腹黒系完璧生徒会長
——高校二年の夏。
文化祭の準備が本格化する中、生徒会主催の全体ミーティングが放課後の視聴覚室で行われていた。
「それでは、各クラスの企画進捗について、順に報告をお願いしますね」
壇上に立ち、穏やかな声でそう告げたのは——生徒会長・白河ほのか。
長い栗色の髪が肩で揺れる。透き通るような白い肌。誰が見ても“完璧な美少女”。
けれど、彼女の最大の武器はその外見ではなかった。
——あの“微笑み”だ。
柔らかく、優しく、誰の心にも届くような、理想の“聖女スマイル”。
「三年A組の演劇、素敵なテーマですね。衣装案も拝見しましたが、皆さんの努力が伝わってきます」
一人一人に丁寧な言葉をかける姿に、周囲の空気は完全に和らいでいた。
(……さすが、生徒会長)
俺——湊 光は、二年B組の文化祭代表としてその場にいた。
席の後ろで書類をめくりながら、つい彼女に視線を奪われていた。
(いや、マジで天使かよ)
そう思うと同時に、内心でニヤリと笑ってしまう。
(……この人を落とせたら、俺の“挑戦”にも説得力が増す)
俺が掲げる恋愛ミッション——
それは、学園のヒロインたちを、順番に“落としていく”こと。
付き合うつもりはない。ただ、“本気にさせる”。それだけだ。
「……湊くん、ですよね?」
突然、名前を呼ばれて背筋が伸びた。
「は、はいっ!」
「二年B組の資料、すごく見やすかったです。ありがとう」
「え、ええと……恐縮です……!」
不意打ちのほめ言葉に、まわりの注目が一斉に集まる。
(やば、耳まで赤くなってる気がする……!)
白河先輩は、そんな俺の反応にもにこやかに笑っていた。
清楚で、優しくて、完璧な振る舞い。
——でも。
そのとき、ふと違和感を覚えた。
(……今、目元……ちょっと引きつった?)
ほんの一瞬。
作られたものかもしれない、と思わせる“ずれた表情”。
(……これ、演技か?)
頭の奥が冷たく冴えた。
もしかすると彼女は、完璧な“仮面”を被っているだけなのかもしれない。
俺の中で、何かが目覚めた。
(……やっぱ、攻略しがいがある)
この時点で、俺は“次のターゲット”を決定していた。
——白河ほのか。
学園の聖女。
完璧な仮面の裏側に、どんな素顔を隠しているのか——
そこを暴いてみせる。
***
あの全体ミーティングの翌日から、俺は“偶然”を装って、白河先輩と接触する機会を意図的に増やしていった。
例えば——
朝の昇降口。
「おはようございます、白河先輩」
「……あら、おはよう湊くん。今日も早いのね?」
目を細めて微笑む彼女の顔は完璧だった。
けれど、その瞬間、視線が数ミリだけズレていたことを、俺は見逃さなかった。
(やっぱり、どこか“計算”されてる……)
だが、演技だとわかっていても惹かれるものがある。それが彼女の“力”だ。
昼休みの中庭。
俺はわざと図書委員のふりをして、配達用の資料を手にして歩いていた。
「あら、湊くん。お弁当?」
「ええ、まあ……ちょっと落ち着ける場所を探してて」
「なら、ご一緒してもいいかしら? 私もちょうど、お昼にしようと思ってたの」
(来た……!)
