いかれた大学生
ドラマや映画でいうところの通行人Aみたいに、どこにでもいる普通の人だと思っていた。
同じ配達エリアで何年も仕事をしていると、話したことはなくても「この人、見たことあるな」程度に顔を覚える人が増える。最初はその男子大学生もぼんやり覚えた人の中の一人だった。
見かける場所はかつて小牧のマンションがあった場所の近く。こじんまりとした一軒家が多く立ち並ぶ住宅街の中だった。
因みに、以前小牧のマンションがあった場所には新しいマンションが建っている。前のマンションは老朽化の影響でおれが東京に行っている間に取り壊されたらしい。今ではアイボリーカラーの綺麗なマンションになっていて、外から見た感じだと、どの部屋も入居者で埋まっている。
通行人Aだった彼に最初に違和感を覚えたのがいつだったかはわからない。でも、雨の日だったことだけはよく覚えている。
それは朝から天気が悪く、大粒の雨が降る日だった。お昼を過ぎた頃、配達中に彼を見かけた。
その時は「どこかは覚えていないけれど、配達途中に何度か見たことがある顔だな」と思っただけだった。そんな彼は住宅街の中の十字路で、土砂降りなのに傘をささずに立っていた。そして、道路を挟んで向かいに立っている電信柱を見つめていた。
すれ違いながら、こんな所で何をしているんだろうと気になった。でも、配達予定の荷物が多かったのですぐにおれは頭の中を切り替えて仕事に集中することにした。
配達が終わり会社に戻る時、たまたま同じ道を通る機会があった。彼が何を見ていたのか気になったおれは、少しスピードを落として彼が立っていたあたりを見てみた。すると、彼が見ていた電信柱の根本のところに花が供えられていた。
次に彼を見たのは晴れた日だった。ずぶ濡れで立っているのを見た日から、たぶん一ヶ月ほど日が経っていたと思う。雨の日に見てからずっと顔を見ることがなかったので、彼のことはほとんど記憶に残っていなかった。
朝から配達をしていて、確かまた昼過ぎぐらいだったと思う。トラックを走らせていると、彼はまた雨の日に見た時と同じように同じ場所に立っていた。
彼は前と同じように電信柱を真顔でじっと眺めていた。彼が見つめる電信柱の足元には、やはり花が供えられていた。ここで事故があったんだろうな、そんなことを思いながらおれは彼の横を通り過ぎた。
電信柱をずっと見つめていたから、彼は電信柱の事故で亡くなった方の関係者かもしれない。でも、関係者ならどうして近寄らずに道を挟んで眺めていたんだろう? もしおれなら眺めるにしても電信柱の近くまで行くはずだ。
彼の横を通過する時はなんとも思わなかったのに、後からどんどん疑問が出てきて、おれは仕事中ずっと彼のことが頭から離れなかった。
それからそう日を経たずしてまた彼を見た。次に見たのも晴れた日だった。前回と違うのは、その日は電信柱の近くに彼以外にも人がいた。
電信柱の側で一人の老婆が花を供えて手を合わせていた。この老婆の家族か友人がここで亡くなられたんだなと思いながらおれはトラックをゆっくり走らせていた。そんな時だ、道路を挟み前と同じ場所に立ちながら彼女を眺める彼の顔を見て、おれはぎょっとした。彼は老婆を見ながら満足そうに笑っていた。
彼はどうして笑っていたんだろう? 二人の横を通過してから、おれはまた新たな疑問に頭を悩まされた。自分以外の人が拝んでいることが嬉しかったのか? でも、彼の笑顔はそんな類のものではなかった。満足そうな、でも、陰湿な雰囲気を感じる笑顔におれは少しゾッとするものを感じていた。
例えるなら、火事現場を野次馬たちの後ろから眺める放火犯、そんな雰囲気が彼にはあった。おれは放火犯なんてドラマでしか見たことがないけど、自分のやったことの結果を後ろから眺めているような雰囲気を彼から感じていた。
