【短編】親切な悪魔にご用心
「あなたの寿命の半分をいただく代わりに、なんでも願いを叶えましょう」
人のよさそうな笑顔で、悪魔はそう言った。
※
20代のころ、過重労働で体を壊してしまった。
結局、そのまま仕事を退職し、1年間療養した。
その空白期間がダメなのか、体を壊したことがあるのがダメなのか、就職活動は難航した。
ハローワークにも行き、相談すると「パートはどうか」と言われ、そこからずっとパートで食いつないでいく生活をしている。
そんな生活を続けて、もう30代も半ばになってしまった。
毎日、「どうしてこうなったのか」という後悔の念が、頭を渦巻いていた。
そんな時だった。
目の前に悪魔が現れたのは。
尻尾や翼もついておらず、一般的に想像される姿ではない。
しかし、一目で人間ではないと分かった。
雰囲気が違うのだ。
人間に擬態した、得体の知れない何か。
そんな奴の言葉を信じるなんて馬鹿げていると思う。
だけど、こんな生活から逃げ出したいと思っている僕には、その提案は魅惑的だった。
この悪魔もそのことを知っているのだろう。
「さあ、どんな願いがいいですか?お金持ち?異性にモテたい?不老不死になりたい?どんな願いでもいいですよ?あっ、でも、願いを増やすことは出来ませんので、ご了承ください」
そんな大それた願いより、僕の願いはもっと素朴なものだ。
「・・・あの時、体を壊していない人生を歩んでいきたい」
そう。僕の人生はあの時から狂いだしたのだ。
あれさえなければ――。
「いいでしょう。過去の改変ですね」
悪魔は、何のためらいもなく頷いた。
「本当か!?」
「もちろん。ただ、注意点として、私との契約を覚えていただくため、あなたは今までの記憶を持ったままになります。もう一点、寿命の半分は、あなたが亡くなる際に頂戴します。無いものはいただけませんので」
「・・・分かった」
てっきり、先に寿命の半分を取られると思っていた。
「それでは、目を閉じてください。次に目を開けた時、改変は完了しています。
目を閉じる。
「それでは、良い人生を」
悪魔の言葉を聞き、ゆっくりと目を開く。
気付けば、見覚えがある部屋の中に居た。
懐かしさと驚きがない交ぜになる。
僕は、20代に過ごしていた部屋に居た。
※
「ほ、本当に?」
自分の声に驚く。
覇気のない、しわがれた声ではない。
洗面所で自分の顔を見る。
そこには、いつもの疲れ切った自分はいなかった。
涙が溢れた。
これからの人生、無駄にはできない。
動けるときに、自分の好きなことを沢山やろう。
ベッドの上に置いてあった、端末を手に取る。
懐かしい。
使い方を忘れていないか不安だったが、迷いなく動かすことができた。
カレンダーのアプリを開くと、13年前の日付が表示されていた。
日曜のお昼だった。
ノートとペンを引っ張り出し、自分のやりたいことを書き出す。
ペンを動かす手は、止まらない。
ふぅと息を吐く。
次にそれを叶えるために、何が必要かを書き出した。
一日かけて、目的と計画を整理した。
ノートにはびっしり文字や図が描かれている。
これで、もう迷うことはない。
※
あの日から、努力を惜しまなかった。
もちろん、体を壊さない範囲でだ。同じ轍は踏まない。
今の僕は、悪魔と契約した時より歳を取った。
10年前には還暦を迎えた。
もう、あの生活が夢だったのではないかと思うくらい、変わった。
体が資本ということで筋トレを続けているし、仕事も社員からフリーランスに転向し、時間の余裕も確保している。
一番変わったことと言えば、妻子持ちになったことだろう。
彼女は後輩で、僕は教育係の関係だった。
そこから、結婚まで進むとは思っていなかったし、子どもを授かるなんて夢にも思わなかった。
「パパ~」と駆け寄ってくる子どもを抱きしめた時、こんなに幸せでいいのだろうかと不安になるくらいだった。
その子どもも、すでに社会人として働いている。
遺伝か環境かどちらの影響かわからないが、フリーランスの翻訳家として海外に住んでいる。
会えなくて寂しいが、妻と二人でゆっくり過ごす時間を大切に感じている。
毎日が充実していた。
そんな日々に終わりが訪れる。
僕が倒れ、緊急入院することになったのだ。
お医者さんからは、癌だと言われた。
「見つかりにくい場所にあり、今までの検査でも確認できなかったのでしょう。残念ですが、手の施しようがなく、薬で痛みを和らげることしかできません」とのことだった。
悪魔との契約を履行する時が来たのだと、不思議と納得できた。
検査をするために、入院した。
手の施しようがないらしいが、何を検査することがあるのだろうか。
まあ、お医者さんの言うとおりに大人しく、ベッドで横になる。
ふと、部屋の中に気配が生まれた。
「お久しぶりです」
悪魔がいた。
あの時と変わらない姿だった。
「お久しぶりです。あなたが来たということは、今がその時なんですね? 」
私の言葉に、「ええ」と悪魔が頷いた。
「それでは契約通り、あなたの人生の半分を頂戴します」
少し待ってほしいと思い、右手を上げた。
悪魔が「何でしょうか」と疑問を口にした。
「最後に。あなたのおかげで、素晴らしい人生でした。どうもありがとう」
最後に、感謝を述べたかったのだ。
こんな僕に、やり直す機会をくれてありがとうと。
僕の言葉を聞き、悪魔が「いえいえ」と首を横に振った。
「感謝されることはしていません。私は契約通りにあなたの願いを叶えただけですので」
「それでも、ありがとう」
悪魔がフッと笑った。
「では、契約を履行します」
悪魔が私に手をかざす。
何かが吸い取られている奇妙な感覚が、体を包んだ。
これまでの人生を振り返る。
最初の人生では、後悔と諦観に支配され生きていた。
やり直した人生は、素晴らしいものになった。これ以上を望むことはないだろう。
充実感が心に溢れた。
と同時に喪失感が浮かぶ。
ふと、子どもの顔が思い出せなくなっていることに気付く。
何をしたのか、どこに行ったのか、どんな話をしたのかも思い出せなくなっている。
「ど、どうして――」
私の言葉が聞こえたのだろう。
悪魔が答える。
「あなたの寿命を頂戴しているからですね」
「どういうことだ!?」
「今まで生きてきた半分の時間を頂戴するということです」
「まさか――!!」
もう、妻の顔も思い出せない。
どんな仕事をしていたのかも思い出せない。
あの時、何をノートに書いたのかも思い出せない。
「僕が今までしたことは、無駄だったのか・・・」
悪魔が不思議そうに首をかしげる。
「無駄ではないでしょう。あなたは満足したはずだ」
その言葉に、頭に血が上った。
「今までやってきたことが無かったことになるんだろ!妻も子どもも仕事の成果も!僕の生きた証の全てが!」
困ったように眉根を下げた。
「これでも気を使っているのですよ?寿命を頂戴するタイミングを、死ぬタイミングに合わせているのですから」
分かり合えない。
やはり、これは人間ではない何かだった。
・・・視界が暗くなってきた。
もう、目の前にいるはずの悪魔の顔も見えない。
体も動かない。
ああ、どうして――。
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