引っ張られる
おれの隣で手を合わせるお婆さんを見て思った。「おれ、引っ張られてるな」と。でも、それ以上に、これがあのいかれた大学生が言っていたことかと納得していた。
あいつはおれがあいつが作った物語の「大事なピースになる」と言った。聞いた時はなんのことかわからなかったが今ならわかる。あいつはおれが物語を補完する存在になるということが言いたかったんだ。
あの大学生が死んでからも、ここで死亡事故は起きてはいないと思う。そんな話は同じ配達エリアの誰からも聞いていないのでまず間違い無い。しかし、おれが今日さくら急便の制服姿で同僚が死んだという話をお婆さんとしたことで、少なくともお婆さんの中では噂話からある種一つの事実へと変わった。
何故あのいかれた大学生に目をつけられたのかはわからない。でも、結果としておれは彼が望んだ発言をしてしまった。
こんなことするつもりなんてなかったのに……。どうしてあんなことを口走ってしまったんだろう。でも、いかれた大学生の発言との繋がりに気がついた途端、ぐちゃぐちゃに絡まった電気コードが綺麗に解けたようなすっきりした気持ちになっている。
「これでお前はまた一つ物語として成長するんだな」
お婆さんが立ち去った後、おれは電信柱に向かって言った。すると、まるで呼応するかのように、おれの右の耳元を強い風が音を立てて通っていった。
電信柱の足元を見るとお婆さんがさっきお供えに置いていった缶ビールが三本、大粒の汗をかいている。おれは周りを見渡して通行人が誰もいないのを確認すると、そのうちの一本を物語を補完した手間賃としてポケットにつっこんだ。
「村上さん、大丈夫っすか?」
電信柱で手を合わせていたことによりタイムロスをしたおれは、その後大急ぎで残りの配達を捌いた。素早くかつ正確に仕事をこなしたが、それでも時間内の配送がかつかつになり、事務所に戻った時には燃え尽きていた。力無くオフィスチェアに座るおれに佐伯が冷えた缶コーヒーをくれた。
「ありがとう。ちょっと色々あってばたついてた……」
「それはお疲れっす。そうだ村上さん、おれのつれに会いません? 前に言ってた霊感があるやつなんすけど、もしかしたらおっさんのことがわかるかもしれないっすよ」
佐伯の話を聞いておれは勢いよく座り直した。
「まじか!?」
「まじっす。あいつ、普通の人には見えないものが見えるみたいなんすよね。詳しいことはわからなくても、これ以上関わっちゃいけないとか、どうしたらいいとかのアドバイスはくれるはずっす」
佐伯はおれがまだおっさんのことを考えていることに気がついているんだろう。口調はいつも通りだけど、佐伯が真顔でおれの目をまっすぐに見つめながら言うので、おれは思わず目を逸らしてしまった。
「すまんな、頼んでもいいか?」
「大丈夫っすよ! じゃあ連絡入れてみます」
佐伯はそう言って帰っていた。おれは佐伯の背中が見えなくなるのを確認してからポケットからかっぱらってきた缶ビールを取り出した。
「おっさんのことを考えてたら電信柱まで引っ張られてたけど、お前らどう繋がるんだ?」
電信柱の前にいた時は、いかれた大学生の言葉が理解できて嬉しかった。でも、冷静になって考えてみると、どうしておっさんのことを考えていたのに電信柱の所に引っ張られたのかがわからない。また新たな謎ができておれは気が滅入りそうになった。
「明日の夜飲みに行きません?」
次の日の朝、出社して事務所で事務処理をしていると佐伯に声をかけられた。おれは二つ返事で「いいぞ、どこに行く?」と聞いた。
「一駅電車に乗らないといけないんすけど、クラフトビールがうまい店があるんすよ」
佐伯は嬉しそうに言った。そして、「つれも明日なら都合がいいみたいなんで呼んでもいいっすか?」と続けた。おれが佐伯に「わかった。頼むな」と言うと、佐伯はにかっと笑って「とんでもないっす」と言って事務所を出て行った。
佐伯のつれに会えば何かわかるのかもしれない。でも、何故かおれは心のどこかで面倒くさいなと思っていた。別に今のところ身の危険を感じることもないし、影響といっても少しぼーっとするぐらい。このままでも大丈夫だと思うんだけどな。そんなことを思いながらおれは配達に向かうため事務所を後にした。
配達しながら今日もおれはおっさんのことを考えていた。
おっさんが姿を消す前、おっさんはおれに娘を殺したのはお前かと言ってきた。何をとんちんかんなことをと思ったけど、あの時さくら急便の制服を着たやつが楠本様の家に来ていたと言っていた。
制服を着たやつが本当に楠本様の家に来ていたなら、一つ繋がりそうな話がある。事務部門のマネージャーが話していた、うちの制服を着てインターフォンを鳴らす不審者の話だ。
あの話は確かS駅の周辺で起きていると聞いた。いかれた大学生の電信柱も、楠本様の家も距離はあるがS駅が最寄りのエリアではある。もし、これが繋がるなら、おっさんが見たのはいかれた大学生が作った物語の何かじゃないのか?
