


「え〜、じゃあ先輩の力で確保してきてよ。ほら、こう……上級生の圧とかで!」


「そんな力、持ち合わせてません」


「ちぇ〜……じゃあ一緒に行こっ。寒いし、手つないで?」


「なんでだよ」


「だってあったかいじゃん?」


どこまで本気なのか分からない。けど、こっちの動揺を察してるのは確かだ。


(……この手の“挑発”は慣れてるつもりだったけど、やりにくいな)


今まで“落としてきた”ヒロインたちは、それぞれに仮面を持っていた。


けど、凛には“隠してるもの”が見えない。素直で、自由奔放で、底が読めない。


まるで——最初から“素”のままで挑んできてるような、そんな感覚だった。


「先輩ってさ、最近ちょっとつまんなそうじゃない?」


「ん、そうか?」


「うん。なんかこう……前よりちょっと冷めてるっていうか」


「……」


「ねえ、もしかして、誰かにフラれた?」


「いや、別に」


「そっか〜、じゃあ今はフリーだ?」


「まぁ……今はフリーっちゃフリーだな」


「んふふっ♪ よかった〜。じゃあ私にもチャンスあるってことだよね?」


「……お前、狙って言ってる?」


「うーん? ノリ半分、本気半分?」


絶妙なバランスで踏み込んでくる。その一言一言が、俺のペースを崩してくる。


(やっぱこいつ、ただの天然じゃない。意図して“落としに”きてる)


……だったら、乗ってやるしかない。


俺がやっているこの“遊び”にはルールがある。


一つ。ヒロインを落とす。つまり「自分に好意を持たせる」こと。


二つ。あくまで心を揺らすだけ。


そして三つめ。落とすのは、俺の方。


「——なあ、凛」


「なあに?」


「お前って、男の扱い慣れてるよな。正直、ちょっと怖いくらい」


「うん、よく言われる〜♪」


「でも、そういうとこに慣れてないやつほど、コロッといくんだよな」


「え、じゃあ先輩もそのタイプ?」


「さあ、どうだろう。試してみる?」


「試してみようかなぁ〜。先輩の“好きなタイプ”とか、

今度じっくり聞いちゃおっかな」


「……それ、逆に俺が仕掛ける側でもいい?」


「え〜? ずるい。先に落とすのは私の予定だったのに〜」


「それ、完全に言ってること矛盾してるぞ」


「いーの、女の子には気まぐれ特権があるんだからっ」


凛はくるくると表情を変えて笑った。


その笑顔の裏に、計算があるのか、それとも本心だけなのか——未だ読めない。


でも、読めないからこそ、俺はこうして惹かれているのかもしれない。


秋の空は高く澄んでいて、遠くから文化祭の名残のポスターが風に揺れていた。


校庭のベンチで隣に座る凛が、ふとつぶやく。


「ねぇ、光先輩ってさ。なんか、ちょっと寂しそうなときあるよね」


「……俺が?」


「うん。たぶん、誰も見てないときとか。後ろ姿とかが、なんとなく」


「……そんな風に見えるか?」


「見えるよ。私、ちゃんと見てるもん」


ぽそっと、小さな声。


それはふざけた様子じゃなくて、真剣だった。


(……この子、思ってたよりずっと、繊細かもな)


そして俺もまた、思ってたよりずっと、この子に心を掴まれているのかもしれない。


——この“ゲーム”、いつもの手は通じなさそうだ。


でも、それが逆に、楽しい。


次のヒロインは、“小悪魔系後輩”・天音凛。


おそらくこの出会いが、俺の挑戦に新しい風を吹き込んでくれる。


そして、俺は——


必ずこの子を“本気”にさせてみせる。

***

翌日。


昼休みの中庭、いつものように購買でパンを買ってきた俺は、

ベンチに腰掛けていた。


今日はチョコ蒸しパンが奇跡的に残っていて、

なんとなく“勝者の気分”でひと口頬張る。


——と、風のように現れた影が、すぐ隣に落ちてきた。


「先輩〜っ♡」


「うおっ!」


「チョコ蒸しパン! やったー!」


「……まさか狙ってただろ」


「うん♡ でも取られる前に買ってきてくれるなんて、やっぱりできる男だね〜?」


にっこり笑って当然のように俺のパンを奪い、一口かじる。


「おい!」


「んー、おいし♪ ってか、これ“ふたりで半分こ”ってことでいいよね?」


「……もう遅いだろ」


小悪魔的というか、遠慮がなさすぎる。


けど、不思議と腹は立たなかった。


「先輩、そうやって誰にでも優しいの?」


「いや、別にそうでもないぞ」


「ふーん……じゃあ、私だけ特別?」


「いや、むしろお前の方が図々しいだろ」


「えへへ、特別扱いありがと♡」


俺のツッコミなんて気にせず、凛は笑顔を浮かべる。


その姿はまるで、太陽の光をそのまま纏ったように明るくて。


(……ほんと、読めないやつ)


