クール系ツンデレ風紀委員長
——高校二年生の春。
新しいクラスにも、だいぶ慣れてきた放課後。
昇降口に向かおうとした俺は、途中でその人に遭遇した。
「……湊くん」
きびすを返したようなタイミングで、背後から名前を呼ばれ、俺は条件反射で背筋を伸ばす。
そこにいたのは、風紀委員長——綾瀬 瑠璃先輩だった。
黒髪ロングに、涼しげな瞳。いつも整った制服に、乱れのない姿勢。
厳格で、無駄を許さない。生徒からは“氷の委員長”なんて呼ばれているらしい。
俺は一瞬で、今日の行動の中に“風紀的に問題のあること”がなかったかを振り返っていた。
「は、はい、なんでしょうか……」
「……シャツの裾、少し出てるわ。直しなさい」
「あっ、すみません!」
咄嗟にシャツを直す俺に、綾瀬先輩はそれ以上何も言わず、くるりと踵を返した。
——ふう、助かった。
けど。
(……にしても、やっぱ、綺麗だよなぁ)
あの整った顔立ち、スラリとした姿勢。
けれど誰も寄せつけないオーラのせいで、話しかける男子はほぼ皆無。ある意味、完全無欠すぎる人。
——でも、だからこそ。
俺の心に、ふつふつとした“興味”がわき上がる。
(こんな完璧系お堅い委員長を口説けたら、相当すごいんじゃね?)
これぞ挑戦。
俺の“恋愛口説き計画”第2ターゲットは——風紀委員長・綾瀬瑠璃に、決まりだ。
* * *
とはいえ、問題は山積みだ。
まず接点がなさすぎる。
俺は一般的な生徒。向こうは三年で風紀委員長。共通の授業もなければ、部活も別。
じゃあ、どうするか——
俺は翌日、早めに登校して“偶然”を作りにいくことにした。
——校門前。7時45分。
普段より30分早い登校。
「……いた」
やっぱり綾瀬先輩は、門の前に立っていた。
静かに、でも毅然とした態度で、登校してくる生徒たちの制服やマナーを見守っている。
(本当に、絵になる人だな……)
俺は一瞬見惚れてしまい、慌てて気を引き締める。
「……おはようございます、綾瀬先輩」
「あら、湊くん。おはよう」
「今日も早いですね」
「当然。風紀は、“始まる前”に整えるものよ」
「なるほど……さすがです」
軽く会話を交わせたことに、自分でちょっと感動してた。
が、そのとき、校門を通ろうとした男子生徒がスマホをいじりながら通り抜けた。
「そこの一年生!」
ピシャリと響く声。
綾瀬先輩はすっと彼に近づいて、スマホを没収した。
「登校中のスマホの使用は禁止よ。生活指導室に来なさい」
「は、はいぃぃ……」
「湊くん」
「は、はい!?」
「あなたも油断しないことね」
「……心得てます」
鋭い視線に、なぜかちょっとドキッとした。
——この人、めちゃくちゃ手強い。
でも、その分、攻略しがいがある。
俺は心の奥で、静かに“火”がついたのを感じていた。
*
次の日。俺はまた早めに登校して、校門前で綾瀬先輩の姿を探していた。
だけど、その日は少し様子が違った。
綾瀬先輩は、門の横の木陰でしゃがみ込んでいた。
「……先輩?」
俺が声をかけると、彼女は顔を上げて、少しだけ驚いたような表情を見せた。
「あ……湊くん……」
(えっ、今……俺の名前、“優しく”呼んだ……?)
