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母、現る

 彼氏が途切れてもうすぐ八年。結婚適齢期を過ぎた私は、結婚というものを完全に諦めていた。

 いつからだろう? 合コンや街コンといったものに参加するのが億劫になったのは。以前は好きだった恋愛話には、会社でもプライベートでも距離を置くようになり、年下の友達や女性社員たちとの会話に入りにくさを感じるようになった。

 若い頃、いや正しくは二十代前半は真っ白なウエディングドレスに憧れを抱いていたし、いつか着てみたいと思っていた。でも、そんな思いも三十を過ぎた頃から「真っ白のドレスはちょっときつい」と思うようになり、さらに月日が流れると、「色に関係なくきついかも……」と思いを改めた。こうして私の中の憧れは、悲しい諦めに変わっていた。

 恋愛に対して消極的になり始めた頃は、「このままで本当にいいの?」と、私自身不安に思うこともあった。けれど、幸か不幸か残酷な時間の流れがその焦りを取り除いてくれ、今ではなんとも思わなくなった。

 そりゃあ、子どもが欲しいと思うことはある。同世代のSNSの投稿なんかを見ると、妻として、母としての日常を投稿する彼女たちに引け目を感じる。女性の社会進出が進んだとはいえ、やはり女は子どもを産むもんだという圧はゼロじゃないし、なんならまだまだかなり強く残っている。

 でも、四十代に突入してからだろうか。今の自分に対して引け目を感じることも、社会からの圧を辛く思う回数も減った。「そういうのに縁がなかった、ただそれだけ」、徐々に私はそう考えるようになり、それに伴いあまりくよくよ考えなくなっていった。

 考え方を変えたことで、恋愛関係によるストレスからある程度解き放たれた私は、自由気ままに楽しく独身生活を満喫している。働いて、貯金して、たまに贅沢をする。美味しいものを食べたり、旅行をしたり、自分のやりたいことをやる。それからちゃんと老後資金を積み立てて、歳を取ったら施設に入って穏やかな最期を迎える。私はファイナンシャルプランナーに相談し必要経費を算出して、しっかり今後のライフプランも立てた。

 私は今のこの生活不満はない。結婚はできないし、最高まではいかなくても、そこそこいい人生だと思って過ごしている。でも、それなのにそれを許さない存在がいた。私の母である。

「私ももう若くないのよ。孫の顔を早く見せろとまでは言わないけど、せめて娘の花嫁衣装ぐらいは見てから死にたいわ」

 私が結婚を諦めたと言った時、「聞きたくない」と言って現実逃避。それ以降、私の諦めた発言を無かったことにして、耳にたこができるほど投げつけてきた言葉だ。


 一ヶ月前、五月最後の日曜日。昼近くまで惰眠をむさぼっていた私は、突然インターホンの連打によって叩き起こされた。

 最初は無視してやり過ごそうかと思った。でも、あまりにも何度も何度も鳴らされるので、我慢ができなくなり、私は重たい体を無理やり動かして壁に設置されたインターフォンのモニターに向かった。

 朝からこんな迷惑行為をしてる奴はどんな奴だ? せっかくだから面を拝んでやるか、なんて考えながら頭をかきつつゆっくり歩いていると、「あんた! いつまで親を外で待たせる気なの?」と、怒鳴り声がドア越しに聞こえ、騒音の犯人が判明した。私は一度舌打ちをしてから、モニターを見るのをやめて玄関にむかう。苛立ちのせいで乱暴な足音が廊下に響く。

 万が一、まあそんなことなんて100%ないとは思うけれど、ドアを開けたら知らない人だったら困ると思い、私は念のためドアスコープを覗く。するとドアスコープ越しに、こちらをなんとか覗き込もうと顔を近づける母のドアップの顔が見えた。そう、大嫌いな私の母の顔が。

 母が家に来るなんて……せっかくの休日が最悪の時間に早変わりした。


 私が「近所迷惑だから静かにして!」と言いながらドアを開けると、思わず鼻を押さえたくなるほどきつい柔軟剤の香りが私を襲う。臭いに怯む私を気に留めることなく、母は私をずいっと押しのけて家の中に入ってきた。

「ちょっと、いい年した大人がいつまで寝てるのよ。そんなんだから彼氏ができないんじゃないの?」

 口を開いて一言目が小言。どうしてこんな女が私の母なんだろうとげんなりする。前から好きではなかったけれど、母は老いと共に嫌味な性格が強まってきているように感じる。会う度に小言が増え、不愉快な思いをさせられることが増えている。

「余計なお世話。もしかしてそんなこと言うためにわざわざ来たの? 用が済んだなら帰ってよ。私は仕事で疲れてるの」

「はいはい、会社初の女性部長様はお仕事がお忙しそうですねー」

 帰る気はさらさら無いのだろう。母はするりと靴を脱ぎ、嫌味な台詞をまき散らしながらずかずかとリビングへ向かう。仕方がないので、私がため息をつきながら母の後を追うと、「うわ、何よこれー、掃除してないでしょ!」というありがたい感想の言葉が前から飛んできた。

 春らしい明るいベージュのジャケットに真っ白なショートヘアー。それなりに服装にこだわりがあり、化粧もしている。見た目は大人しそうなのに、どうしてこうも中身が残念なんだろう。年をとっても私はこんなふうにはなりたくない、絶対に。

「別にいいでしょう、私しか住んでないんだから。ほっといてよ」

 私がそう言いながらリビングに入ると、母はジャケットを脱いで小さなリビングテーブルの横にちょこんと座った。

「いいわけないでしょう。こんなんじゃいい男がいても家に呼べないじゃない。それからあんた、あのポストは何? いくらなんでも汚すぎるでしょ」

「ポスト? ……ああ、すぐチラシが溜まるのよ」

 そうか、あれを見られたのか。面倒なものを見られてしまった。さっさと片付けておけばよかったと、ちょっと後悔する。

「溜まるってレベルじゃないでしょう! あんたのポストだけぐちゃぐちゃにチラシが詰め込まれてて、見てびっくりしたわよ。もしかして、嫌がらせでも受けてるんじゃないの?」

「……なにそれ、そんなわけないじゃない」

 私は母の発言を否定しながら、ざらりとした心地の悪さを感じた。この人はいつもそうだ。女の……いや、親の勘というものだろうか。変なところで勘がいい。それもまた、子どもの頃から母の嫌いな要素の一つだった。

 子どもの頃、学校で嫌なことがあったり、友だち関係で困っていると、母はすぐに察知して話しかけてきた。

 ちゃんと私を見てくれているという点ではいいのかもしれない。けれど、余計な一言が頻繁に出てくるし、私の意見は滅多に聞かないので、正直ほっといてくれとも思っていた。

 そんな勘だけはいい私の母の発言は、今回も何も間違っちゃいない。そう、私は今、嫌がらせを受けている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 母親のリアルさが良かったです。 こういう人、実際にいますよね。 心配してくれてるのは分かるものの、余計な一言だったりこちらの意見を言うと何故か怒られたり。 そしてちょっとでもこちらが嫌な…
[一言] リアルゥ……( ˘ω˘ )
[一言] うわあああああ! なんか・・・自分の◯親とかぶりました。。。
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