民の声、動く──討論準備と“古き力”の目覚め
「明日の昼、公開討論を開催する」
ローダン伯爵のその言葉は、まるで重石のように会議室の空気を静かに沈めた。
まだ空は白む前、ランプの炎だけが揺れる石造りの空間。
そこに集うのは伯爵直属の重臣たち、そして石守真誠を含む数人の異分子。
だが、その“異分子”が、今この都市で最も民の注目を集める存在だという現実は、誰にも否定できない。
「ありがとうございます。きっと市民は、それを待っていました」
石守は即座に応じた。
そして周囲を見渡す。誰も反論の声を上げなかった。
皆、口には出さぬまでも、この膠着した状況に打開策を欲していた。
ならば言葉だ。言葉で道を拓く──その覚悟を、この異界の市長はすでに決めていた。
◆
討論の舞台となるのは、都市アルセナの中心広場。
石畳のその場所は、かつて祈りの場であり、市政の布告の場であり、処刑の場でもあった。
光と影が交錯する歴史を持つそこに、今、新たな意味が刻まれようとしていた。
「……テレリンク、展開」
石守は静かにスキルを起動する。
脳裏に広がる感覚の奔流。
まるで風が吹き抜けるように、広場に集まり始めた市民たちの“心の揺れ”が、数値と色彩で彼の視界に広がる。
《市民感情サマリ》
・不信:42%
・警戒:29%
・希望:12%
・無関心:17%
──予想通りだ。
石守は内心で頷いた。
(まだ“敵”だと思われてる。そりゃ当然だ)
何者かも分からぬ異界人が突然現れて、戦争を止めるなどと口にする。
警戒もされるし、拒絶もされる。だが──
「だったら、その数字を変えるだけだ」
彼は笑った。
◆
「一部の小隊長が、討論開催に不満を漏らしていると」
ユラリアの報告は、やや険のあるものだった。
会議室ではなく、城内の警備詰所。
軍務官としての顔を持つ彼女の声は、いつもより冷たかった。
「討論で何が変わる? 剣で勝ち取る以外に何がある?──そんな声が上がっています」
「まあ、予想の範囲内だな」
石守はため息交じりに笑った。
「でもそれ、現代日本にもいたよ。“話し合いなんて意味ない”“力こそ全て”って言ってた議員が」
「……似てるんですね、世界って」
「結局、どこでも“思考停止”したがるやつが出てくるってことさ」
彼は肩をすくめる。
「でも、それを越えるために“言葉”ってもんがある。俺は、そこを諦めたくないんだ」
ユラリアはしばし沈黙し──ふっと微笑んだ。
「あなたって、やっぱり変わってるわね」
「“ちょっとだけ討論が得意な元・市長”だよ」
冗談めかしたその言葉に、彼女は笑い返す。
だが、次の一言で空気は再び引き締まった。
「……枢機卿派の一部が、“神罰”を演出しようとしている。あなたを“異端審問”の場に引きずり出す気です」
「やれやれ……」
石守の目が細められる。
「なら、“神罰”より怖い“民意の裁き”を見せてやるさ」
◆
その夜、城下の高台にひとり佇む少年がいた。
ラセル・グレイ。
包囲軍の伍長にして、妹思いの若き戦士。
だが今は、一人の“兄”として、ただ静かに広場を見下ろしていた。
「……討論か」
あの男──石守真誠に導かれて、自らのスキルに目覚めた。
自分にも“できること”があるのだと気づかされた。
なら今度は──“民全体”が、同じように気づく番かもしれない。
ふと、通行人の声が耳に届く。
「明日、公開討論があるんだって?」
「あの“異界人”、妙に言葉が刺さるよな……」
「怖いけど、聞いてみたい。嘘をついてない気がするんだ」
──言葉で、世界を変える。
ラセルの心に、再び火が灯った。
◆
「……また、この名前か」
翌朝前の地下書庫。
石守の前に差し出された羊皮紙に、再びその名が浮かんでいた。
《監査人:セレス・ネクサス》
魔力を帯びた羊皮紙が、まるで生き物のように脈打つ。
「……神は名乗らなかった。でも、この名が出てくるたびに、どうしようもなく“違和感”がある」
石守は呟いた。
「“世界の継ぎ目”に置くな……?」
そこには、“魔族と人間の理”が混ざり合うことで破綻する──という警告も書かれていた。
「誰が、誰に、何を止めようとしたんだ?」
この“セレス・ネクサス”なる存在は、ただの立会人ではない。
世界の構造そのものに関わる、深層の鍵を握る者かもしれない。
「……まあ、まずは“目の前の世界”からだな」
石守は羊皮紙を戻し、ローダンと目を合わせた。
「今日の討論、すべての始まりにしましょう」
伯爵は無言で頷いた。
◆
そして、朝が来る。
都市広場。
その石畳には、すでに市民たちの足音が重なっていた。
兵士たち、商人、農夫、老婆、子ども──老若男女が入り混じり、噂話を交わす。
「本当に、討論なんてやるのか?」
「戦うんじゃなくて、話すのかよ」
「でも、あの“市長さん”……言葉に力があるよな」
ラセルが広場の隅に現れる。
彼の背筋は、昨日までより伸びていた。
そこに、石守が現れた。
「……来ましたね、石守さん」
「昨日、妹が言ってました。『明日、行きたい』って。だから、僕も信じてみようと思って」
「ありがとう。嘘は言わない。それだけは誓うよ」
石守は深呼吸し、再びスキル《テレリンク》を起動した。
《現在の市民感情》
・討論への期待:67%
・不信感:22%
・“異界人”への注目度:88%
数字が動いていた。
民は、変わり始めている。
(だったら、俺が変化の導火線になる)
石守真誠は一歩、前へと踏み出した。
この日──
言葉で火蓋を切る討論劇が、幕を開けようとしていた。