「……ど、どうしたんですか? 体調とか……?」
「ちょっと、猫が……」
彼女の足元には、小さな茶トラの子猫がいた。まだ痩せていて、目ヤニもついている。迷い猫だろうか。
「さっき通った車が危なくて……思わず飛び出してしまったの」
「え、それ……先輩が助けたんですか?」
「……本当は、こういうの、風紀委員としてどうかと思うんだけど」
彼女は小さくため息をついて、猫の頭をそっと撫でた。
「放っておけなかったのよ。バカよね、私……」
——いや、バカじゃない。
俺はその姿を見て、完全に心を持っていかれていた。
誰にでも厳しくて、冷たい印象さえある風紀委員長が、こんなふうに小さな命に心を寄せるなんて——
「……綾瀬先輩って、優しいですね」
「やめて。そういうこと言うと、ちょっと照れるから」
「……今の、かわいいと思いました」
「なっ……」
綾瀬先輩がピクリと反応する。
「そ、そういうの……不意打ちは、禁止よ」
「風紀的に?」
「そう。風紀的に。……私の平静が、乱されるから」
(あ、今の笑い方、ちょっと素だった)
ほんの数秒だったけど、彼女の“素の顔”が見えたような気がした。
* * *
それから俺は、放課後の時間を使って、保健室の先生と一緒に猫の世話をすることにした。
「……来てくれて、助かったわ」
俺の隣で、制服の袖をまくりながら猫の餌を用意する綾瀬先輩。
風紀委員長の姿とはまるで違う、少し柔らかくて、穏やかな雰囲気。
「ふふ、見て。この子、手にじゃれてきたわ」
「完全に懐いてますね。もう先輩の家の子にしちゃえばいいのに」
「うち、ペット禁止なのよ。だから、保健室で面倒見るしかないの」
「じゃあ……俺も手伝います」
「……いいの?」
「俺、意外とこういうの、好きなんで」
「ふふ。意外、確かにね」
綾瀬先輩の口元が、ゆるくほころぶ。
その表情に、俺の胸が少し高鳴った。
やばい。
この人、笑うと一気に破壊力上がるじゃん——。
(……やばいな。完全に“ギャップ萌え”だ、これ)
* * *
さらに翌日。校門前。
「おはようございます、綾瀬先輩。今日もいい天気ですね」
「……最近、毎朝来てるわね、湊くん」
「風紀に興味あるんです」
「また適当なことを……」
「いや、本気ですよ? だって先輩の姿、なんかこう……背筋が伸びるっていうか」
「……そういうお世辞は、風紀違反よ」
「お世辞じゃなくて、本気です。風紀委員長が、“猫に優しい人”だって知ってるの、俺だけですしね」
「っ……」
綾瀬先輩の瞳が、少し揺れた。
「……そんなの、言わないで」
「え?」
「そういうこと……言われ慣れてないから、反応に困るの」
(——あれ? 今のって、完全に“素”だよな?)
彼女はそっぽを向いたまま、ほんの少しだけ顔を赤くしていた。
(お堅い委員長が照れるとか……もう、ずるいって)
──次第に、俺のなかで“ただの挑戦”だった風紀委員長攻略は、少しずつ“本気”になっていく。
だが、このあと起こる“ある出来事”をきっかけに、俺と綾瀬先輩の距離は——一気に縮まる。
*
その日は、急な夕立が降った。
猫の様子を見るため、放課後の保健室に向かった俺は、運悪く雨に打たれてしまい、シャツがびしょ濡れになっていた。
「なっ、なにしてるの、湊くん! その格好……!」
「いや……ちょっと猫のとこ、様子見ようと思ったら……降られて」
「馬鹿じゃないの!? 風邪引くわよ、ほら、こっち来て!」
綾瀬先輩は俺の腕を引っ張って、保健室の奥のカーテン付きのベッドまで連れて行った。
「脱ぎなさい」
「えっ」
「濡れたままだと体冷えるでしょ? 上だけ脱いで、タオル使って」
「えっ、先輩が拭くの?」
「拭かないから、自分でやって」
「……あー、ちょっとだけ期待したんですけどね」
「っ……だから、そういうの風紀違反……!」
でも、顔は真っ赤だった。
そして俺は、制服の上着とシャツを脱ぎ、タオルで上半身を拭いた。
綾瀬先輩は、ちらちらと俺の方を見ては、視線をそらしていた。
「……なんか、引き締まってるのね」
「え?」
「体、ちゃんと鍛えてるんだなって……思って」
「意外ですか?」
「……うん。正直、ちょっと」
沈黙。