チャンスを逃さず、木陰のベンチに並んで座った。
周囲からは“すごい!”とか“マジで?”というざわめきが起きていたけど、そんなのは気にしない。
「先輩、手作り弁当ですか?」
「ううん、これは母が作ってくれたの。……私は朝が弱くてね、つい寝坊しちゃうのよ」
「え、そうなんですか? 意外です」
「ふふ、完璧な生徒会長像も、案外もろいのよ」
その一言に、俺の中でピンときた。
(……今の、少し“素”だったな)
この瞬間こそが、駆け引きの糸口。
聖女の仮面の裏にある“本当の彼女”を引き出すため、俺はあえて踏み込むことにした。
「先輩って……いつも完璧に見えるから、正直近づきにくいって人も多いと思いますよ」
「そうかしら? 私は、そんなつもりないんだけど……」
「それでも、あのミーティングで先輩の名前を呼ばれたとき、みんな緊張してました。俺も、ですけど」
「……ふふ、かわいいこと言うのね」
彼女は、静かに微笑んだ。
でもその笑顔の奥に、ほんのわずかに揺れる“影”があった。
(……見えた)
それは、“誤魔化すための笑み”。
つまり、俺の言葉が図星だったということだ。
* * *
その日の放課後。
用事を装って生徒会室を訪れた俺に、白河先輩は少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの微笑みに戻った。
「湊くん、どうしたの?」
「文化祭関係の資料、返却が遅れてたみたいで……」
「そう。じゃあ、こちらで預かるわね。少し時間があるから、お茶でも飲んでいかない?」
「えっ、いいんですか?」
「ええ。二人きりだし、誰にも見られないしね?」
「…………え?」
「冗談よ」
その“冗談”は、なぜか少しだけ冷たかった。
でも俺は、その小さな温度差が嬉しかった。
(この人、少しずつ“仮面”を緩めてる)
それは、演技の綻びじゃない。
相手の“好意”が混じった変化の兆しだ。
だからこそ、もっと見てみたいと思った。
完璧で優等生な生徒会長の仮面を捨てた、本当の彼女の姿を。
——俺の興味は、恋でも憧れでもない。
ただ、攻略したいだけだった。
* * *
文化祭準備が本格化するにつれ、俺は白河先輩と顔を合わせる機会を増やしていった。
——その中でも、最大の“チャンス”が舞い込んできたのは、偶然を装った意図的な提案からだった。
「装飾ですか? でしたら、“舞踏会風”とかどうです? 夜のホールっぽい照明と、仮面モチーフで……」
生徒会室のミーティング後、さりげなくそう提案してみた俺に、白河先輩は「ふうん」とだけ呟いた。
「意外とロマンチストなのね、湊くんって」
「……イメージ壊れました?」
「いいえ、意外と楽しくなりそう。仮面か……。みんなの“素顔”が隠れるわけね」
言葉とは裏腹に、先輩の瞳が鋭く光った気がした。
(あ、今の反応……刺さったな)
俺の狙いはまさにそこだった。
“仮面”というモチーフは、彼女の演じている“聖女キャラ”を揺さぶる装置にぴったりだった。
「じゃあ、それで進めてみましょうか。もちろん、湊くんが先頭に立ってね?」
「……責任重大ですね」
「当然よ。提案したからには、最後まで見届けてね? 仮面の向こうにあるものを、ちゃんと」
言葉の裏に何かを含ませるように、白河先輩は笑った。
(……やっぱり、完全に気づかれてる)
でもそれでいい。むしろ、そこからが面白い。
* * *
準備期間が進む中、俺と白河先輩は“仮面舞踏会”というコンセプトを本格的に形にしていくことになった。
装飾の素材を買い出しに行く。
配色や演出を考える。
ときに夜遅くまで、二人きりで案を出し合う。
そんな中、先輩の仮面に、ふとした綻びを見つけることが増えてきた。
「湊くんって……どこまで計算してるの?」
ある夜、作業を終えて帰ろうとしていたとき。白河先輩がふと立ち止まってそう聞いてきた。
「え?」
「いえ、何でもないわ。ただ……気づいたの。あなた、私の“裏”に興味があるんでしょ?」
真正面からの指摘だった。
「……否定は、しませんよ。俺、先輩のこともっと知りたいって、思ってますから」
「それは……仮面を外した、私のこと?」
「そうです。完璧な生徒会長じゃなくて、“白河ほのか”って人を知りたい」
先輩はほんのわずかに息を呑んだようだった。
「……あなた、怖くないの?」
