お見舞い
舞さんの家の住所はリエさんから教えてもらった。うちと同じ最寄駅のエリアだけどあまり行ったことのない所だった。最初は自転車で行こうとしたものの、運動不足で最近体重が気になり始めていた私は歩いて行くことにした。
スマホの地図アプリを見ながら訪ねた舞さんの家は綺麗なマンションだった。クリーム系の外観でたぶんまだできてそんなに経ってないと思う。おしゃれな賃貸マンションでの一人暮らし。実家暮らしの私は舞さんがちょっと羨ましくなった。
舞さんには昨日の夜にお見舞いに行くこと伝えてある。LINEしたら「ごめんね」ってメッセージとスタンプが返ってきた。
舞さんの家に着いてインターフォンを鳴らすと、舞さんはすぐにドアを開けてくれた。「本当にごめんね、わざわざ来てもらって」と、言ってくれた舞さんの左右の目の下には、黒くて大きなくまができていた。リエさんから、舞さんは精神的にまいってるみたいと聞いてたけどこれは割ときてるなと思った。
舞さんの家は物が多い。足の踏み場はあるけど、あっちこっちに畳んだ洗濯物やダンボール、乱雑に積み上げられた本や雑誌の山がある。バイト中に垣間見るずぼらな性格から、舞さんは整理整頓や片付けは苦手なのかもと思っていた。どうやら私の予想は当たってたみたい。
「ごめんね、散らかってて……」
「いやいや、お気になさらず」
やっぱ片付け苦手なんだなーと思っていたタイミングで舞さんから謝られたので、私は声が裏返りそうになった。
うちの近所のケーキ屋さんで買ったお土産のケーキを渡すと、舞さんは「ありがとう。そうだ何か飲む? 今すぐ出せるのがアイスコーヒーか麦茶しかないんだけど……」と言って、私に部屋の真ん中にあるローテーブルの側に座るよう促した。ローテーブルの上にはなんとなく重要そうな書類の束、水道やガスの明細がある。私は座りながら、冷たい麦茶が飲みたいけど麦茶とケーキは合わないよなあと思いアイスコーヒーをお願いした。
お土産にはいちごのショートケーキを一つ、チョコレートケーキを一つ買ってきた。どちらも好きだけど、いちごのショートが食べたいなーと思っていたら、舞さんがチョコレートケーキを選んでくれたので私は嬉しくなった。
いつもなら二人でいる時に沈黙が続くことはない。でも、ケーキを食べている間、私たちはほとんど会話がなかった。せっかく好きなケーキを食べているのに、気まずい空気のせいで味が全くしない。私は少し悲しくなった。
「実はさ、こないだ伊織ちゃんに話してた時にね、思い出したことがあったの。私、ここしばらくインターフォンの録画を見てなかったなって」
ケーキを食べ終えて私がちびちびとアイスコーヒーを飲んでいると、舞さんが重たい口を開いた。アイスコーヒーがなくなったら私から話を振るか、無言でもう少し様子を見るか悩んでいたので、私はほんのちょっとだけほっとした。
インターフォンの通知。最初は何のことかわからなかったけど、舞さんの話を聞いているうちに、未読のメッセージみたいな感じで、舞さんとこのマンションではインターフォンが鳴らされた記録が残っていることがわかった。
舞さんによると、この家のインターフォンは鳴ると同時に録画する機能があるそうだ。そして録画データがあると、通知としてモニターの側に書かれた『新着あり』の文字の下の小さなランプが青く光るんだとか。でも、ここ数日舞さんはランプが光っていても特に気にせず放置していたらしい。
「光ってるなーと思ってたんだけど、いつもインターフォン鳴らすのって宗教かマルチの勧誘のどっちかなんだよね。それでどうせまたどっちかだろうなと思って見るのを後回しにしてたんだ……」
舞さんは言い訳のように言った。そんな舞さんには悪いけど、私はきっとかなり長い間確認せずに放置してたんだろうなって思った。だって前に舞さんのスマホのホーム画面が見えた時、メールやLINEの通知数が百近くたまっていたから。きっとインターフォンの通知も同じようにスルーしてたんだろうな。でも、見てなかったことを思い出したってことはそれを見てみたのかもしれない。
「あの、もしかして録画に何か映ってたんですか?」
私は聞きながら怖くなってきた。話の続きはある程度予測できる。
「うん、一カ月前の録画に映ってたの。配達員が」
やっぱり数日ってレベルの放置じゃないじゃん! って思わず声に出して突っ込みたくなった。でも、ここで話を止めるのも申し訳ない。私はあと少しの所で口から出そうになった感想をぐっと飲み込んだ。
私の感想はさておき、舞さんが言う配達員がどいつのことかってのは流石に私でもすぐにわかった。乱暴で不自然な対応のさくら急便の配達員だ。