窓の外では、雨音がリズムを刻んでいた。
「……ねえ、湊くん」
「はい?」
「最初に話しかけてきたとき……どうして私に?」
「うーん……冷たそうだったから、かな」
「……なんですって?」
「いやいや、悪い意味じゃなくて! 逆に、あれだけピシッとしてる人が、どんなふうに笑うのか、気になったっていうか」
綾瀬先輩は、視線を伏せた。
「……やっぱり、私って近寄りがたいのかしら」
「そんなことないですよ。でも、近寄りがたいぶん、笑ったときの破壊力がすごいです」
「なにそれ……変な褒め方ね」
「でも、本音です」
そのとき、猫が小さく鳴いた。
綾瀬先輩がベッドの脇にしゃがみこみ、猫の頭をなでながら優しく笑った。
「あなたも、この子のこと、見捨てなかったのね」
「……見捨てるわけないですよ。俺、優しいですから」
「……ふふっ」
また、少し笑った。
その笑顔を見た瞬間、俺はもう止められなかった。
「綾瀬先輩」
「なに?」
「ちょっとだけ、風紀を破ってもいいですか?」
「……え?」
「ほんのちょっとだけ。……心臓に、悪いくらいのやつ」
「……どんなの?」
「たとえば、先輩の耳元で、好きって囁くとか」
「……っ!」
綾瀬先輩が固まった。
「い、今のは……冗談、よね?」
「さて、どうでしょう」
俺がいたずらっぽく笑うと、彼女は顔を手で覆って、ため息をついた。
「……あなたって、ほんと、ずるい」
「それ、今日だけで何回目ですか?」
「もう数えてないわよ……」
でも、手の隙間から見えた頬は、真っ赤だった。
* * *
夕方、雨は止み、夕焼けが差し込んでいた。
「湊くん」
「はい」
「……ありがとうね。今日、来てくれて」
「どういたしまして。っていうか、俺の方こそ」
「……また、来てもいいわよ」
その言葉に、俺は笑って応えた。
「もちろん。明日も、明後日も」
「……調子に乗ると、ペナルティ与えるから」
「それも悪くないかもしれませんね。罰として、また“かわいい笑顔”見せてもらえるなら」
「っ……バカ」
綾瀬先輩は俺を一度だけ睨んで——でも、そのあとでふっと笑った。
まるで、“氷が解けた”みたいな笑顔だった。
(……よし)
俺は静かにガッツポーズを決める。
* * *
数日後。
その日も俺は、猫の様子を見るため放課後に保健室を訪れた。
「こんにちはー。……あれ?」
部屋の奥から、誰かの歌声が聞こえる。
(この声……綾瀬さん!?)
覗いてみると、猫を抱きながら、綾瀬さんが小さく口ずさんでいた。
「♪〜……こら、じっとしてなさい。薬塗るでしょ」
「あの……いい声ですね」
「っ!? な、なんで、入ってきてるの!?」
「ごめんなさい、つい……。でも、歌ってる綾瀬さん、ちょっと新鮮で」
「見てたなら、忘れて。今すぐ記憶から削除して」
顔を真っ赤にしながら、先輩はそっぽを向く。
「無理ですよ。むしろ保存版です。心に焼きつきました」
「……ほんと、あなたってそういうところだけ抜け目ないわね」
でも——
猫を抱くその姿は、どうしようもなく優しげで。
風紀委員長じゃない、“一人の女の子”としての綾瀬さんが、そこにいた。
「綾瀬さんって……ほんとは、すごく優しい人ですよね」
「それは違うわ。優しさで秩序は保てない」
「でも、あなたが優しいって思うから、俺もこの猫の世話、手伝ってるんですよ」
「…………」
綾瀬さんは何も言わずに、猫の頭をなで続けた。
その静けさが、妙に心地よかった。
* * *
日曜日の午後。俺のスマホに1件のLINEが届いた。
《ちょっと猫の様子が変なの。今日、来られる?》
まさか綾瀬さんから、俺に“頼る”メッセージが来るなんて。
すぐに返事をして、制服のまま自転車を飛ばした。
保健室に着くと、綾瀬さんが慌てた様子で出迎えてくれた。
「ごめんなさい、急に……。なんだか元気がなくて」
猫は少し熱っぽく、ぐったりしていた。
「たぶん軽い風邪だと思うけど……俺、動物病院行ってきます!」
「えっ、でも——」
「俺が連れてくんで、先輩はここで待っててください。終わったら連絡しますから!」
「……ありがとう」
先輩が、心からホッとしたように笑ったのを、俺はちゃんと見た。
* * *
その夜。