「え?」
「本音を見たら幻滅するかも。私がどれだけ口が悪くて、計算高いか、知ったら……嫌いになるかもしれない」
「それでも、知りたいです。だってそれも、先輩の一部なんでしょ?」
沈黙が落ちた。
二人きりの廊下に、遠くから部活の声が響いてくる。
「湊くん……本当に、変わってる」
先輩はぽつりとつぶやいた。
「普通は、“清楚で優しい白河ほのか”だけを見ていてくれれば、それで十分なのに。あなたみたいに、裏まで暴こうとする人、初めてかも」
「それって……迷惑でした?」
「いいえ。……でも、少しだけ、厄介ね」
「それ、誉め言葉として受け取っていいですか?」
「好きにすれば? でも、そのぶん——」
白河先輩は俺の方をじっと見た。
「……覚悟してね」
その瞳は、試すように鋭く、でもどこか寂しげだった。
(——やっぱり、この人は“仮面”を必要としてる)
それを外すには、生半可な気持ちじゃダメだ。
「……俺、先輩に試されてる気がします」
先輩は小さく目を伏せ、しばらく沈黙した。
その横顔は、いつもの“完璧な笑顔”ではなかった。
張り詰めていた糸が緩むように、肩がふっと落ちる。
「……変な人ね、湊くんって」
「よく言われます」
「普通なら、“ありがとう”で終わるのに。あなたは、もう一歩踏み込んでくる」
「先輩が、そうさせるんです」
「ふふ……責任、取ってくれる?」
その言葉は、冗談とも本気ともつかない響きだった。
けれど俺は、迷わず頷く。
「はい。俺は、先輩がどんな顔をしてても、ちゃんと向き合いたいです」
「……ほんとに、見抜けるかしら。私の“嘘”と“本音”」
「たぶん。でも、外したときの顔のほうが、きっと綺麗です」
「……ずるい」
先輩はくすっと笑って、でもその笑顔には、今までにない柔らかさが宿っていた。
* * *
それから数日。文化祭準備は佳境を迎えていた。
「湊くん、これお願いしてもいいかしら?」
「はい、任せてください」
白河先輩と俺は、自然と“作業コンビ”として定着していた。
周囲も「あのふたり、息ぴったりだな」なんて言い出すほどで、当人たち——つまり俺たち——も、それを利用するかのように、距離を縮めていた。
けれど、俺の目的は“付き合う”ことじゃない。
“落とす”こと。
そのために、仮面の下の“本音の白河ほのか”を暴き、そこに自分の存在を強く刻む必要がある。
——だから、俺はわざと揺さぶる。
「そういえば、先輩って、文化祭のあとは何を楽しみにしてるんですか?」
「そうね……学園祭が終わったら、受験モードに切り替えるつもりよ。もう三年生だし」
「ずっと張り詰めてて、しんどくないですか?」
「……慣れてるわ。いつも、そうしてきたから」
「ほんとは、もっと肩の力抜きたいんじゃないですか?」
そのとき、先輩の手が止まった。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
「先輩が、仮面つけてるように見えるから」
「……そう。あなた、やっぱり意地悪」
白河先輩は一拍置いて、ふっと笑った。
「でもね、湊くん。もしも私が仮面を取ったら、あなたは引くんじゃないかしら」
「引きません。むしろ、その顔を見たいんです」
言い切ると、先輩は少し目を見開いた。
そして、まるで独り言のように呟いた。
「ほんと、変な子……」
だがその顔には、ほんのわずかに“安心”の色が宿っていた。
俺は見逃さない。
この“揺らぎ”こそ、最大のチャンスだ。
(もう一歩……踏み込める)
「じゃあ、仮面を外した先輩が俺に何か言いたくなったら……言ってください」
「……言う保証なんて、ないわよ?」
「それでも、待ってます」
会話はそれで終わったけれど、先輩の横顔は確かに——ほんの少し、あたたかかった。
* * *
その日の夕方。帰り道の昇降口。
白河先輩は俺の隣で、何気ない声で呟いた。
「……ねぇ、湊くん」
「はい」
「あなたって、すごくめんどくさい男よね」
「え?」
「でも、そういう人……わたし、嫌いじゃないかも」
目を合わせたその瞬間、先輩の瞳に宿った光は——
たしかに“仮面のもの”ではなかった。
* * *
翌日。文化祭準備期間も大詰め。
俺と白河先輩は、生徒会室で装飾案の細部調整に取りかかっていた。
