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次の一手──魔族との対話を求めて

夜の執務室。外は深い藍に染まり、窓の外には淡く月が浮かんでいた。


ロウソクの灯がわずかに揺れ、書類の影を長く引き伸ばしている。


石守真誠は机に肘をつきながら、静かに独り言をつぶやいた。


「次は……“魔族”について、動いてみるか」


窓の外から吹き込む夜風が、彼の髪をわずかに揺らした。けれど、その目に迷いはない。


「異世界だからって、人と人の関係の本質が変わるわけじゃない。異種族だろうと、話すことから始めるしかないよな」


彼の言葉には、確信めいた響きがあった。現代日本で腐敗と戦い、討論と政治の場で生きてきた者として、彼は“対話”の価値を信じていた。


手元の羊皮紙には、ローダン伯爵の署名入りの推薦状が載せられていた。


──宛先は、王都ルヴェリアの政務庁。


魔族自治区との接触は、王都の許可なしには進められない。保守的な貴族層と教会勢力が根強く支配する中央政治に、一石を投じる必要がある。


(王都に行くしかない。魔族の実像を知るには……)


その瞬間、ドアがノックされた。


「失礼します、石守様。……夜分に申し訳ありません」


入ってきたのはユラリアだった。軍服姿から一変、今は民間服に身を包み、穏やかな表情をしている。


「もう決めたんですね。王都へ行く、と」


石守は微笑んで頷く。


「ええ。ローダンさんから推薦状も預かっています」


「では、私も同行します。旅は決して安全とは言えませんから」


それに続くように、背後から顔を出したのはラセルだった。


「俺も、行きます。今度は、守るだけじゃなくて、学びたいんです。石守さんの“やり方”を」



翌朝。まだ霧が残る街道を、三人は旅立った。


馬車は一台、粗末ながらローダンが手配したものだった。中には食料と最低限の装備。防具はユラリアとラセルが担いでいる。


「アルセナの北門からまっすぐ進めば、三日もあれば王都です。ただ……途中の村々は、どこも今、不安定です」


ユラリアの言葉に、石守は頷く。


「だからこそ、立ち寄る意味がある。王都の前に、今の“この国の肌感”を掴んでおきたい」


馬車はがたがたと揺れ、彼らはゆっくりと進んでいく。


霧の中、石造りの橋を渡り、森を抜け、昼前には最初の村に到着した。



その村の名は「ウェルグ」。


かつて薬草の産地として栄えていたが、今では交易路から外れ、衰退の一途を辿っていた。


村の入口には、痩せた牛と、寂れた石碑がぽつんと立っていた。


「……人が、少ないですね」


ラセルがぽつりと呟く。


「本来ならこの時期、収穫祭が行われていたはずなのに」


村の中央広場に到着すると、数人の村人がこちらを警戒するように見てきた。


「旅の方……ですか? よそ者は歓迎できないんですが」


老婆のような村長代理が、杖をついてやってくる。


石守はそっと名乗った。


「アルセナの政策参与、石守真誠です。旅の途中で寄らせていただきました。何かお困りのことがあれば、話だけでも」


老婆は驚いたように目を見開き、次いでゆっくりとうなずいた。


「……なら、中へ。話すことはあります」



村の集会所で出されたのは、素朴な根菜スープだった。


「実は、近年ここでは薬草が取れなくなっていてな。気候変動か、土壌の劣化か……交易も減り、若い者も都市に出ていった」


「それだけじゃありませんよ」


言葉を挟んだのは、村の青年だった。頬は痩せ、けれど目は鋭い。


「薬草を持ち出す“密売組織”が村に根を張ってるんです。教会公認の商会しか買ってくれないから、違法なルートに頼るしかない。だが、代償に村の信用がどんどん落ちてる」


石守は手帳を開き、メモを取りながら尋ねた。


「村の自治は? 規約の改正や、新しい流通ルートの開拓は?」


「それが……“書き方”がわからないんです。議会への陳情文とか、そういうのを誰も書けなくて……」


ユラリアとラセルが顔を見合わせる。


「……まさか、制度の壁か」


「民が声を上げるにも、文字と知識が要るってわけだ」


石守は静かに頷いた。


「分かりました。ここで二日だけ滞在させてください。その間に、議会に提出できる陳情書と、村の再生案を整えます」


村長も、青年も目を丸くしていた。


「……そんな、いきなり……」


「いきなりでもやるんです。それが僕のやり方ですから」



その夜、村の古い納屋を借りて、石守は大量の紙と筆記具を広げていた。


ラセルが眠そうに見守る中、ユラリアが肩を揉むようにそばに寄ってくる。


「そんなに詰めて、大丈夫ですか?」


「むしろ今がチャンスなんです。この国の矛盾と課題を、“地べた”から吸い上げる。それが、王都での交渉を成功させるための武器になる」


翌朝、石守は村の青年たちに、草案を手渡した。


「これは、“村の自立運営申請”と“土壌改善支援要望”の陳情書です。ちゃんと法形式を整えてあります。王都にも提出できる内容です」


「……こんな、ちゃんとした文書……」


手にした青年が、感嘆の声を漏らした。


「ただし、送るだけじゃ意味がない。提出に同行して、現地で説明できる者が必要です。君、来られますか?」


青年は、少しだけ逡巡し──力強く頷いた。


「行きます。……この村を変えたいから」


石守は笑った。


「じゃあ、仲間が一人増えましたね」



こうして、石守、ユラリア、ラセルに青年を加えた四人は再び旅立った。


次なる目的地は、王都──そして、その先にある“魔族自治区”。


けれどその道のりは、単なる直線ではない。


待ち受けるのは、複雑な政治、種族間の摩擦、そして何より“言葉が通じない世界”との対話。


そのためにこそ──石守真誠は、歩き出した。

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