診察も終わり、猫は安静にしていれば治るとのことだった。
報告のため、もう一度学校に戻ると、保健室の前に綾瀬さんがいた。
「……待ってたの?」
「ええ。あなたが来るって、信じてたから」
「任せてください。この俺、“頼れる男”なんで」
「……ほんと、ちょっと見直したわ」
そう言って綾瀬さんは、俺の制服の袖を、そっと引っ張った。
「……ありがとう。心から」
その声は、普段の冷静さがまるで嘘のように、柔らかく震えていた。
「風紀なんて、今日はどうでもいいわ」
「……え?」
「だから、今日だけは。許してあげる、風紀違反」
そう言って、綾瀬さんは、俺の肩にそっともたれかかった。
……息が止まった。
すぐに動けなかった。けれど、手は自然に、彼女の背中へ回っていた。
「……綾瀬さん」
「なに?」
「好きです」
一拍、沈黙が流れる。
「……風紀的にはアウトだけど」
彼女は、小さく笑った。
「その言葉、嫌いじゃないわ」
俺は、彼女の笑顔を見て確信した。
“氷の風紀委員長”は、もう——俺にだけ、微笑んでくれる存在になったのだと。
そして今、俺の中に芽生えているのは——
「風紀委員長を落とす」なんて軽口じゃ済まない、もっと深くてあたたかい感情だった。
(……さて、次は誰を口説きに行こうか)
そんな“悪い癖”が、まだ俺の中にはちゃんと残っている。
【綾瀬瑠璃 side】
日曜日の夜。制服のまま帰宅した私は、リビングの椅子に腰を下ろし、ふぅと息を吐いた。
猫は無事だった。それだけで、胸がいっぱいになるはずなのに。 それでも、心の奥には、もう一つ別の感情がこびりついていた。
——湊くん。
あの人の、無邪気な笑顔。真っ直ぐな言葉。あたたかな手。
「……ほんと、もう」
私はリビングの電気を消し、静かな部屋の中で目を閉じた。
風紀委員長としての私は、いつだって冷静でなければならない。 規律を守る。周囲に模範を示す。そうでなければ務まらない立場。
けれど彼といると——その“型”が、少しずつ崩れていく。
最初は、ただの面倒な後輩だと思っていた。 猫にかこつけて接触してくるのも、“軽薄”だと決めつけていた。
でも。
彼の言葉は、いつも本気だった。 からかっているようで、真剣で。 ふざけているようで、誠実で。
「……ずるいわよ、ほんと」
気づけば私は、彼のメッセージを待つようになっていた。 登校時、校門の前で見かけるたび、胸の奥が少しだけ弾むようになっていた。
そんな自分を、“だらしない”と責めるべきなのかもしれない。 でも——
「もう、いいかな」
心の中で、小さく呟いた。
「風紀委員長じゃない私を……少しだけ、許してもらえますか?」
部屋の隅に置いたキャリーケースの中で、猫が小さく鳴いた。
私は微笑んで、その声にそっと返事をする。
(……私、どうしてこんなにも、動揺してるんだろう)
冷静でいることなんて、これまでいくらでもできた。
少なくとも、そう思ってた。
でも——
(“好きです”って、あんなストレートに言われたら……)
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを、私は止められなかった。
猫を撫でる彼の手。 自分より年下なのに、時々すごく頼もしくて。 でも、ときどき子供っぽくて、まっすぐで。
(不器用なのに、ずるいくらい優しい)
思い出すだけで、頬が熱くなる。
誰かに頼ったり、甘えたり。 そんなの、自分には必要ないって思ってた。
でも——
「……また、会いたいな」
ぽつりと呟いたその声は、 まるで“もう一人の私”が口にしたみたいだった。
胸の奥に、優しい火が灯っている。
——それはきっと、恋という名前の灯火だった。
*
(次は、生徒会長の白河さん、か……)
おっとりとした微笑み。
誰にも怒らない優しさ。だけど、それだけじゃない“何か”が、きっとあの人の奥にある。
(静かな湖ほど、深いって言うしな)
綾瀬先輩のときみたいに、簡単には踏み込めないかもしれない。
でも——だからこそ、興味は尽きない。
(さて。次は、どんな“可愛さ”に出会えるのか)
ほんの少し早くなった鼓動を感じながら、俺はスマホを見つめ、ふっと笑った。
——恋は、まだ終わらない。