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暴走の代償――神罰を名乗る力に、剣と意志を

──夜明け前、空がまだ深い群青に包まれていた頃。


都市アルセナの北端、ひときわ古い教会の尖塔の奥にある祈祷室には、ろうそく一本すら灯されていなかった。


代わりに、部屋の中心にだけ、魔力の光で描かれた魔法陣が淡く揺らめいている。


その中心にひざまずくのは、ヴィレム神官。


「……討論などという世俗の幻想に、信徒が心を奪われるなど」


声には冷え切った怒気がこもっていた。


彼の手には、封蝋を破られた小さな書簡。そこに刻まれた紋章──“神眼の印”は、教会本庁が発する命令の中でも最も強力なもの。枢機卿直属の命令であり、異端対処の最終手段を示す印だった。


「民意が揺らぐ前に……浄化せねばならぬ」


その言葉に応じるように、祈祷室の扉の陰から黒衣の者たちが現れる。


正統審問官。


法と教義に基づく“神の審判”を執行する者たち。


「標的は“異界人”石守真誠を含む、反教会勢力全て。討論により動いた民意の象徴を、ここで断つ」


ヴィレムは頷き、静かに立ち上がった。


「……神の名の下に、“異端浄化作戦”を始めよ」



同時刻、ローダン城館の執務室。


石守真誠は簡素なベッドから起き上がり、軽く伸びをしていた。


「……まだ夜明け前か」


昨日の討論が、まるで夢のように感じられた。


だが、体には疲労が残っている。頭は冴え、心のどこかで微かな不安が燻っていた。


それが何かは分からない。だが、長年の政治勘が警鐘を鳴らしている。


(何かが起きる──今日、ここで)


そのとき、遠くから小さな爆音が響いた。


「……っ、今のは……」


すぐに廊下を駆けてくる足音。


扉が乱暴に開かれ、ユラリアが駆け込んできた。


「石守! 教会の一派が襲撃を開始した! 正統審問官が、兵を伴って城門前に現れた!」


「やっぱり来たか……」


石守はすぐにコートを羽織り、腰に小型の結界石を装着する。


「民は!? 広場に残っている市民たちは無事か?」


「一部が混乱し始めています。ローダン伯爵はすでに広場へ向かったと!」


「なら、俺たちも行こう!」


二人は廊下を駆ける。


その背後で、また別の爆音──今度は近い。


──正統審問官。


それは単なる武力集団ではない。


魔導と神聖術を併せ持ち、“神罰”を執行する者たち。


彼らが動くということは、教会が完全に“力による支配”へと舵を切ったことを意味していた。


(昨日、確かに言葉が届いた。それが脅威になったのだろう)


石守は奥歯を噛みしめた。


(なら──言葉を信じてくれた人たちを、今度は“行動”で守る番だ)



一方その頃、民家にいたラセルも騒音に目を覚ました。


妹のリーナが不安そうに顔を覗き込んでくる。


「お兄ちゃん、なんか外で……こわい音した……」


「……っ、大丈夫だよ。すぐ戻る」


ラセルは剣を掴み、ドアを開け放って外に出た。


すると──広場の方角から火の手が上がっていた。


「何が起きてる……!? 教会の奴ら……!」


迷うことなく、彼は走り出した。


胸にあるのは怒りと、昨日の討論で感じた希望。


(あの人は、俺たちに“選ぶ力”があるって言ってくれた。

なら、選ばせろよ……こんな“暴力の神”じゃなくて、“自分の意思”で)