こっちが構えればかわされて、気を抜いたところに急所を突かれる感じ。


「そうだ! 放課後さ、体育館裏の廃倉庫、行こうよ」


「……は? なんでいきなりホラースポット?」


「え、怖いの? 先輩って意外とビビり〜?」


「いや、意味がわからん」


「前から気になってたんだよね。誰も使ってない倉庫に何があるのか!

ミステリーロマン感じない?」


「文化祭終わってもテンション残ってんの、お前くらいだぞ……」


「ん〜、つまり付き合ってくれるってことだよね?♡」


このやりとりだけで、もう完全に主導権を握られていた。


(……くそっ、楽しいけど悔しい)


* * *


放課後。


俺はまんまと凛に引きずられて、学校の裏手にある旧倉庫へと足を踏み入れていた。


「うわっ、マジで埃っぽ……!」


「静かにっ。声響いちゃうってば」


「いや、お前が先に叫んだんだろ……」


「しーっ! 今は“探検”中なの!」


なんなんだこのテンション……と半ば呆れながらも、俺は懐中電灯で足元を照らす。


使われなくなった体育用品や古い椅子が積み上がった倉庫の奥で、凛はきらきらと

目を輝かせていた。


「ねえねえ、こっちに古いトロフィーある!“昭和57年度”って書いてあるけど、

何年前!? 歴史感じる〜!」


「そりゃ感じるだろ……ってか、なんでそんな楽しそうなんだよ」


「えへへ、探検とか宝探しとか、大好きなんだよね。こういう場所って、

ちょっとだけ“秘密基地”っぽくてワクワクしない?」


「ま、まあ……言われてみれば分かる」


「でしょ? あ、でも——」


凛は急に真面目な顔をして、俺の顔を覗き込んできた。


「ここ、ふたりだけの秘密ってことで。ね?」


「……秘密?」


「うん。誰にも言っちゃダメだよ? 今日ここに来たこと。

先輩とふたりきりだったことも」


「……なんでだよ」


「ふふ。秘密ってさ、共有するとちょっと特別な関係になれる気がするじゃん?」


またそれだ。


軽いようでいて、絶妙に心をくすぐってくる言葉。


「……ずるいよな、お前」


「えー? どこが?」


「そうやって、“自分は何とも思ってません”みたいな顔で、相手を揺さぶるとこ」


「うん。自覚ある」


きっぱり言われた。


「じゃあやめろよ」


「やだ♡」


俺は深いため息を吐いた。


でも、少しだけ口元が緩んでる自分に気づく。


「じゃあ……お前に言われたとおり、ここは“秘密基地”ってことでいいか」


「やった〜♪」


凛は嬉しそうに両手を広げて、そのまま俺の腕に飛び込んできた。


「……おい、くっつくなって」


「寒いんだもーん。先輩、あったか〜い」


「……お前、絶対わざとやってるだろ」


「ふふっ、バレた?」


俺たちはそんな風に笑い合いながら、埃っぽい倉庫の隅に座り込んだ。


窓の外では、夕陽が少しずつ傾いていく。


倉庫の中はひんやりとしていたけど、なぜかその時間はやけにあたたかく感じた。


「……先輩ってさ、ほんとはちょっと寂しがり屋でしょ」


「……またそれ言う?」


「うん。でもそれが悪いとは思わないよ」


凛は、今度は真っ直ぐ俺の目を見て言った。


「私もね、結構そういうとこあるから」


「……お前が?」


「意外? でもさ、小さい頃から“明るい子”って言われると、ずっとそのイメージを壊しちゃいけない気がして。寂しいとか、しんどいとか、

言っちゃいけない気がしてた」


「……そっか」


「でも、先輩の前では、ちょっとだけ甘えてもいいかな〜って思える」


「……それ、本気?」


「んー、半分くらい?」


「またそれかよ」


「ふふっ。でも、先輩も似たようなとこあるでしょ? 本音、全部は言わないタイプでしょ?」


図星だった。


俺は軽く苦笑する。


「……お前って、ほんとズルいな」


「先輩もね♡」


夕暮れの中、ふたりだけの秘密が増えていく。


その時間が、妙に心地よかった。


——俺がこのゲームで追い求めていたのは、

もしかしたらこういう感情だったのかもしれない。


(……でも、それはまだ“気のせい”ってことにしておこう)


