不気味な配達員
最初、おれの見間違えかと思った。
ストレス発散のため、仕事帰りにおれがわざと荷物を受け取らなかった日のことだ。おれの不在を毒づきながら帰る配達員をマンションの側で見送り、おれは意気揚々と帰宅しようとした。少しすっきりした気持ちで三階の自分の家に帰ろうとしたら、階段を上り切ったところで運送会社の配達員がおれの家の前にいるのが見えた。
配達員の姿を見た瞬間、無意識のうちにおれは壁際に隠れていた。おれの家までまだ十メートル以上距離があるし、配達員に気づかれた様子もない。そもそも隠れる必要なんてないのだが、罪悪感から咄嗟に体が動いていた。配達員にバレぬよう、こっそり様子を伺うと、おれの家の前にいるのはさっき帰っていった配達員とは別の人のようだった。
ようだった、としか言えないのは、顔が見えなかったのだ。ブルー系の運送会社の制服を着ているので配達員だとは思うのだが、帽子のせいで顔が全く見えない。しかも、帽子のせいだけとは思えないぐらい黒い影が顔全体に広がっていて、表情どころか顔が一切見えない。さらに不思議なことに、配達員は配達物を何も持っておらず、両手を力なくだらりと下げていた。
なんとも近寄りがたい雰囲気を配達員が漂わせていたので、おれはとてもじゃないが声なんてかけられなかった。どうしたものかと考えていると配達員はいきなり目を疑う行動に出た。
配達員は右手人差し指を乱暴に突き刺すように、インターフォンのボタンを三回鳴らした。そしてその直後に左手を力強く握りしめると、拳の裏で大きくノックを三回。最後に大きな声で「さくら急便です、さくら急便です、さくら急便です」と叫んだ。
呼びかけなんかじゃない。耳にこびりつくような低くてざらざらとした男の声がマンションの通路に響きわたる。男の声を聞いた瞬間、悪寒が全身を包み込み、思わずおれは目をぎゅっと閉じていた。
一度深呼吸をしてから目を開けて、ゆっくりと家の前を再び確認すると、いつの間にか配達員はいなくなっていた。マンションに階段は一つしかない。エレベーターはないので、配達員はおれの前を通過しなければ移動ができない。できないはずなのに、見渡しても配達員の姿はなく、人の気配すら感じられなかった。念のためマンションの下も覗いたが、人が落下したような形跡もなかった。
不可解な事態に混乱しながらもおれは家に帰った。帰宅後、再び配達員が家にやってくることはなかったが、家に入る時に感じた独特な臭いがなかなか鼻から離れなかった。これまでにどこかで何度も嗅いだことがある、あまり好きじゃない変な臭いだった。
変な配達員とおれは既に三回遭遇している。二回目は同じく配達員に対して嫌がらせをした時で、家に帰ろうとしたら同じように家の前にいた。
インターフォンを三回、乱暴なノックを三回、そして「さくら急便です」という呼びかけを三回した配達員は、ドア越しにおれの家の中を睨みつけているように見えた。
やはり手には配達物を持っていなかった。この配達員は一体何のために来ているんだろう? なんてことを考えているうちに、気づけば配達員は姿を消していた。ずっとおれの家の前の様子を伺っていたはずなのに、気がつけばいなくなっていたので、おれは狐につままれたような気持ちになった。
初めて変な配達員を見た時と同様に、ポストにはおれが嫌がらせをした配達員が入れたであろう不在票が一枚あるだけで、他に何かお知らせのようなものはなかった。
あと、前回との共通点と言えば、家に入る時にまた、どこかで嗅いだことがある嫌な臭いがした。湿度を感じる嫌な臭いだった。
三回目は家にいた。この時は嫌がらせをするつもりはなく、単に間が悪かっただけだ。日曜日の夕方、配達員がやってきた時、ちょうどおれはトイレにこもっていたのだ。インターフォンの音を聞き、大急ぎで用を済ませて水を流し、慌ててトイレを出た。しかし、その時にはもう時既に遅し。ドアスコープを覗いたが外には誰もいなかった。
ドア越しに誰もいない廊下を見ていると、これまでわざと不在にして何度も再配達をさせたことをふと思い出した。すると、これまでの行いに対する罪悪感が込み上げてきて、おれは申し訳ない気持ちに押しつぶされそうになりながらドアから離れた。
ポストの不在票を回収しなきゃいけないけど、どうも今はそんな気分になれずリビングに戻ろうとした時だった。インターフォンが鳴った。しかも三回連続で。
三回目のインターフォンが鳴った時、おれは背中を冷たい手のひらで触られたような嫌な寒気を覚えた。振り向いてドアを見ていると、インターフォンの音が止むと同時に力強くドアが殴られ、ドア越しから「さくら急便です」という男の声が三回届いた。
動けなかった。金縛りとか、そういう心霊の類のものではない。ただただ怖くて体が動かなくなっていた。
子どもの頃、夜の暗闇が怖かった。ただ漠然と暗い場所が嫌で、夜一人でトイレに行くことができず、よく隣で寝る母を起こしたものだった。
大人になり、分からないことが減り、暗闇が怖くなくなった。自分でも知らぬ間に怖がりでなくなり、怯えることといえば前触れもなくやってくる上司からのハラスメントぐらいになっていた。
そんな自分が今、ドアの向こうにいる配達員に対して恐怖を感じている。怯えながらもどこか冷静な自分もいて、こんなに何かに怯えるなんていつぶりだろう、と考えてもいた。
男がどんな人物なのか気になる。しかし、本能的に見てはいけないと感じ、また、恐怖で体が動かなくなったおれは、ドアをただただ見つめていた。おれがドアに近づくことなく固まっていると、ドアの向こうから男が「これで三回目」と言うのが聞こえた。そして、その途端ドアの向こうから気配が消えた。
おれが恐る恐るドアスコープを覗いてみると、もう外には誰いなかった。念のためドアを開けて確認したがマンションの廊下にも配達員の姿はない。
動けない間に冷や汗をかいたおれは、バケツで水をかぶったみたいに、汗でシャツをびしょ濡れにしていた。恐怖から解放され、ほっとしたのも束の間、家に入って鍵を閉める時に不快感を覚える変な臭いが鼻をかすめ、おれはまた嫌な気持ちになった。
変な配達員が何者かは分からないし、人間かどうかも怪しい。さくら急便に何度か電話で確認してみようと思ったが、「変な配達員がいる」、と問い合わせたところでまともに対応してもらえない気がして連絡できずにいた。また、わざと荷物を何度も受け取らなかったことに対する罪悪感が一層問い合わせに対するハードルの高さを上げていた。
変な配達員が言った「三回目」という言葉の正確な意味はわからない。なんとなくおれが遭遇した回数のカウントのような気がしているが、今のところ確証はない。
ただ、「三回目」の発言の意味に関係なく、これ以上不在配達をさせるのは危険な気がしていて、なるべく一回で荷物を受け取るようにしようと思った。