ストーカーとの遭遇
いかれた大学生と話したあの日から数日後。例の電信柱のあるあたり、ちょうどS駅周辺の妙な噂を聞くようになった。
内容は、外出中にうちの配達員と思われる男がインターフォンを鳴らした形跡があるのに、ポストには不在票が入ってないというもの。
インターフォンの録画を見ると、さくら急便の制服らしき服を着た男が、片手に収まるサイズの箱を持ってインターフォン前に立っている。しかし、ポストには何も入っていないし、その後それらしき荷物も届かないそうだ。
家主の思い込みや勘違い、もしくは配達員の不在票の入れ忘れのような気もするが、どうやら一件二件の話でなく、かなりの件数が発生しているらしい。
営業所の喫煙室の前を通った時、事務部門のマネージャーがそんなことを話しているのが聞こえた。深刻そうな雰囲気はないが、軽い不満をこぼすような感じで話していた。
配達員は皆んな暇じゃない。時間指定通りに荷物を配達しなければいけないから、くだらないいたずらをする余裕なんてないはずだ。となるとうちの配達員に対する嫌がらせのいたずら電話か? なんて疑問が頭を過ぎる。
過去にストレス発散目的で嫌がらせの電話を大量にかけられた実績があるため、いたずら電話の可能性はゼロではない。
「いたずら電話ではないと思うんだよな……問い合わせてくる人が既に複数人いるし、みんな年齢も性別もばらばらだから……」
喫煙所の横の自動販売機で缶コーヒーを買っていると、おれの疑問に対する返答のようなことを言いながら、喫煙室から事務部門のマネージャーが出てきた。ため息をつく彼の隣には、営業部門のマネージャーがいる。
事務部門のマネージャーの話から推測すると、うちの制服かそれに似た服を着た人物による犯行だろうか? なんだそれ、奇行にも程があるだろう。
強盗や空き巣のような犯罪に関する事案の可能性もあるかもしれない。でも、今のところS駅周辺でその手の被害が増えているという話は聞かない。
タイミング的にいかれた大学生の顔がちらついたが、二つを紐づけるには材料が足りない。おれはコーヒーを飲み干すと、缶を捨ててから何も聞かなかったことにしてその場を立ち去った。
それから二年ほどが経った。
最近、おれはまた奇妙な話を聞いた。これもまた話していたのは事務部門のマネージャーで、聞いた場所も前回と同じく喫煙室の側の自動販売機前。おれが缶コーヒーを買っていた時だ。
「うちの名を語った迷惑メールって多いだろ? あれ関連の問い合わせがここ一ヶ月ぐらいで増えてるんだよな」
きっと話し相手はいつも通り、彼と仲がいい営業部門のマネージャーだろう。そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいると、気になる内容があった。
「迷惑メールはそもそも送り主がうちじゃないからどうしようもないし、今まで通り大して気にしてないんだけど……メールのタイミングで訪問してるやつがいるっぽいんだよな。しかも、そいつがうちの配達員の格好をしていて、インターフォンを鳴らした後に『さくら急便です』って三回連続で叫ぶんだと」
さくら急便ですって言っちゃってるのか。それならうちの配達員なのか? でも、配達員がわざわざ迷惑メールを送ってからいたずら訪問なんてするとは思えない。しかも三回も社名を叫ぶって異常過ぎる。うちにとっても客にとってもくそ迷惑な奴だな、そいつ。
「くそ迷惑な奴だな、そいつ」
シンクロした。おれが思ったのと全く同じタイミングで、喫煙室から声がした。口に出したのはやはり営業部のマネージャーだった。同じ意見の人がいて、なんだかおれは嬉しくなった。
「話は成長するんです」
おれの頭の中で、二年前に死んだであろうサイコパスがにこにこしながら話しかけてくる。成長って噂話が実被害を出したらだめだろ。もうそれ噂じゃなくなってるし。
それに、なんでそもそも被害が出るんだよ。被害が出てるってことは実行犯が生まれちゃってるじゃねえか。