作り話から迷惑行為が生まれること自体が非科学的だ。でも、佐伯はこの手の話に一般常識は通用しないと言っていた。その理論でいくと、作り話から生まれた迷惑行為があって、その迷惑行為の実行犯は人間じゃないけど犯行現場をおっさんに見られていた。そして、おっさんはその人間じゃない何かに殺された……。
「そんなこと流石にありえないか」
配達車の中でおれは大きな独り言を言ってしまった。こんなのかなり荒唐無稽な話だ。でも、考えれば考えるほど、これが真相なんじゃないかと思ってしまう。どうせ相談するならこれも念のため明日佐伯と佐伯のつれに聞いてもらった方がいいかもしれない。佐伯にはいかれた大学生の話もしていなかったので、一緒に相談してみようと思った。
明日、いかれた大学生の話もするとなるとどう説明をしたらいいかなあ、なんて考えながら車を走らせていると、例の電信柱があるエリアの配達物のお届け時間が迫っていた。このタイミングで近づきたくないなと思ったけれど仕事なので仕方がない。
なるべく早くこのエリアを離れようと思っていると、いかれた大学生がおれに言った「大事なピース」というフレーズが急に頭に蘇り気になり始めた。おれはあいつの物語を保管する話をした。でも、それは今のところ一回だけだ。聞いたのはお婆さん一人。これじゃ貢献度はかなり低くくはないだろうか? 大事なピースと言われるほどの働きはできていない。
頭の中に組み立て途中のジグソーパズルが浮かび上がる。組み上がっていくパズルのうちのピースの一つがおれだ。
パズルにとってどのピースも完成には必要不可欠だ。それはわかってる。わかってるけど、おれはあいつに「大事なピース」と言われたんだ。なのに、おれはそれだけの役割を果たせているのか? 答えはNOだ。とてもじゃないけどまだ果たすべきことがある気がする。
おれにできること、おれにしかできないことは一体なんだ? 自問自答をしながら車を走らせていると無意識のうちに道を間違えたのか、避けようとしていた電信柱が視界に入ってきた。
その時だ。おれの頭に一筋の電流が流れた。
あった、おれにしかできない役目が。大事なピースであるおれがすべきことがやっとわかった。謎解きがクリアできたような、えもいえない達成感に満たされたおれは、嬉しくて自分でも顔がにやけるのがわかった。そしてにやけたままアクセルをぐっと踏み込んだ。
「なんだ、こんなに簡単なことだったのか」
独り言を言いながらどんどん近づいてくる電信柱を眺める。いかれた大学生は物語は成長すると言った。それならここで配達員が死ねばもっと成長するんじゃないのか? おれが死ねば本当の事故現場になるじゃないか。
電信柱が目の前に迫った時、明日飲みにいく約束をしていた佐伯のことを思い出した。せっかく誘ってもらったのに悪いことをしたな、なんて思った時アクセルベタ踏みのトラックが電信柱に衝突した。