***


放課後の帰り道。校門の前で靴紐を結び直していた俺の視界に、

ぴょこっと誰かの顔が割り込んできた。


「にゃー。せんぱい、暇そ〜?」


「……いや、いきなり視界に猫出てくるの反則だろ」


「猫じゃないよ、天使でしょ?」


悪びれもなく笑っていたのは、天音凛。

今日も相変わらず、ふにゃっとした笑顔で俺を翻弄してくる。


「ところでさ、せんぱい。ひとりで帰るところだったんだよね?」


「まあ、そうだけど……」


「じゃあさ、ついでに寄り道しない? 甘いものとか食べたい気分なんだよね〜」


「ついでってなんだよ、誰の“ついで”だよ」


「もちろん、私のついで。……でしょ?」


小さな手が俺の袖をつまんで引っ張る。

断れるわけがなかった。


* * *


連れてこられたのは、学校近くの小さなクレープ屋だった。

放課後の時間帯には珍しく空いていて、店内は落ち着いた雰囲気。


「せんぱい、何味にする? チョコバナナ? それとも、王道いちご?」


「俺は……チョコバナナで」


「ふふん、甘党なんだ? ギャップ萌えってやつか〜」


「うるさいよ。お前は何にするんだよ」


「私は抹茶チーズクリーム! 気分で選んだよ?」


店員に注文を伝えてから席に着くと、凛は足をぶらぶらさせながら、

カウンター越しの調理をじっと見つめていた。


「ねえ、せんぱい。こういうの、初めて?」


「クレープ? いや、何度かはあるけど」


「違うよ。後輩と放課後に、こうして甘いもの食べるシチュエーション」


「……ないかもな」


「そっか。じゃあ記念すべき第一号ってことで」


「お前、さっきからやたら距離感おかしいよな?」


「え、いまさら?」


凛は小首を傾げて、悪戯っぽく笑う。


「せんぱいのこと、なんとなーく気になるから、

ちょっとくらい図々しくしてもいいかなって思っただけ」


「“なんとなく”って、便利な言葉だな」


「うん。でも、結構本気かも」


静かに出されたクレープを手に取って、彼女は一口かじる。

その仕草が、なぜか妙に色っぽかった。


「甘っ……! でも、おいし〜!」


「子供かよ」


「なにそれ、褒めてる?」


「……まあ、美味そうに食べる姿は可愛いと思うよ」


「わっ、出た〜。せんぱいの口説き文句、ナチュラルでずるい〜!」


照れ隠しなのか、凛はクレープの包み紙で俺の顔をちょんと突いてくる。


「でも、そういうとこが好きなんだよね〜。なんていうか……せんぱいって、

変にガツガツしてないから楽」


「お前、俺が何考えてるか分かってて言ってんのか?」


「さあ? 分かんないな〜?」


そう言いつつも、凛の瞳はどこか真剣だった。


* * *


店を出たあと、川沿いの道を歩く。


空は赤く染まり始めていて、風はほんのり秋の香りを運んでくる。


「ねえ、せんぱい。ちょっと立ち止まって」


「ん?」


「ほら、見て。夕焼けが水面に映って……キレイ」


「ほんとだ。……でもお前のほうが綺麗だけど」


「なにそれ、照れる〜!」


両手で顔を隠しながらも、指の隙間からこっそりこちらを覗いてる。

その仕草がいちいち反則級だ。


「……あのね」


「ん?」


「ほんとはさ、けっこう緊張してるの。こういうの、初めてだから」


「こういうの?」


「年上の男の人と、ちゃんと話すのも、一緒に歩くのも……初めて」


凛の言葉に、思わず足が止まった。


「え、マジで?」


「うん。だって、私ってからかわれてると思われることが多くて」


「……それで?」


「それでね。せんぱいと話すときも、最初はちょっとだけ試すような気持ちも

あった。どこまで冗談が通じるのかなーって」


「……で、どうだった?」


「……たまにムカつくけど、なんか安心する」


「ひどい言いぐさだな」


「ふふ。でも、それってけっこう特別なことだよ?」


凛は、俺の腕にそっと寄り添った。


「こうやって寄り添っても、せんぱいはちゃんと受け止めてくれそうだから」


「……お前、意外と大胆」


「いまさら?」


まるで猫が懐くように、凛は身体を俺に預けてくる。