ラセルの足が、夜の街を裂くように響く。


アルセナの夜明けは、まだ遠かった。



都市アルセナの中央通りに、突如として響いた破砕音と怒声。それは祝祭の名残を一瞬で吹き飛ばし、広場にいた人々の表情を凍りつかせた。


「──っ!? 今の、何だ……?」


石守真誠が眉をひそめ、視線を建物の向こうへ向けたその瞬間──黒煙が立ち昇るのが見えた。


「火の手!? まさか……」


「……教会本庁から、来た」


ユラリアが即座に判断する。彼女の目は鋭く、騎士としての直感が警鐘を鳴らしていた。


「武装信徒たちが……正面から来る。あれは、審問官の装束だ」


その名を聞いた瞬間、広場にいた元兵士たちや市民の顔色が一気に青ざめた。


「審問官──!?」「嘘だろ……神罰部隊じゃないか……」


かつて、反教会思想を持った村が一夜にして消されたという噂。その実行部隊こそが、教会直属の“正統審問官”たちだった。


「くそ……ローダン伯爵! 急ぎ避難誘導を!」


「了解した!」


伯爵は指揮を取り、周囲の兵士たちへ命じる。


「非武装市民を南通りへ! 老人と子どもを優先して搬送せよ!」


「ユラリア、俺たちはどうする?」


石守が問いかけると、彼女は頷き、剣を手にした。


「……防衛線を敷きます。ここが陥落すれば、討論の意味が消える。私たちが、“言葉”の場を守らなくては」


「了解。俺は……俺は、スキルで後方支援をする」



煙が空を覆い始める中、ラセルはリーナとともに避難路の先頭に立っていた。


「リーナ、こっちへ! 急いで!」


「兄さまっ……でも、討論は……」


「心配いらない。俺たちが守るから!」


ラセルは言い切った。剣を腰に下げたまま、避難する市民の列に背を向けた。


「……戻るの?」


リーナが問う。その声には、不安と同じくらいの尊敬があった。


「うん。俺は“あの人”に教わった。守るってのは、命令されてやるもんじゃない。自分で決めるもんなんだ」


ラセルはそう言い残し、炎と怒声の方へと走っていった。



一方その頃、北門付近では、審問官部隊が整然と進軍していた。


真紅の法衣に身を包んだ彼らの中心には、指揮を執るヴィレム神官の姿がある。


「民が異端に惑わされようとも、神の法は曲げられぬ……」


その声に応じるように、審問官たちが詠唱を開始する。


「──〈神罰発動:燼滅の契律〉」


空気が歪み、白銀の光柱が夜空に伸びた。


だが、それを阻んだのは、地面から突き出した防御陣の結界だった。


「簡単には通させませんよ」


ユラリアが剣を掲げる。後ろには、元兵士たちが即席で築いた防衛線。市街地の通りを使った“瓶の口”戦法が取られていた。


「おい、あの姉ちゃん、ほんとに軍の人なのか?」「かっけえ……」


市民たちの間にも、ユラリアの姿に希望を見いだす者が現れ始めていた。


石守はその後方で、再びスキル《テレリンク》を展開。


《現在民意:混乱 31%/恐怖 42%/希望 15%/戦意 12%》


「……まだ傾いてる。でも、ゼロじゃない。なら、俺の言葉で引き上げる!」


石守は声を張った。


「皆さん、聞いてください! これは“神罰”ではありません! 違う意見を持つ者を、力でねじ伏せようとするただの暴力です!」


その言葉に、広場の人々が振り返る。


「私たちは、昨日、言葉で向き合いました。未来を話し合いました。その歩みを、誰かの一方的な命令で壊させてはいけない!」


ラセルがその横で剣を抜いた。


「俺も立つ! 誰かに命令されたんじゃない。自分で決めたんだ!」


彼の声に、市民の一部が動いた。臆病だった青年が、老婆が、手に棒を、木材を持って防衛線の補強に加わっていく。


「よし……来たぞ、流れが」


石守は笑った。


「言葉が民意を動かした。あとは、止めさせないように──守るだけだ!」


戦いの火蓋は切って落とされた。


街の夜空に、戦火の赤と、希望の灯が交差して揺れる。


だが、その炎の先には、まだ誰も知らぬ“神の本懐”が待ち構えていた。



激戦は熾烈を極めていた。


正統審問官──それは単なる武力ではなかった。

教会の秘術を操る戦闘法官、そして狂信的な信徒による殲滅部隊。

彼らの詠唱が終わるたび、空が裂け、大地が焼かれた。


「《聖火招来》、第七陣、準備──!」


先鋒を指揮する黒衣の審問官が叫ぶ。


その指示に従い、神罰詠唱が再び響き渡る。


──だが、それを断ち切ったのは、石守の声だった。


「《討論誘導》──始めよう。お前たち、“神の名”で暴れて、本当に神が喜ぶと思ってるのか!?」


声が周囲に響いた瞬間、審問官の一人の意識が一瞬だけ揺らいだ。


「なっ……精神妨害!? いや、これは……言葉……?」


混乱の隙を突いて、ユラリアの剣が閃いた。


「神の名を叫ぶ前に、己の剣の意味を問うべきです!」


斬撃が審問官の結界を破り、その男を無力化する。


「各個撃破! 狙いは本陣のヴィレム神官だ!」


ユラリアが叫ぶと、ラセルがそれに呼応した。


「了解っ!」


彼の剣が炎を裂き、前線を突き進む。


市民たちは怯えながらも、誰かが言った。


「守る者がいる……!」


「戦ってるのは、神じゃない、“人”だ……!」


その声が、次第に連鎖していく。



石守は中央広場の壇上に立ち、群衆に向けて呼びかけ続けていた。


《テレリンク》で捉えた民意は、刻一刻と変化している。


《現在民意:混乱 21%/希望 38%/団結 24%/恐怖 17%》


「まだだ。希望は動いてる。もう一押し……!」


彼は手帳を開き、書き殴ったフレーズを読み上げるように、叫ぶ。


「民意は、神の命令じゃない!

