四度目の遭遇
酒だけでなく、服や漫画にカップ麺、普段から頻繁に通販を利用しているので、配達は週に二、三回してもらっている。変な配達員も気にはなるが、それ以上に頻繁に不在にすると、受け取りの時に文句を言われるんじゃないかと不安になった。正直なところ理解不能な存在よりも、おれは人から怒鳴られたり怒られたりする方がストレスに感じる。
少なくとも二週間は迷惑行為をやめて様子を見たほうがいい、そう思っていた。思っていたのに、不満だらけの出来事満載の今日、その決意はあっさりと崩れ去った。
いらいらとした感情が収まらず、運送会社のトラックを見た途端足が止まった。このまま急いで家に帰るべきなのはわかっている。そうすれば配達員に迷惑をかけないし荷物も受け取ることができる。でも、それをしてしまうといらいらを抱えたまま寝ることにもなる。
むしゃくしゃしながら布団に潜る自分を思い浮かべ、それだけは回避したいと思ったおれは、荷物を受け取らないことにした。おれはマンションの手前の曲がり角に身を潜める。
ドア越しに聞いた「三回目」というカウントは、配達員がその日荷物を持って行った先が不在だった回数だったんじゃないのか? 戻ってきたことと、手ぶらな理由は不明だがその可能性が高いと自分に言い聞かせる。
故意的にじゃないけど、今までも外出していて不在票を入れられたことはある。それに不在票を入れられたことがある人はこの町内だけでもかなりいるだろう。おれだけいきなり怒られるなんてことはないはずだ。
今のところ運送会社が不在回数に対して急にペナルティを課すなんてニュースは聞いていないし、予告なくそんなことを始めるなんてことも考えられない。配達員が個人的に何かをしているのかもしれないが、それなら態度が悪い配達員がいるとクレームを入れれば運送会社側で対応してくれるだろう。
考えれば考えるほど変な配達員のことは大したことじゃないように思えてきて、気にしていた自分が馬鹿らしく思えてきた。
曲がり角で様子を見ていると、配達員がマンションから出てきた。距離があるので表情までは見えないが、荷物を持ってトラックに戻る姿を見て、おれは満足する。何気なくポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出し、液晶画面を光らせて時間を確認すると既に二十時を過ぎていた。
配達時間の一番遅い時間帯を指定されているのに、配達に来たら家主が不在。おれが配達員なら「自分で指定したくせにどうして家にいないんだ!」と大声で叫びたくなるだろう。きっとあの配達員も心の中では……なんてことを考えると、ついつい顔がにやけそうになる。我ながら嫌な性格をしているなと思うが、我慢しきれずに少し口角が上がるのを感じた。
配達員がトラックを発進させるのを確認してから、おれは何事もなかったかのようにマンションに向かって歩き始めた。胸の中の苛立ちも軽減され、おれは満足している。これで今夜も気兼ねなく寝られる、そう思いながら歩いている時だった。さっきポケットにしまったスマートフォンが小刻みに振動した。
いつもなら気にせず帰宅して、家の中で通知内容を確認する。しかし、何故か今日は今すぐに確認したい、いや、確認しないといけない気がして、おれはポケットに右手を突っ込んだ。
画面には一件のメッセージの受信が通知されている。表示すると見慣れない電話番号からショートメッセージが届いていた。
ご不在の為お荷物を持ち帰りました。こちらにてご確認ください xxx.####..com
「なんだ、迷惑メールかよ」
運送会社名を名乗ることもなく、明らかに運送会社ではない変なURLを掲載したメッセージを見て、おれは画面に向かって独り言を吐きつけた。
以前、一日中家にいた時に、同じようなメッセージが届いたことがある。その時、「こんなメッセージに誰が引っ掛かるんだろう? 騙すつもりならもっと頑張れよ」と、呆れてしまった。
一時期頻繁にこの手の怪しいメッセージが届いていたが、無視しているといつの間にか件数が減っていた。きっと連絡しても無意味だと認定されたのだろう。しかし、ここ最近急にまた増えてきている気がする。こないだ届いたのは確か……。
受信履歴を消していなかったので、画面をさらさらと流して確認すると、ここ一ヶ月で三回あった。そして、その時おれは大きな見落としをしていたことに気がついた。迷惑メッセージが届いた日はおそらくおれが荷物を受け取らなかった、あるいは受け取れなかった日で、変な配達員が来た日でもあった。