二人だけの静かな空間。壁際には作業用のボードと、色とりどりのマスキングテープ、ラメ入りシール、校章入りのポスター下書き。
先輩は真剣な表情で紙を折っていたが、ふと俺に顔を向ける。
「……湊くん、ちょっと訊いていい?」
「はい?」
「私のこと、“仮面つけてる”って思ってるんでしょ?」
「思ってます。けど、それは悪い意味じゃなくて」
「じゃあ、どんな意味?」
「“仮面の内側も含めて、先輩そのもの”だと思ってるってことです」
一瞬、彼女の瞳が細くなった。まるで、俺を試すように。
「ふぅん。……じゃあさ」
白河先輩は、すっと立ち上がると、俺の前に歩み寄った。
机を挟んでいた距離がなくなり、気がつけば、鼻先が触れるほどの近さに彼女がいた。
「その“内側”を、どこまで知ってるつもり?」
「……まだ全然、だと思います」
「だったら、知りたい?」
「はい。全部、知りたいです」
その返答を聞いた瞬間、彼女の唇が弧を描いた。
ただの微笑みじゃない。あれは、明確に“仮面を外した”笑いだった。
「じゃあ……少しだけ、見せてあげようか」
先輩は机の上にあったペンを手に取ると、俺のノートの余白にひと言、さらさらと書き込んだ。
『ぜんぶ見せたら、幻滅すると思うよ?』
「……どうする?」
そう言って、ペンをコトンと置いた彼女の瞳は、透き通るように冷たく、美しかった。
「幻滅しません。むしろ、本気で惹かれそうで怖いです」
「……あら、口説くの上手くなったじゃない」
ふっと笑って先輩は椅子に戻った。
何かが、確実に変わった。
彼女が俺を“ただの後輩”ではなく、“等しい立場の駆け引き相手”として見はじめた証拠だった。
* * *
作業を終えた後、俺は一人で屋上に向かった。
誰もいない静かな風の中、ノートの余白に書かれた先輩の文字を見つめる。
『ぜんぶ見せたら、幻滅すると思うよ?』
(——そんなわけない)
どれだけ腹黒かろうが、演技派であろうが、白河ほのかという人間そのものが、今の俺にはあまりに魅力的だった。
(これで“ちょっとだけ好き”とか言ってたんだから……)
……たぶん、先輩はすでに、落ちてる。
でも、“落ちた”と認めたくないだけなんだ。
だったら、俺がやることは一つ。
その仮面を、もう一度——自分から外させること。
そのときこそ、本当の意味で“落とした”ことになる。
(……決めた。次は、俺から仕掛ける)
携帯をポケットにしまいながら、心の奥に火が灯るのを感じた。
——白河ほのか。
“仮面の聖女”を、完全に暴いてみせる。
この恋愛ゲーム、ラストステージに近づいている。
* * *
文化祭まであと1週間。
俺は生徒会室ではなく、旧図書準備室という人気の少ない作業場所にいた。
「白河先輩、今日はこちらなんですね」
「あら、聞いてなかった? 他の教室がいっぱいで、仕方なく……って感じ」
「でもこの場所、案外落ち着きますよね」
「……そうね。誰にも見られないし、仮面をかぶる必要もない」
「今、ナチュラルに“仮面”って言いましたよね」
「ふふっ。いけない、いけない。うっかり“本音”が」
先輩は、無造作にポスターの画用紙を取り出しながら、さらりと毒を吐いた。
けれど、どこか楽しそうでもあった。
(やっぱり、仮面の裏を見せること自体が、先輩にとって“スリル”なんだ)
だから俺は、試してみたくなった。
「じゃあ、今度は俺が見せましょうか。“仮面の裏”」
「……え?」
先輩の手が止まる。
「先輩ばかりに踏み込ませるのは、ずるい気がして」
「ふぅん……湊くんに、“裏の顔”なんてあるの?」
「ありますよ。むしろ、俺なんて“裏”の塊みたいなもんです」
「たとえば?」
「……中学校の頃、最初は“陰キャ”だったって言ったら、信じます?」
「……えっ?」
「人と目を合わせられない、運動音痴、クラスでも浮いてた。
でも、それが嫌で、必死に努力したんです。髪型、喋り方、表情、服のセンス。
今の“俺”は、その結晶なんです」
静まり返る部屋の中で、先輩がゆっくりと視線を向けてきた。
「……それ、いつか話そうと思ってたの?」
「違います。今、言いたくなったから言っただけです」
「……意外ね。あなたって、自分を飾るタイプだと思ってたのに」
「仮面って、便利だけど、重いですよね。
でも、先輩と話してると、ちょっと外したくなるときがある」
「……それ、反則」