舞さんの話を整理すると、一ヶ月前に実家から荷物が送られてきた時も一度受け取りそびれてしまった。その時も変な配達員がインターフォンを鳴らしていたが、運良く舞さんは外出中だった。
不在票が二枚入ってたような気がするけど、舞さんは同じ内容だと思ってちゃんと確認せず捨ててしまった。それから変なメールも来てたかもしれないけど、たまにちゃんと見ずにメールを削除してしまうことがあるのでたぶん消してしまった気がする。
変な配達員は、舞さんがこないだ遭遇した時も一カ月前の録画でも同じ人だった。荷物を持ってきてくれた配達員とは別の人で、二回とも手ぶらで荷物らしきものは何も持っていなかった。帽子をかぶっていて顔がよく見えないが、おそらく四十代ぐらいの男であるとのことだった。
「その人が過去に荷物を持ってきたことってあるんですか?」
「わかんない。顔は見たことがあるような気もするんだけど、違う気もして……よかったら見てみる? 映像すぐに出てくるけど」
なんて怖い提案してくるんだこの人は。私は秒で嫌な予感がして、大慌てで首をぶんぶんと左右に振った。舞さんは見て欲しそうな感じだけど、『見ちゃダメ』って本能的に私は思った。
「そっか……」
舞さんは見るからに残念そうな顔をした。そんな舞さんを見てちょっとだけ……ちょっとだけど私は胸の中にもやっとしたものを感じた。
その後も当たり前だけど会話が盛り上がることはなかった。バイトの話と最近私がハマってるドラマの話をした。ドレッドヘアの大学生がトラブルに巻き込まれながらも謎を解いていくドラマで、性格の悪い主人公が「はて?」と言いながら毎回犯人の心を抉るのが最高なんだ。でも、私の説明が悪いのか、私の話を聞いても舞さんにはあまり響いていなかった。
スマホを見ると舞さんの家に来てから二時間が経っていた。お見舞いを頼まれたものの、これ以上いてもやることがないので私は帰ることにした。私が立ち上がると「心配かけてごめんね。やっと落ち着いてきたから、もうそろそろバイトに行けると思う」と舞さんが言った。
「そうだ、事前にLINEに配達日の通知が来るようにすればいいんじゃないんですか?」
玄関で靴を履く時に思いついた。でも、すぐにそんなこと私に言われるまでもなくやってるか思い直し「あ、すみません、そんなの今更ですよね」と謝った。
「え、なにそれ? そんなのできるの?」
舞さんは驚いた顔で私を見る。私はその反応にびっくりして舞さんを見た。
「え、知らないんですか? さくら急便でアカウント登録をしておけば、配達日時の連絡がくるし、受け取り希望日の変更もLINEで簡単にできますよ?」
舞さんは「あ、それ聞いたことある。でも面倒くさくてずっと後回しにしちゃってた……」と、ばつが悪そうに言った。舞さん、登録してなかったのか。私自身いつ登録したのかもう覚えてないけど、登録はそこまで手間がかからなかったはずだ。
「じゃあ、この際登録してみたらどうですか? そしたらきっと荷物が受け取りやすくなると思いますよ」
「確かに。そうすれば再配達も頼まなくていいもんね。しかも変な不在票は入らないし、変な人も来ない……え、もしかしてこれ、完ぺきじゃない?」
舞さんはすごく真剣な顔で私に言った。この人、本気でアカウント登録をする発想がなかったみたいだ。
「そうですね。対策としては完ぺきだと思います」
「だよね、これなら絶対完ぺきじゃん。ありがとう! すぐに登録してみる!」
舞さんの表情はどんどん明るくなり最後は笑顔で私を見送ってくれた。こんな簡単なことで解決できていいのかな? と気になるけれど、舞さんは喜んでくれてるし私は深く考えないことにした。
「舞ちゃんの様子、どうだった?」
お見舞いに行った次の日、バイトに行くとリエさんに早速聞かれた。さくら急便のことはなんだか言いにくかったので、体調はかなり良くなってきてるみたいだったと報告した。もうそろそろバイトに行けそうって言ってたし、私が帰る前の様子だと笑顔も見えたので嘘じゃないと思う。私の報告に安心したのか、リエさんはほっとした様子だった。
「そう、ならよかった。行ってきてくれてありがとう。そうだ……舞ちゃんのマンション、どんな感じだった?」
「マンションですか? 綺麗なマンションでしたよ。あんなマンションで一人暮らしができたらいいなって思いました」
リエさんは私の返事を聞くと少し不安そうな顔で「そう……因みに中に入っても特に変なことはなかった?」と聞いてきた。どうしてそんなことを聞くんだろう? 私は不思議だったけど「特に何もなかったですよ」と答えた。
「そっか、なら良かった。ごめんなさいね、変なことを聞いちゃって」
そう言ってリエさんは厨房に戻って行った。何をそんなに気にしてるのかはわからないけど、なんとなく踏み込んじゃいけない気がして、私は今の会話を忘れることにした。