婚活サイト
「警察は頼りにならない」
よくそういった話を耳にするが、まさかここまで使えないとは正直なところ思っていなかった。そもそも、大きな被害が出てから動いたんじゃ手遅れだろう。こいつ、自分が何を言っているか理解できているのだろうか?
「税金泥棒が」
言いたかった。でも、言えなかった。こんな所に相談に来た私が馬鹿なんだろう。この人だけがこうなのかもしれないが、もう一度日を改めて相談する気力なんて私には存在しない。
警察に相談に行った帰り道、私はさっきの交番での出来事をSNSに晒してやろうかとも考えた。でも、もし私の投稿がバズったり、炎上してしまい、あの警官だけでなく私まで身元を特定されて、迷惑行為が増えたらどうしよう。そんな不安が頭を過ぎる。
フォロワーなんてほとんどいない、細々と他人の投稿を見るぐらいにしか使っていない寂しい私のアカウント。だけれど、何がきっかけで炎上するか分からない今日、私だって炎上する可能性は決してゼロではない。独身四十路女の炎上なんて目を当てられたもんじゃないし、下手なことはしないほうがいい。悩んだ末に私は投稿を踏みとどまった。
もちろんあの日以来交番には行ってない。そういえば、あの警察官は美人と言っておけば私が喜ぶとでも思ったんだろうか? ふとそんな考えが頭に浮かぶ。そう考えるとなんだかまた腹が立ってきた。私の中でふつふつと黒い感情が湧き上がる。
「ねえ。ねえ、ちょっと……聞いてるの?」
母の声に私は我に返った。母が怪訝そうな顔で私を見ている。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫大丈夫、くだらない子どものイタズラだって。最近近所でよく起きてるみたい。少し前に回覧板で回ってたわ。お母さん帰りにでも掃除して捨てておいてよ」
私はふと思いついた嘘を言って、その場をなんとか誤魔化した。「嫌よ。なんで私がチラシを集めて捨てなきゃいけないのよ」と母は本気で嫌そうな顔をして、首を横に振った。
「誰が触ってるかもわからないのに」
ぽつりと言った母の言葉に、何故か胸がざわりとした。
その後も母はくどくどと、家事をちゃんとしろ、身なりに気をつけろ、近所の某さんのところは二人目の孫が生まれた。誰某さんのところは孫が小学校に入学した、などと壊れたラジオのように話し続ける。途中で相槌が面倒になり、私はリアクションを放棄したが、母は気づいていないのかずっと話し続けていた。
二十分ほど無意味な話をし続けると、話し切って満足したのか「そろそろ行かなきゃ、これからちょっと用事があるの。それじゃまた来るわね」と言って帰る素振りを見せた。喉元まで「もう来なくていい」という言葉が顔を覗かせたが、ここで余計なことを言って小言を返されてもかなわないので、ぐっと下に押し戻した。
しかし、私が見送ろうと玄関までついて行くと「そうだ、肝心なことを忘れてた。このサイト登録してみなさいよ!」と、母は急に立ち止まると顔を輝かせながら振り向いた。
「登録?」
首を傾げる私。
「最初の登録は無料でできるんだって。運営がしっかりしてて、サクラもいないから安心なんだって」と言って玄関まで来たのに靴も履かずに、持っていた黒いレザーのハンドバッグからごそごそとスマートフォンを取り出した。そして、危ない危ない忘れるところだったわ、なんて言いながらスマートフォンの画面を見せつけられる。
母が見せてきたスマートフォンの画面には、聞き馴染みのない婚活サイトの紹介ページが表示されている。
「何よいきなり。面倒くさいことは嫌なんだけど。それにこんなサイト聞いたことないけど」
「大丈夫よ! 近所の佐々木さん覚えてるでしょう? 佐々木さんのところの息子さんも四十代だけど、このサイトで結婚できたんだって」
「はぁ……」
「騙されたと思って一回やってみなさいよ。ダメならダメでいいじゃない。でも、もしそれでいい出会いがあったら儲けものじゃないの。ね? ものは試しに登録してみなさいって」
最初は断っていたけれど、玄関まで来たのにそこから動こうとせず、まったく諦める気配のない母。予定があったんでしょ、と言っても「大丈夫大丈夫!」と言う母を見て、早く帰ってほしいと思った私は、渋々母の目の前で婚活サイトに登録した。母は私が登録するのを見届けると「何か進展があったら教えてね」と言って嬉しそうに帰っていった。
母が帰った後、私はただ茫然と閉まったドアを見つめていた。嵐のような一時だった。あんな無神経な人の血が私にも流れているのかと思うと、悪寒がする。
ため息をついてからリビングに戻る。リビングには柔軟剤と思われる母の残り香がして気持ちがさらに下がった。スマートフォンの画面を見ると、そんな私とは正反対に明るい婚活サイトの画面が表示されている。
出会い系サイトやアプリじゃなく、婚活サイトであればサクラがいないのは当然のことじゃないの? 少なくとも月額制の身分証明が必要なサイトであれば尚のことだろう。
リビングに深いため息が広がる。この年になってこんなことを考えるのもなんだが、あんな大人にはなりたくないなと改めて思った。
母が帰ってから登録したサイトで何人かの男性のプロフィールを見て、メッセージのやり取りをしてみようかと思ったが、メッセージを送るには有料会員になる必要があるとわかりやめた。無料なのはプロフィール登録までだった。登録だけなら意味がないじゃないか。
そもそも、結婚を諦めた人間に、今更まだ会ったこともない男性への気遣いや自分をよく見せようとすることはもう面倒臭いことでしかない。なのに、それをするステージの前の段階ですら、それなりの料金を払わないといけないだなんて私には耐えられない。
私は悩むことなくその日のうちに婚活サイトから退会した。婚活に時間を使うぐらいなら、頭の中を空っぽにして録画したドラマを眺めていた方が私にとって絶対に有意義だし、魅力的なのだから仕方がない。私は退会手続き完了とともにスマートフォンをテーブルに置いてテレビをつけた。もちろんドラマを見るために。
私は婚活サイトを登録したその日のうちに退会した。しかし、退会したところで私の個人情報は一度登録してしまっているので、どうやらそこから流出したらしい。
この次の日からだ、迷惑メールが届き始めたのは。