予感
お見舞い後、舞さんの復帰は早かった。
その日私はシフトを入れてなかったんだけど、私がお見舞いに行った二日後に復帰したらしい。そしてその次の日、私は舞さんとシフトが被っていた。もう大丈夫なのかなと思いながら出勤したら、私よりも先に出勤していた舞さんの顔には生気が戻っていて、仕事もしっかりこなせる状態になっていた。
「伊織ちゃんのおかげだよ! ありがとう!」
出勤して早々、驚く私に嬉しそうな顔で舞さんが言ってくる。数日でこんなに人って元気になるんだ、というのが素直な感想。別に悪い意味はない。
「そんなそんな、お役に立てたみたいで良かったです!」
言えなかった。「マジ!? あんな簡単なことで解決したんですか?」とは、流石に言えなかった。色々と思うことはあるけど、解決したのならよかったと自分に言い聞かせる。まあ、こうして舞さんが復帰してくれたのは実際ありがたいことだし、嬉しいことでもある。それは嘘じゃない。
復帰した舞さんを見てリエさんもマスターも嬉しそうだ。こないだのリエさんの話が若干引っかかるけど私は蓋をすることにした。こういうのはあれだ、深入りしない方がいいやつだ、きっと。
舞さんの復帰は本当に完全復帰で、急にバイトに来なくなるということもなかった。復帰して一カ月が経ち、年が明けさらに三月になった頃には休んでたことなんて遠い過去の出来事のように思えた。
舞さんはというと、さくら急便にLINEアカウントを登録したことで外出中に配達員の人が来てしまうかもしれないという不安が解消。さらに荷物の受け取りもしやすくなったことをいまだにすごく喜んでくれている。
「本当に伊織があの日お見舞いに来てくれなかったら今頃どうなってたか……」
二人ともバイトが休みの日曜日、SNSで話題になっている不思議の国のアリスの世界観を再現したカフェに私たちは来ている。そこで人気のアフタヌーンティーのセットを楽しんでいると、舞さんがありがたそうに言った。私はトランプ柄のクッキーを食べながら「またまたー、私は大したことしてませんよ」と返した。うん、だって家に行ってケーキを食べて思いついたこと言っただけだし。
舞さんとは元々仲が良かったけど、お見舞いに行ったことでさらに仲が深まっていた。それまではバイトで会うだけの関係だったのが、バイト後にちょっと買い物に行ったり、休みの日に一緒に遊びに行くようになっていた。
「いや、伊織はそう言うけどね、私すっごく感謝してるの。あれから不在配達もないし、変な人も来ないし、ストレスフリーで過ごせてるんだから」
「ストレスフリーって大袈裟な。でも元はと言えば舞さんがずぼらだからいけないんですよー」
「ちょっとそんなこと言わないでよ。あ、そうだ。変な人で思い出したんだけどね、一つ気になることを見つけたんだ」
独り言のように「あ、そうそう」と言って、まさに今ぽんっと思い出したかのように話す舞さん。変な人で思い出すってことはやっぱり普通じゃない話なんだろうな。正直あんまり聞きたくない。私は少し身構えた。
「うちのマンションからちょっと離れたところにある電信柱にね、いつもお花がお供えしてあるの。お花があるのは前から知ってたんだけどさ、そこで亡くなったのが運送会社の配達員の人だったみたいなの」
私は舞さんが何を話したいのかが見えず、とりあえず「交通事故ですかね?」と思いついた感想を言った。舞さんは「そうみたい。こないだたまたま近くを通った時に、たぶんお花を持ってきた人だと思うんだけど、お婆さん二人が話してるのが聞こえたの。『ここに来る度に思うけど、まだ若い配達員さんだったのにねえ』『さくらさんも惜しい人を亡くしたと思ってるはずよ、きっと』って」
配達員の事故死。さくらさん。となると、きっとさくら急便のドライバーの人が亡くなっている可能性が高いということだ。こんなの誰だってすぐにピンとくるし連想ゲームにもならない。謎解きとか推理とか苦手な私でもわかるレベルの話だけど、それがどうしたんだろう? 私は舞さんが何を考えているのかまだわからないでいた。
「なんとなく気になるんだよね」
「何がです?」
「関係があるのかなって」
「関係?」
私が首を傾げると、舞さんは紅茶の入ったマグをそっと両手で包み俯いた。
「気にしすぎな気もするんだけど、変な配達の人がさくら急便の制服だったからさ……。たぶんお婆さんの会話で他の運送会社の名前が出たのなら気にならなかったと思うの。でも、さくらさんって聞いて、もしかしたら事故と変な配達の人って関係があるのかなって思っちゃって……」