先輩はそっと微笑んだ。でもその微笑みは、これまで見たどれよりも、自然だった。
「私も、昔は全然“清楚”じゃなかったのよ」
「……え?」
「中学の頃なんて、ぶっきらぼうで言いたいことばっかり言って、クラスの女子にすごく嫌われてた」
「想像つきませんね」
「だから、“演じる”ことにしたの。“完璧で優しい人”になれば、人は傷つかないし、自分も孤独にならないって」
「……先輩も、そうやって“なりたい自分”を作ったんですね」
ふたりの間に、しばし沈黙が流れる。
それは居心地の悪いものじゃなくて、どこか安心できる静けさだった。
「……ねぇ、湊くん。あなたの“裏”を知って、ちょっとだけ、気が楽になったかも」
「俺も、です」
「……困ったわね。あなた、ほんとに嫌いになれないわ」
「じゃあ、もうちょっと好きになってくれてもいいですよ?」
「調子に乗らない」
苦笑しながら、先輩はそっと俺の額を人差し指で突いた。
その仕草が、やけに優しくて、やけに近くて——
俺は、また一歩、踏み込んでしまいたくなる衝動に駆られていた。
(この人、やっぱり落ちてきてる。……でも、まだ“仮面”は完全に外れてない)
本当の勝負は、ここからだ。
* * *
文化祭の前日、校舎には遅くまで灯りが残っていた。
日が暮れた後も、いくつかの教室では装飾の仕上げや展示物の確認が行われている。
俺と白河先輩も、そのひとつ。
生徒会室で、最後の資料チェックと備品管理をしていた。
「……ふぅ、ようやく終わったわね」
先輩が軽く背伸びをする。
窓の外はもう真っ暗で、時計の針は八時を回っていた。
「……もう、他の人たちも帰っちゃってますね」
「ええ、きっと今ごろみんな、明日に向けて緊張してるんじゃないかしら」
「緊張……します?」
「するわけないじゃない。私は、生徒会長よ?」
そう言って、先輩は微笑んだ。
けれどその笑みは、どこか虚勢にも見えた。
「俺は、ちょっとだけ不安です」
「どうして?」
「明日、全部うまくいかなかったらどうしようって。
せっかくみんな頑張ってるのに、自分のせいで迷惑かけたらって思うと、少し怖いんです」
「……そうね。その気持ち、すごく分かる」
「でも、それを表に出さないようにしてる先輩って、すごいと思います」
「ふふ、褒めても何も出ないわよ?」
「じゃあ……仮面の奥にある先輩の不安も、俺にだけ見せてくれませんか?」
「……それ、さっきも言ってたわよね。“仮面の奥が見たい”って」
「本気ですから」
先輩は、ふっと視線を逸らす。
「……もし明日、何かトラブルが起きて、誰かが泣いて、それでも“白河先輩のおかげで楽しかったです”って言ってくれたら。
私はきっとまた、“聖女”を演じてしまうと思うの」
「それは、悪いことですか?」
「分からない。ただ、いつもその瞬間、ものすごく空っぽな気持ちになるのよ。
“ありがとう”の言葉が、本当に私に向けられてるのか分からなくなるの」
「……白河先輩」
「でもね、湊くん。あなたと話してると、そういう気持ちがちょっとだけ薄れるの。不思議と」
「……それって、もしかして」
「違うわ。まだ、そういう意味じゃない。ただ……」
先輩は、俺の目をじっと見た。
「“自分で選んで仮面を外してみよう”って思えるようになったのは、あなたのおかげよ」
「……それは、すごく光栄です」
二人の間に、言葉のない静けさが流れる。
誰もいない、生徒会室。
窓の外では風がカーテンを揺らしていた。
「……ねえ、湊くん。手、貸して」
「え?」
「最後に、明日の掲示物だけ貼っておきたいの。階段の踊り場に」
「もちろん、喜んで」
それから俺たちは、並んで掲示物を持って、階段を上っていった。
学校中が静まり返っていて、俺たちの足音だけが響く。
踊り場で画鋲を打ち込みながら、先輩がぽつりと言った。
「この静けさ……少し、好きかも」
「誰にも見られずに仮面を外せるから?」
「……そうね。でもそれだけじゃない。
誰かと“素の自分”でいられる場所って、たぶんすごく貴重だから」
「俺も……今の先輩の方が、好きです」
先輩が振り返った。
「それ、また“落とすセリフ”?」
「違います。……本音です」
「ふぅん……そういうところが、ずるいのよ」
白河先輩は、そっと俺の手から掲示物を受け取って、自分で高い場所に手を伸ばす。