川の音と、風の音と、彼女の声だけが、静かに耳に届いていた。


「ねえ、せんぱい。私、今だけは……甘えてもいい?」


「……ああ、いいよ」


そのひとときは、確かに特別だった。


* * *


数日後の放課後。秋風が涼しくなってきたころ、校舎裏のベンチで、

俺は凛に呼び出されていた。


「はいっ、じゃーん!」


「……なにそれ?」


「見て分からない? お手製クッキーだよ!」


「まさか、俺のために?」


「うん。せんぱい限定。ラブ注入済みのやつね」


「ちょっと古くない? その言い回し」


「うるさ〜い! ノリで言ったんだもん」


むくれながらクッキーの袋を突き出してくるその仕草が、まるで子猫みたいだった。


俺はひとつを口に運んで、もぐもぐと味わう。


「……うん。普通にうまい」


「でしょ? 焦がしてないから!」


「基準低くない?」


「むぅ……ちょっとは素直に褒めてよ」


「美味しいよ、ほんと。ありがとう」


「ふふ〜ん♪ よしっ、じゃあ次はケーキかなー。スイートポテトもいいし、

マカロンでも作ってみようかなー」


「おいおい、フルコースかよ」


「せんぱいが受け取ってくれるなら、なんでも作っちゃうよ?」


「そろそろ“料理系女子”にキャラチェンジか?」


「いやいや、私は“小悪魔系”一筋ですから!」


ベンチの上で足をぶらぶらさせながら、凛は楽しそうに笑っていた。


そんな彼女を見て、ふと胸の奥に、じんわりとした温かさが広がった。


——なんだろう、この感覚。


遊び半分で始めたこの“ゲーム”。

でも今は、それだけじゃ割り切れない感情がある。


「せんぱい。……ねえ、ちょっと聞いていい?」


「ん?」


「……私って、“落ちて”る?」


「……!」


不意を突かれて、息が詰まる。


「別に、付き合ってくださいって言いたいわけじゃないよ? でもね、

なんかこう……最近、自分でもちょっと変だなって思うの」


「変って?」


「気がつくと、せんぱいのこと考えてるし。今日話せたこと、

あとから思い出してニヤニヤしちゃうし。次に会うの楽しみで、

おしゃれに気を使ったりして……」


凛は頬を染めながら、そっと目を伏せた。


「たぶんこれって……恋、だよね?」


俺は返す言葉を失った。


(——また、やっちまった)


今回も、“落とす”ことに成功した。


でも、凛の表情を見ていると、素直に喜べない。


彼女はただ、無邪気に俺に心を向けてくれただけだ。


その気持ちを、“遊び”で受け止めていいのか?


「……ねえ、せんぱい」


「……ああ」


「返事、いらないよ。付き合いたいって言わないし。でも……」


凛は、そっと俺の手を取る。


「“好き”って言わせて?」


「……!」


「本気だから。嘘じゃないよ。だから、せんぱいはそのままでいて。

いまは、それだけで十分だから」


小さな手が、少しだけ震えていた。


でも、その声には曇りがなかった。


(——この子は、本当にまっすぐだ)


「……ありがとう」


俺の声は、かすかに震えていた。


「ふふ、ずるいよ、せんぱい。私がこんなに勇気出して言ったのに、

返事は“ありがとう”だけ?」


「……俺は」


「ううん、言わないで。それ以上は聞きたくない」


凛は、俺の手を優しく握ったあと、そっと離した。


「……これ以上は、私の勝手だから」


「凛……」


「でもね。ひとつだけ、お願いしてもいい?」


「なに?」


「次のヒロインのところへ行く前に、ちゃんと忘れないで。

私がここにいたこと。私が君を好きだったこと」


「……」


「それだけで、十分だから」


凛は、いたずらっぽく笑ってみせた。


でも、その目の奥にある切なさは、きっと俺だけに見えていた。


* * *


帰り道、凛と別れたあと。


夕暮れの商店街をひとり歩きながら、俺は深く息をついた。


空は、もうすっかり秋の色になっている。


赤く染まった雲の切れ間から、夜の帳が少しずつ顔を出し始めていた。


(……俺は、何をしてるんだろうな)