おれはいそいそと頭の中からいかれた大学生を追い出す。深く考えない。踏み込まない。そうすれば何も起こらない。そう自分に言い聞かせて仕事に戻った。それが三日前の話だ。
今、おれが直面している悩みの種は、小学生時代にトラウマをくれた友だちでも、無邪気に笑ういかれた大学生でもない。一人のおっさんである。
そのおっさんとの出会いは楠本様の家に荷物を届けに行った時だ。おれが時間指定通りに訪問したのにご不在で、仕方なくトラックに戻るところだった。
因みに楠本様の家はそれまでに何度も荷物を届けに行ったことがあった。今のところ彼女からは異常性を感じたことはない。たぶん楠本様自身はごく普通の四十代の女性だと思う。
荷物の受け渡しでしか話したことはないが、彼女はおそらく真面目な人だ。かなり個人的な話だが、顔はおれの好みではない。なんかこう、仕事一筋って感じがして話が面白くなさそうな印象がある。あと、仕事はできるが掃除や整理整頓といったことは苦手そう、そんな気もしている。
おれの楠本様に対する失礼な偏見はさておき、楠本様につきまとっているストーカー、こっちはおれが出会った中でもトップクラスの奇人だ。
配達の仕事をしていると、たまに「お仕事お疲れ様です」とか、「ご苦労様」とか、「頑張ってるねえ」みたいな労いの声をかけてくれる人がいる。ポジティブな内容の声かけはいつ聞いても嬉しいもので、おれは声かけをしてもらえたら必ず目を見てお礼を言うようにしている。
基本的に労いの声をかけてくれるのは高齢の方が多い。どの人も優しそうな穏やかな表情をおれに向けてくれ、その度に「優しい人だな」と思う。でも、楠本様のストーカーは違った。労いの声をかけてくれたけどやばい奴という、おれにとって初めての例外だった。
その日も不在の楠本様の家からトラックに戻る途中、不在票を入れるためにポストに向かった。楠本様のマンションのポストはエントランスのすぐそばにあるため、ポストに寄るのは大して手間ではない。手間ではないけど時間指定したなら家にいろよとは思った。
楠本様に対する不満を抱きながら、ポストに向かいつつ不在票の準備をしていると、おれは突然声をかけられた。
「お仕事お疲れ様です。彼女、不在だったでしょう? ご迷惑をおかけして本当にすみません」
声の主はポストの前にいた。穏やかな男の口調につられて、おれは「いえいえ、そんなそんな……」なんて言いながら前を見た。そして、思わず立ち止まった。目の前の光景は明らかにおかしかった。
声の主の身なりは普通だった。綺麗な白髪はしっかりとセットされていて、シワのないスラックスと白いシャツは背の高い彼によく似合っている。足元には黒いレザーのビジネスバッグが置かれていて、ブランドものであることは一目で分かった。靴も綺麗に磨かれており、頭頂部から爪先まで清潔感溢れる見た目だ。でも、その外見がかえって奇妙さを際立たせる。
まず持ち物だ。彼はメジャーとノギスを右手に持ち、左手には大量のチラシの束を持っていた。そして、彼の前にある楠本様のポストにはみちみちとチラシが詰め込まれている。
「不在票ですよね? 一緒に入れておきますよ」
彼はおれに微笑みかけると、メジャーとノギスを小脇に挟み、空いた右手をおれに伸ばした。おれは彼の笑顔に流されてしまい、「ああ、ありがとうございます……」なんて言いながら不在票を彼に渡してしまった。
「お気になさらないでください。ついでなので」
彼はおれから受け取った不在票の厚みをノギスで測り「これは一番上がいいな」と言うと、チラシの束の一番上にするりと挟み込んだ。
「お仕事、頑張ってください」
おれが足早にその場を去ろうとすると、後ろからまた声をかけられた。振り返ると白髪の不審者は晴れやかにおれに笑いかけてくれていた。
「ありがとうございます」
おれは会釈をしながら礼を言うとその場を去った。
彼はおれに笑いかけてくれた。そのはずだ。それなのに、おれが振り返ってもポストが見えない位置に移動するまで、おれは背中に冷や汗が流れるほど強烈な視線を感じ続けていた。