「先輩、危ないですって」
「大丈夫。私、こう見えて身長あるのよ? それに——」
背伸びをしたその瞬間、ふらっと体がぐらついた。
「——っ!」
「先輩!」
反射的に、俺は彼女の腕を取って引き寄せた。
肩に触れた瞬間、先輩の体温が、静かに伝わってきた。
「……びっくりした」
「……無理は、しないでください」
「……ありがと」
先輩は、俺の胸元に軽く額を寄せる。
「なんだか、変ね。いつもなら、こういう場面でも笑顔で受け流せるのに……」
「今日は、違うんですか?」
「ええ。今日は、“白河ほのか”として話したい気分」
「じゃあ、俺も。“湊 光”として話しますよ」
「……ふふ、うれしい」
先輩は少し離れて、もう一度俺を見た。
その瞳に、仮面はなかった。
そこにいたのは、ひとりの、心を隠していた少女。
「……湊くん。私、あなたのこと“ちょっとだけ”好きになっちゃったかも」
「“ちょっとだけ”ですか?」
「うん。“ちょっとだけ”。……でも、それって、けっこう大きなことよ?」
俺は笑って、ゆっくりと頷いた。
「それ以上は……付き合ったりとか、そういうのは、いらないです」
「……え?」
「ただ、先輩に“素の自分”を見せてもらえたなら、それだけで十分です」
「……あなたって、ほんとずるいわ」
そう言って、先輩は笑った。
——これは、きっと“落とした”というよりも、
“心の一部を預けてもらえた”という関係だった。
俺はそれで、十分だった。
(……さて。次は、どんなヒロインが待ってるんだろう)
まだまだ続く、俺の“美少女攻略戦”。
仮面の下の本音を暴いて、誰かの心を少しだけ動かす——
そんなゲームは、終わる気配を見せない。
【side白河ほのか】
——昔の私なら、こんなふうに誰かに“素”を見せるなんて、考えられなかった。
いつも、優しく微笑んでいた。
完璧な言葉を選び、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないように。
“聖女”という仮面は、私を守るための盾だった。
……だけど。
「それ以上は……付き合ったりとか、そういうのは、いらないです」
あのとき、湊くんがそう言った瞬間、胸がきゅっと痛くなった。
——なんで、そんなこと言うのよ。
“付き合いたい”って迫られる方が、まだ楽だった。
「仮面を脱いだ私」まで肯定して、でも「距離を詰めない」なんて。
そんなずるい優しさを向けられて、どうすればいいの。
「……あなたって、ほんとずるいわ」
あれは、苦し紛れの本音だった。
彼は、ちゃんと私を見てくれる。
“白河ほのか”じゃなく、“演じていない私”を。
でも——それでも、彼は先に行ってしまう。
たぶんまた、誰かの仮面を剥がしに。
(……ほんと、罪な男)
私はまだ、ほんの少ししか仮面を外せていない。
それでも、あの日の言葉はきっと——忘れられない。
「……私、あなたのこと“ちょっとだけ”好きになっちゃったかも」
“ちょっとだけ”。
その言葉に込めた想いを、彼はどこまで気づいているのかしら。
……ふふ。
また誰かを落とすんでしょうね、湊くん。
そのうち、あなた自身も気づくといいわ。
あなたのその“仮面”も、案外すぐに剥がれるってことに。
——そのとき、誰の前でそれが起こるのか。
……私じゃないのかもしれない。
でも、願わくば。
ほんの少しだけでいいから、私のことを——
時々、思い出してほしいな。
それがきっと、私の“仮面”を外させた、あなたへのお返しだから。
***
(次は、バレー部キャプテンの如月、か……)
長身で凛々しい顔立ち。誰にでも平等に接する、まるで“王子様”みたいな存在。
だけど——
その完璧さの裏に、“人としての揺らぎ”がまったく見えない。
(感情を見せないほど、逆に気になるんだよな……)
彼女は、ヒロインの中でもひときわ異質だ。
とにかくモテる。でも、誰にも靡かない。
その理由は、きっと——
(……恋を知らないんだと思う)
だったら、俺が教えてあげよう。
“誰かに惹かれる”って、どういうことかを。
少しだけ熱を帯びた視線で、スマホ画面のスケジュールに“名前”を記す。
(次も、落としてみせる。冷静な王子様に、初めての“ドキドキ”を)
——恋愛ゲームは、まだまだ続く。
今度のステージは、“感情を揺らせない少女”との勝負だ。