またひとり、俺は“落とした”。


それがルール。俺が自分に課した挑戦だったはず。


でも——


(こんなにも、心が痛いのはなんでだろう)


凛の笑顔が、何度も頭に浮かんでくる。


からかうような目。いたずらっぽい笑顔。

けれど、最後に見せたあの顔は——確かに、本物だった。


(……俺のほうが、落とされてるのかもしれないな)


スマホを取り出す。


次の“ターゲット”の情報はもうない。


一度頭の中で落としていない美少女がいないか思い浮かべてみたが、

指はなかなか動かなかった。


凛の言葉が、胸の中に残っていたから。


——“私が君を好きだったこと、忘れないで”


「ああ……忘れられるわけ、ないだろ」


ポツリとつぶやいて、俺は歩き出した。


恋はまだ終わらない。

でも、そのたびに俺は——誰かの心をもらっているのかもしれない。


そして、きっと。


俺の心も、少しずつ誰かに持っていかれているのだろう。


空の色が、ほんの少しだけ滲んで見えた。


——天音凛。

小悪魔系の後輩で、笑顔の天使。

だけど、あの瞬間だけは、本当の“恋する女の子”だった。


その姿を、俺は忘れられない。


【side天音凛】


——気づいたら、目で追ってた。


最初はね、ただ面白そうな先輩だな〜って思っただけだったの。

ちょっとカッコよくて、ちょっと余裕あって、でもなんかスキがあって。

それって“からかい甲斐”があるってことじゃん? だから、つい、

ちょっかい出しちゃったんだよね。


でもね。


あのとき——校庭のベンチで、わたしの「寂しそう」って言葉に、

びっくりした顔してたでしょ。

あの表情、たぶん、ずっと忘れないと思う。


わたし、昔から“明るい子”って言われてた。

笑ってれば大丈夫、みたいに勝手に思われてて。

ちょっとつらいときでも、ふざけてごまかしてきた。


だから、先輩の“ちょっと寂しそうな目”が、すごくよく分かったの。

……きっと、似てるんだと思う。


そう思った瞬間、急にね。

からかうだけじゃ足りないって思っちゃった。


——この人の近くにいたい。

——もっと、本音で笑ってほしい。


でも、それってつまり「好き」ってことなんだよね。

まいったなぁ、先輩のこと、落とそうと思ってたのに。


気づいたら——

落ちてたのは、わたしのほうだったんだ。



放課後の倉庫で、「秘密」って言ったのはね。

あれ、本当はちょっとズルい手だったの。


“ふたりだけの秘密”って、なんか、特別な関係っぽくて。

それを口実に、もう少しだけ近づきたかった。


でも、先輩が真面目に「……じゃあ秘密基地ってことで」って言ってくれて。

その一言で、もう、ダメだった。


胸が、ぎゅーってなったの。


この人、わたしのことちゃんと見てくれてる。

ふざけてばっかりだったのに、ちゃんと心に触れてくれてる。

そんな風に思えた。


それって——幸せだなぁって。



クレープ食べたとき、わたし、すごく緊張してたんだよ?

だって、“ただの先輩”って思ってたら、あんなこと言えないもん。


「美味しそうに食べる姿は可愛い」って……なにそれ、反則でしょ。


心臓止まるかと思った。


でも、そうやって言ってくれる先輩のことが、もっと好きになっちゃった。

もう、自分でも止められないくらい。


……だから、クッキーを渡すときに決めたの。

ちゃんと「好き」って言おうって。


答えが返ってこなくてもいい。

付き合いたいなんて言わない。

でも、伝えなきゃ絶対後悔するって、思ったの。


——わたし、せんぱいのことが好きです。


こんな気持ち、人生で初めてだった。


でも、わたしが“最初”で“最後”になってもいいから。

心のどこかに、わたしのことを残してくれたら、それでいい。


……って思ってたのにさ。


帰り道、別れ際に見た先輩の顔。

すごく寂しそうだった。


……ズルいよ。

そんな顔されたら、こっちこそ忘れられないじゃん。


好きになっちゃったんだよ、バカ。

どうしてくれんのさ、これ。


——まあ、いいけどね。


せんぱいがまた誰かを好きになるとき、

その隙間のどこかに、ちょっとだけわたしがいれば、それで。


わたしは、せんぱいの“好き”に本気でなったから。

その記憶が、なによりの宝物なんだから。

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