「それは……偶然じゃないですかね?」
考え過ぎだろうって思った。たまたま変な人がいてその人がさくら急便の制服で手の込んだいたずらをしていた。そして、たまたま舞さんの家の近くで亡くなってるのもさくら急便の人だった。そんなこともあると思う。でも、舞さんは納得していないみたい。
「運命は偶然よりも必然である」
舞さんがぽつりと言った。「なんですかそれ?」名言っぽいけど、聞いたことはない。私が知らないだけかもしれないけど気になった。
「芥川龍之介の言葉らしいよ。高校の現代文の先生が授業で言ってたんだ。言葉の詳しい意味もどういう流れで出てきた言葉かも忘れたけど、なんとなくずーっと頭に残ってるの。それでかな、この件も偶然じゃない気がするんだよね……」
「はあ……でも、あんまり関わらない方がいい気がしますよ? せっかく変な人が来なくなったんだし」
やっとストレスフリーになったのに、また厄介なものに自分から関わりに行くなんて絶対にやめた方がいいと思う。そんなことして良いことが起こる訳がない。
「そうだよね……確かにまた変なことが起きたら嫌だし、気にしない方がいいよね……」
マグカップの中をじっと見つめながら舞さんが言った。そんな舞さんは私の言葉に納得しているというより、どちらかというと自分に言い聞かせているように見えた。
夕方、家に帰ると母が台所で夕飯の支度をしてくれていた。父はリビングのソファーにもたれて口を開けたまま眠っている。だらしないなあと思いながら父を見ていると、「最近残業続きで、昨日も今日も朝からずっと家で仕事してから大目に見てあげて」と母に言われた。
「そっか、それなら仕方ないね」
昨日はバイト、今日は遊びに行ってたから知らなかったけど、頑張ってくれていたのか。私はソファーの近くにあったブランケットをそっと父にかけてあげた。
「おかえり。楽しかった? 同じバイトの人と行ってきたんだっけ?」
テキパキと動き続けながらも聞いてくれた母に「そう、舞さんと。楽しかったよ。紅茶も美味しかったし」と答える。そんな私に「それはよかった。そうだ、舞さんの家って前に歩いて行ってたよね? 舞さんってどの辺りに住んでるの?」と、母は追加の質問をしてきた。どの辺りと聞かれても方向音痴の私はうまく説明できなくて、リエさんから教えてもらいスマホに控えていた住所を母に伝えた。私は母が「へー」とか「そうなんだ」ぐらいの軽い返事をすると思ってた。でも、実際には「あ、あの辺りなんだ……」と意味深な感じで言った。
「何か知ってるの?」
「まあねえ……」
母はちょっと顔をしかめている。私は気になって母の顔を見ていると、母は小さなため息をついてから話し始めた。
「あの辺、昔はがらが良くなかったらしいのよね。あ、今は違うわよ? 子育て世代に人気で新しい家も増えてるみたいだし。がらが悪かったのは伊織が生まれる前、なんならお母さんとお父さんが結婚してここに引っ越してくるよりも少し前の話みたいなんだけどね」
母の言葉を聞いて、そういえば舞さんの家に向かう途中、前を通った公園のフェンスに『シンナー遊び禁止』と書かれた古びた看板があった。公園自体はすごく綺麗に整備されていて、小さな親子連れがたくさんいたから特に気にしてなかったけど、そういうことだったんだと納得した。
「あと、噂でしかないんだけどね、その辺りに何人も自殺した人がいるマンションがあったんだって。今は古いマンションは潰されて綺麗になってるみたいだけど。がらが悪いとそういう場所もできるのかもね」
「そうなんだ……」
母の話を聞いて少し嫌な感じがした。何か繋がりそうな気がするけど、私は目を背けて気にしないことにした。こういうのは気が付かない方がいい、ホラーやSF映画の鉄則だ。
母の話を聞いて少し胸の中に暗いものを感じながら自分の部屋に行く。部屋に入ると誰もいないはずなのに誰かに見られているような気がして、微かに耳鳴りもした。
誰かに見られているような感じも、耳鳴りもすぐにおさまったけど、なんとなく嫌な予感がする。悪いことが起きそうな、そんな予感。何も起きませんように。私の考え過ぎでありますように。私は胸の中で祈った。
でも、私の祈りは天には届かなかったらしい。泣いている舞さんから電話がかかってきたのはその一週間後のことだった。