迷惑メール
最初は珍しいなと思った。迷惑メールなんてこれまで届いても一ヶ月に一通、なんなら一通も届かない月の方が多いぐらいだったのに、突然一日に五通も届いたのだ。
しかも、かなりふざけたもので送信者が五人組の国民的男性アイドルグループのメンバーのうち四人からだった。
メールの内容は言い方は違えどまとめると『グループで活動を続けるのが辛い』『周りに相談できる人がいない』『話を聞いて欲しい』というものだった。
五人中四人がやめたがっている状況っておかしすぎるだろう。もしそれが本当なら、続けることしか考えてない残り一人は狂人じゃないか。
『もう解散したら?』
衝動的にズバッと送ってやろうかと思ったけど、私はやめておいた。送ったところで私の返信は誰の心に残ることもなく、スルーされてそのまま消えることだろう。
迷惑メールに対して、レベルの低い悪戯だなあと思いながらも、その日はメールを開封だけしてそのまま無視することにした。
しかし、今思えば五通なんてかわいい数だったんだ。翌日には迷惑メールの受信数が十通となり、そのまた翌日は二十通を超えた。ここまで来るといくら鈍感な私でも流石に気がついた。私の個人情報が流出しているということに。
幸いなことに課金する手前だったので、クレジットカードの情報は入力していなかった。本当に課金してなくて良かったと思う。
迷惑メールに対して送信アドレスを受信拒否をしたが、それはすぐに無駄な労力だと思い知らされる。拒否しても拒否しても、どんどん新しいアドレスでメールが届くため、焼け石に水状態だった。
メールアドレスの変更も考えたが、クレジットカードや通販サイト、電気やガスに水道といった公共サービスなどなど、色んなところに登録しているアドレスを変更するとなるとかなり面倒くさい。しかも、どこにメールアドレスを登録したか、全て覚えている自信もないし、一緒に登録したパスワードも記憶が怪しい。
二分ほど悩んだ後、私はしばらく様子を見ることにした。ほっておけばそのうちメールが減るかもしれない、そんな淡い期待を胸に私は現実から目を背けた。
現実逃避の結果、一日に届く迷惑メールの通数が五十を超えるようになり、メールが届き始めて二週間が経つ頃には、私の感覚が麻痺していた。受信ボックスの異常な数字を見ても、もう何も気にならなくなっていた。
私自身の変化としては、メールが届く数が四十を超えたあたりから、迷惑メールに対するストレスが減り、受信に気がついたらその都度削除するのが新たな習慣になった。すると、慣れとは怖いもので、いつの間にか私は何も考えずに受信フォルダを確認して、迷惑メールがあれば消すようになっていた。
アドレス変更は手間だし、もうこのままでいいやと思っていたが、そんな矢先、先週私の考えが変わった。考えが変わってから行動に移るまでの時間はほんの僅かだった。私は意を決してメールアドレスを変えた。原因は母からの突然の電話だった。
「ごめんね。こないだ登録してもらった婚活サイト、間違えてたみたい」
仕事帰り、最寄駅から家に向かって歩いていると母から電話がかかってきた。電話が母からだと分かった時は無視しようと思った。でも、着信から一分ほど無視しても切れる気配がなかったので、根負けした私はしぶしぶ出てみた。すると、電話の向こうから届いた母の第一声は謝罪の言葉だった。
「え? 何? 間違いってどういうこと?」
「いや、あの、ちゃんと教えてもらったつもりだったんだけどね、こないだのあのサイト、名前間違えてたみたいなの。ごめんなさいね。それで正しいサイトの名前は……」
私はそこまで聞いてかっと頭に血が上り、黙って電話を切った。そして、そのまま早歩きで家に帰り、着替えも手洗いもせずにリビングのテーブルの前に座ると、一心不乱にメールアドレスを変更した。何だかよくわからないけれど、母のせいで変なメールがこれ以上届くというのが耐えられなくなった。
一心不乱に作業をして、一区切りついたところでプツンと私の中で何かが切れた。その後の記憶はないけれど、気がつくと私はリビングのテーブルに突っ伏して寝落ちしていた。時計を見ると日付はとうの昔に変わっており、寝違えたのか首が痛い。明日も仕事なのに……深夜の一人暮らしの部屋で舌打ちが響く。
メールアドレスを変更したら、当然ながらぱたりと迷惑メールが途切れた。
久しぶりに訪れた、スマートフォンの平穏。そうか、迷惑メールが来ないだけでメールの受信数ってこんなに変わるのか。メールの削除も日課になっていたし、ストレスなんて感じてないと思っていた。でも、迷惑メールが途切れた途端、心の中の滞りがするりと流れて気分が晴れていた。
悪いことが続く時は続くと聞くが、良いことも続く時は続くらしい。いや、これは気の持ちようかもしれないけれど、迷惑メールが途切れて晴れやかな気持ちになってから色んなことが良い方向に向かっている……ような気がする。
まず、仕事のトラブル発生率が下がった。会社の業績が少し上がったから、その分ボーナスが雀の涙ほど増えた。残業が以前と比べると減り、毎日体力的な余力をある程度残せるようになってきた。帰ってから自炊をする時間的な余裕も生まれ、食生活が改善された。
どれも迷惑メールと関係ないことばかり。でも、タイミングがアドレス変更と同時だったから、関係が全くないとも思えない。一つ一つは小さな変化だけど、合算すると大きな変化が私の生活に起きている。
こんなことならさっさとアドレスを変えておけば良かった。そんなことを考えていた矢先のことだ。
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一通の迷惑メールが届いた。