選ぶのはあなたたちだ!

命じられて生きる時代は、今日で終わりにしよう!」


市民たちが声を上げ始めた。


「もう怯えない!」


「言葉を、選ぶ自由を俺たちにくれ!」


「もう“神罰”なんか怖くないぞぉ!」


その叫びに、審問官たちの足取りが鈍った。


「おい……揺らいでるぞ」


「こ、これが……“討論”の力……なのか……?」



そのときだった。


「退けいっ……!」


爆音と共に、ローダン伯爵が兵を引き連れて突入してきた。


彼の鎧は土埃にまみれていたが、視線は鋭く前だけを見ていた。


「私は、都市の主として宣言する!

この場において、教会による“軍事介入”は違法と見なす!」


「違法!? 神の命令を、違法呼ばわりするのか!」


ヴィレム神官が叫ぶ。彼の周囲にはまだ数十名の審問官が残っていた。


ローダンは剣を抜いた。


「そうだ。神の名を掲げて市民に剣を向ける者を、我々はもはや信じぬ。

……そして、この都市の守護者として、我は“命ずる”──」


「審問官殲滅の構えをとれ!」


ローダンの号令に、周囲の兵士たちが一斉に前進した。



ラセルが最前線で敵の懐へ飛び込む。


「ここまでだ、ヴィレム!!」


「黙れ、黙れ黙れ……お前たちは、神の代弁者ではない!」


「違うな。あんたこそ、“神”を盾にして、自分を守ってきただけだ!」


ラセルの剣が振るわれ、ヴィレムの足元が崩れる。


そのまま後退した彼に、石守が歩み寄る。


「……終わりにしましょう」


「異界の者よ……お前は、何者なのだ……なぜ、言葉だけで……民が……」


石守は静かに答えた。


「“異界人”じゃない。“この世界の市民”だよ。……たった今、この街で選ばれた、民の声の一部だ」


ヴィレムの目に、かすかな驚愕と、諦めの色が浮かんだ。


そして彼は、ゆっくりと地に膝をついた。



戦闘が終わったあと、夜明けが街を優しく包み始めていた。


焚かれていた火は消され、騒ぎも落ち着きつつあった。


民衆の多くがまだ恐怖と緊張を抱えていたが──


その中で、広場の一角からひとりの子どもが、小さく拍手をした。


そして、その拍手は次第に広がっていく。


「ありがとう!」


「言葉で守ってくれて、ありがとう!」


石守が微笑んだ。


ローダンが隣で肩を並べる。


「……今日、お前がいなければ、この都市は終わっていた」


「皆さんが戦ったんです。僕は、少しだけ風を送っただけですよ」


「謙遜するな」


「そうですね。じゃあ、ほんの少しだけ、誇ります」


ユラリアが剣を収めた。


「さて……異界市長。今日は、あんたの勝ちってことでいい?」


「……うん。でも、明日も戦うよ」



──その夜、ヴィレム神官は拘束された。


枢機卿会議により、教会による“武力介入の不正”が認定され、アルセナでの特権が大きく制限された。


ローダンは臨時評議会を開き、市民からの意見箱制度の恒久化、公開討論の月例実施を宣言。


ラセルは、正式に“市民代表補佐”に任命され、ユラリアと共に治安維持組織の再編に携わることとなる。


そして石守は──


一通の手紙を窓から入ってきた黒いカラスから受け取っていた。


差出人は、南部辺境にある“魔族自治区”からのものだった。


《遠見の術にて貴殿の活躍は拝見した。貴殿の活動に敬意を表する。我らもまた、話す機会を求めている──》



夜の執務室で、石守が独りつぶやく。


だがその表情に、迷いはなかった。


「次は、“魔族”について調べたり動いてみるか。……異世界だとしても、様々な種族との対話や関係値構築はは必要だろうしな」


風が窓を揺らし、ろうそくの灯が静かに揺れた。


──続く、第2章【双界交渉編──沈黙の辺境と魔族自治区】へ。



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