警告
「舞さん? ちょっと、舞さん! どうしたんですか!?」
緊急事態だと思った。私は舞さんの名前を呼ぶ。でも、電波に乗って聞こえるのは、私の呼びかけに対する返事じゃなかった。
「なにこのメール、不在票がないのにどうして?」
戸惑っているのか、早口で独り言を言う舞さん。でもその独り言を上塗りするみたいに、力強く何かを殴るような大きな音が三回鳴り、舞さんが短い悲鳴を上げた。たぶん玄関のドアが叩かれんだんだろう。
悲鳴を聞いて『このままじゃいけない! 早く舞さんを落ち着かせなきゃ!』と思った私は、舞さんの名前を大声で呼ぼうとした。でも、私が声を上げるよりも先に電話の向こうから大きな声がした。
「さくら急便です。さくら急便です。さくら急便です」
男の人の声だった。スマホを握る私の右手に思わず力がこもる。電話越しでもはっきりと聞こえる大きな声。インターフォンが三回、ノックが三回、『さくら急便です』という呼びかけが三回。これは絶対に舞さんが言ってたやばい配達員だ。
でも、どうして? 過去の訪問は舞さんが荷物を受け取れなかった時に来たんじゃなかったの? でもでもさっき舞さんは不在票がないのにって言ってた。もしかして今までと訪問のルールが変わってる?
考えろ考えろ考えろ……。恐怖のせいで私は混乱しながらもなんとか考える。そしたらすぐにある心当たりに辿り着いた。
今回の訪問に荷物が関係ないとなると、考えられることはただ一つ。舞さんが自分から踏み込み過ぎたからじゃないの? 根拠はないけど、舞さんが知りすぎたことが引き金になっている気がする。
今のところ『さくら急便です』三回の呼びかけの後、電話の向こうには何も動きが感じられない。舞さんもノックの音に悲鳴を上げてから無言のままだ。
今回の訪問が、舞さんが踏み込みすぎたことに対する警告なのか、それとも罰則なのかはわからない。でも、私は直感的に後者だと思い始める。そしたら、舞さんはもう……なんてことが頭を過り、泣きたくなってくる。
あともう一つ私を絶望させることがあった。電話越しに聞こえた配達員の声。あれはついさっき耳元で聞いた声と同じ声音だった。ということは私も既にやばい状況なんだろう。
暑くないのに汗が止まらず、スマホを握る手もびしょ濡れになっている。気を抜いたら今すぐに泣いちゃいそうだ。
「舞さん……早く逃げて……」
声が震えそうになりながらも、なんとか舞さんに声をかける。家に来られてる時点で手遅れかもしれないけれど、私はそう言わずにはいられなかった。でも、言ってすぐに『逃げるってどうやって?』と、問題にぶち当たった。
インターフォンが鳴ったということは、配達員は玄関の外にいる。となると、舞さんは玄関からは出られないということになる。窓からの脱走も考えたけど、一階ならまだしも現実的じゃない。
何か方法がないかな……私が必死に考えていると、電話越しに突然、がたんと大きな音がした。私は驚いたのと大きな音で耳がきーんとしたのでら思わずスマホを耳から離した。音は舞さんがスマホを床に落としたような、そんな音だった。
「舞さん? 舞さん、大丈夫です?」
私の呼びかけに反応はない。耳を澄ますと微かに声がする。どうやら舞さんは独り言を言っているみたい。だけど、声が遠く何を言っているのかは分からなかった。私は急いでスマホのボリュームを最大にした。
「モニターに映ってるのになんで家の中に……」
他にも何か言っていたみたいだけど、私が聞き取れたのは早口で言われたそのフレーズだけだった。その言葉の直後、バーコードをスキャンするような『ピッ!』という電子音が聞こえた。すると舞さんの声が一切聞こえなくなった。
「舞さん? 舞さん!」
電話はまだ切れていない。私は何度も呼びかけたけど反応はない。どうしたらいいかわからないけれど、とりあえずスマホを耳から離した。そんな時だ、また声がした。
「集荷が完了しました」
私のスマホから聞こえた気がする。でも、私の耳元で言われたような気もする。なんなら両方かもしれない。声の発生源はわからないけど、例の配達員の感情のない声がした。それは間違いない。
私は突然の声に体をびくんと震わせてしまい、スマホを落としてしまった。床に転がったスマホの画面を見ると勝手に通話が終了していた。
舞さんの身に何が起きたのかはわからない。でも、配達員は『完了しました』って言った。完了したということはたぶん全て終わったんだろう。私以外誰もいない部屋の中、私はスマホの画面から明かりが消えるまでその場を動けなかった。
なんとかスマホを拾い、ベッドに寝転がって呆然としていると、突然ノックの音がした。私は全身を震わせてドアの方を見る。すると、「入るよー」と言いながらドアを開けたのは父だった。
「何かあったのか? 母さんが大きな声がしたって心配してたぞ」
仕事から帰って来たところなんだろう。スーツ姿の父を見て安心している自分がいた。この家には父も母もいる。だから、私は舞さんのようにはならないはずだ。そもそも私は自らやばいことに踏み込んでいない。
「ごめんなさい。でも、大丈夫。ちょっとバイトの先輩と電話で揉めちゃって……でも、解決したから心配しないで!」
父に心配されないよう、私はさっと起き上がってから無理やり笑顔を作って誤魔化した。父はそんな私を見て「そうか、ならいいんだけど。あんまり電話に夢中になりすぎるなよ」と言った。どこかずれた指摘だなと思ったけど、「うん、そうする。お母さんにも大丈夫って言っておいて」と受け流した。
「あ、そうだこれこれ」
私の部屋を出て行こうとした父は、ドアを閉める前に振り向いて再び部屋に入って来た。そして「これ、廊下に落ちてたぞ」と私に紙を手渡してきた。
「再配達にならないように気をつけなよ。ドライバーさんも大変なんだから」
父はそう言って部屋を出て行った。流れ作業のように紙を私に渡して出て行った父は気づかなかったようだ、私の顔が引きつっていたことに。そして、なんの返事もできなかったことにも。
再配達。そもそも何も買ってないし配達の予定なんてなかったはず。恐る恐る手渡されたさくら急便の不在票を確認してみる。
ご依頼者様 園田舞 様
担当者 村上
記載内容にに私は目を見開いた。園田舞、この名前は舞さんの名前だ。舞さんから荷物が届くなんて聞いてないし、担当者の村上って……。
右手にあったスマホが震えた。画面を見るとメッセージの受信通知だった。送信元はさくら急便。これは見なくてもわかる、絶対にあの迷惑メールだ。
「だから関わるなって言ったのに……」
こんなの巻き込まれ事故だ。私は絶対に何も悪くない。悪くないのに……。私は舞さんに言葉で言い表せないぐらい苛立ちや怒りを感じた。でも、たぶんもうそれを舞さんにぶつけることはできないだろう。
「だから言ったのに……」
握りしめたスマホの画面がぼんやりと滲んだ。