確証はない。メッセージアプリの通知はいつも見落としがちで、気がついた時に内容を確認するから、受信してから見るまでに時間が開くこともある。しかし、日付の間隔を見るとだいたいたぶん変な配達員が来た日に合致する気がするのだ。
メッセージの受信時間と配達員が来た時間のどちらが早かったかまではわからない。でも、迷惑メールと変な配達員には何かしらの繋がりがある可能性が高い。ということは、今夜これから変な配達員が家に来る可能性がある。おれはそのことを考え、ため息をついた。
せっかく気が晴れたのに。おれは重たい気持ちを引きずりながら、ゆっくりと家に向かう。マンションにたどり着き、階段を三階まで登り切ると、案の定おれの家の前に顔が見えない配達員がいた。
あれが誰なのかはわからない。そもそもここ三回の遭遇のことを考えると、人間かどうかも怪しい。でも、これまでの流れを考えると、きっと今日も同じ行動を繰り返して、いつの間にか姿を消すのだろう。おれはそう高を括り壁際に身を寄せた。
怖いと言えば怖い。相手の正体がわからないので当然だ。しかし、今日は怖いということよりも、気分転換をしてせっかく晴れやかな気持ちになっていたのに、それを台無しにされたことに対する苛立ちの方が大きかった。だから、配達員がインターフォンを三回、ノックを三回、呼びかけを三回するのをまともに見ようとせず、スマートフォンでSNSを見ながら、配達員が消えるのを待った。
芸能人の炎上投稿を見ているうちにSNSに見入ってしまい、思ったより時間を潰してしまった。おれは慌てて自分の家の前を確認すると、既に配達員の姿は無くなっていた。相変わらず不気味だけれど、危害がないなら気にしないでおこう。おれはスマートフォンを見ながら自分の家の前まで歩を進めた。
もうすぐおれの家の前、そう思った時、嫌な臭いが鼻腔をくすぐる。何度も臭ったあの臭い、でも、今日は別の場所でも臭った記憶があった。どこだったっけ? おれは思わず立ち止まって記憶を遡る。
じっとりとした湿度の高い臭い。考え始めてから時間にして十秒もかからないうちに、おれは答えに辿り着いた。朝、駅まで走った時に嗅いだ臭い。雨に打たれた敷きたてのアスファルトの臭いだ。
臭いが何の臭いかわかってすっきりとしたのも束の間、土がむせ返ったような生ぬるくべっとりとした臭いが鼻の奥にへばりつき、おれは吐き気と共に立ちくらみを起こしそうになる。今日はいつもよりも臭いがきつい。
鼻を抑えながらおれは急いで家の前まで移動し、左手に持つビジネスバッグから鍵を取り出そうとした。
「ご不在の為お荷物を持ち帰りました」
鍵を取り出した時だ。右耳に吐息を感じる距離で男の声がした。ざらざらとした聞き心地の悪い声だった。
臭いがさらにきつくなると同時に、背後に人の気配を感じる。マンションの廊下なんてそれほど幅は広くない。背後、ということはかなりの近さだ。おれは瞬時にそれを理解し、身震いした。
「ご不在の為お荷物を持ち帰りました」
さっき届いたメッセージと一言一句同じ台詞。男の声が鋭く胸を刺す。物理的には何も刺さっていないのに、何かで後ろから貫かれたような鋭利な痛みに襲われ思わず足がふらつく。
「ご不在の為お荷物を持ち帰りました」
逃げ出したい。なのに体が言うことを聞かず、おれはただただ男に背を向けたまま立っていた。鍵を開けさえすれば家に逃げ込めるのに、どうしてだかそれすらできずにいる。震える足はその場から一歩も前に出てくれず、嗚咽を廊下に響かせながら、恐怖から込み上げる涙をただただ目から溢れさせることしかできない。
「ご不在の為お荷物を持ち帰りました」
四度目の同じフレーズが耳に届く。それと同時におれの後頭部をそっと大きな手のようなものが添えられる。冷蔵庫を開けた時のような、ひんやりと冷たい空気が背中を駆け抜け、全身に鳥肌が立つ。本能が危険を告げるが、それと同時に、どう足掻いてももう逃げられないとわかる自分がいる。
体が浮く。浮くと言っても体感で指一本分ぐらい。ほんの少しの高さなのに、この高さがおれを無力化する。痛いほど静かな廊下に通行人の気配はない。目の前にあるのに、もう帰ることのできない自分の家のドアが涙で歪む。
後ろから添えられた手に力がこもる。そして、慣性の法則に従い、頭の下に力なくだらりとぶら下がる体を置き去りにしながら、顔からドアに向かって力強く叩きつけられる。
高速で近づいてくる鉄のドア。ドアが目の前に迫ったと考える間も無く、自分の頭がドアにぶつかって破裂する音の鳴り始めが耳に届いたところで、おれの意識は途切れた。