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【間話】「静観の意図──包囲軍はなぜ動かなかったか」

都市アルセナでの“公開政策討論”から数日後。


未明の冷たい風が西の丘を吹き抜け、包囲軍本陣に設営された軍幕を揺らしていた。


石守真誠は、ユラリアとともにその丘を登っていた。目的地は、包囲軍の総司令──将軍ボレルの陣営。かつてこの都市を包囲し、今は沈黙を守る軍の頂点。


「本当に行くんですね、石守」


ユラリアが少し不安そうに隣を歩く。


「いずれは会わなきゃいけないと思ってた。あの人の“判断”の真意を、聞かせてもらわないとね」


やがて、簡素だが重厚な帷幕の入口が現れる。石守が中へ入ると、灯りの下に静かに佇む男がいた。


灰色の髭、硬い眼差し。包囲軍総司令、将軍ボレル。


「……異界人が、自らここを訪れるとはな」


ボレルは静かに立ち上がり、手を組んだまま石守を迎える。


「火の手が上がったとき、あなた方が“動かなかった”理由を、聞きに来ました」


石守の言葉に、ボレルは頷き、幕の内側の椅子を勧めた。



「我々が静観した理由……それは“信念”だよ」


ボレルは椅子に腰を下ろし、まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ出した。


「討論の夜、我々の情報部隊はリアルタイムで都市の状況を監視していた。君が言葉で民意を導いたこと──それを見たとき、私はこう思った」


「“この戦いには、剣を抜くべきではない”とな」


石守は息を呑んだ。あの混乱の中で、誰かがそう思ってくれていたことが、救いだった。


「軍というのはな、正義の名のもとに剣を振るうが、時にそれが“正義”を殺す。あの夜、我々が動けば──君の討論は“武力の影”に成り下がっただろう」


「……だからこそ、見届ける選択をしたのですね」


「そうだ。君の言葉に、あの街の者たちがどう応じるか。その未来を、外から見ていた」


ボレルの声には、僅かな疲労と誇りが入り混じっていた。


「だが、教会が武力をもって出てきたとき……我々の中でも意見が割れた。動くべきだ、いや、静観すべきだと」


「その時、決断されたのは……?」


「“静観”だ。だが、完全に傍観したわけではない。北西の街道を封鎖し、審問官の補給線を断ち、情報の遮断工作を仕掛けた。直接手を出せば、我々は“軍閥”と見なされる。だが、教会の暴走を黙認したわけでもない」


石守は、ようやくボレルの“戦わぬ戦い”の意図を理解した。


「あなたは……討論という“言葉の場”を、外から守ったのですね」


「ユラリアが君を信じた理由も、今なら分かる。あれだけの混乱を、言葉一つで統率するとは……」


ボレルは珍しく、ふっと笑みを漏らした。



「都市は変わろうとしています」


石守は、改めて背筋を正した。


「ですが、次の壁は都市ではなく“国”です。王都、貴族、教会本庁、魔導士会──すべてが絡み合った、この国の根幹」


「……そして、魔族の影だな」


「はい」


しばし沈黙が流れたあと、ボレルは問いかけた。


「それでも君は、この国を変えようというのか?」


「ええ。言葉と、民意で。今度は都市ひとつではなく、“国全体”の討論を始めます」


ボレルは立ち上がり、背を向けると、軍旗を見上げた。


「……では、その戦に我が軍も加えよう」


石守は一瞬、目を見開いた。


「君が“討論の指揮官”なら、我々は“現実の盾”を引き受けよう。国の腐敗は、言葉だけでは届かぬ場面もある」


そしてボレルは、石守へ手を差し出した。


「これより先は、“国政”の戦場だ。討論と武力、両輪の戦いが始まる。共に進もう、石守真誠」


その手を、石守はしっかりと握り返した。


「……はい。共に、未来を変えましょう」



こうして、包囲軍は“言葉の力”を認め、都市と手を携える。

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