「何度かお会いしましたね」
四回目の遭遇は、全く違う場所だった。仕事が休みで昼過ぎまで寝ていた日曜日。おれは朝食兼昼食を買いに近所のコンビニまで歩いて行った。
昆布とツナマヨのおにぎりを一つずつ。それから肉まんと缶ビールを買ってコンビニを出た。酒が飲みた過ぎて家まで我慢できず、歩きながら缶ビールのプルトップに指をかけた時、後ろから声をかけられた。
聞き覚えのない声に一瞬おれは自分が声をかけられたのかどうかがわからなかった。念のため振り向いてみると、二メートルほど後ろに男が立っていた。男はにこりとしながらこちらを見ている。面識はないはず、でも顔に見覚えがあった。この顔、そうだ、電信柱を眺めていた彼だった。
「思い出しましたか? 配達されている時に何度か見たでしょう、僕の顔。今日はお仕事休みなんですね」
顔に出てしまっていたようだ。おれが口を開く前に彼は嬉しそうに話し始めた。
「すみません、こんなにタイミングよく会えるなんて思っていなかったものですから。ちょっと嬉しくなっちゃいまして」
彼は「なんて運がいいんだろう」と俯き加減で独り言を言った。それからこちらに向き直って駒崎と名乗ると、自分がN大学の学生であること、オカルト系に興味があり、趣味で心霊スポットや都市伝説について調べていると言った。
「嘘だと思ってるでしょう? これ、僕の大学の学生証です」
駒崎はそう言って自分の学生証を見せてきた。たしかにそれはN大学の学生証だった。
「そうだ、よくお会いした場所の近くに綺麗なマンションがありますよね。あそこ、実は心霊スポットなんですよ。ご存知でした?」
彼は自分がオカルト系に興味があることを証明するためなのか、今度は小牧が住んでいたマンションの後にできたアイボリーカラーのマンションが心霊スポットだと力説し始めた。
今のマンションができる前は自殺がよくあったこと。奇妙なことに自殺があったのはいつも決まって同じ場所で階段のすぐそばだったことを得意げに話してきた。
「まあ、新しく建て直すにあたってマンションのデザインが前と変わってるんですよね。飛び降りが多かった場所の近くからは階段がなくなって今は部屋ができて人が住んでます」
彼は興奮しているのか、おれの相槌なんかおかまいなしで楽しそうに話し続ける。でも、彼が話す内容は既におれも知っていることなので、何も真新しさはなかった。
「大して怖くもなんともないんですが、たまに屋上に人影が見えるって噂があるんですよ、あのマンション。知ってました?」
「え? 噂?」
急に質問を投げかけられたおれは、質問が来るなんて思っていなかったので咄嗟に反応ができなかった。そんな様子を見て、彼はおれが知らないと思ったのか、「まあ、何かの見間違いの可能性もあるんですけどね」と言ってマンションの話を締めた。でも、おれにはその噂には心当たりがあった。
さくら急便で働き始めた頃、マンションの人に荷物を届けに行った時だ。配達を終えてトラックに向かう途中、幼稚園の制服を着た女の子とお母さんが前から歩いてきた。楽しそうに手を繋いで歩く二人の姿を見て平和な光景だなと思っていると、突然女の子が立ち止まった。
おれが気にせず歩き続けると、すれ違う少し前、女の子はいきなりマンションの屋上に向かって「ばいばーい」と手を振った。不思議そうにお母さんが「誰に言ってるの?」と聞くと、女の子は「うえにおねえさんがいたの」と答えていた。
「えー、誰もいないよ?」
困惑気味のお母さんの声が聞こえたので、おれも気になり振り向いて見てみたが、見える範囲に人影はなかった。女の子の見間違いかもしれないし、いたずらかもしれない。でも、一つ引っかかったのが、女の子が手を振ったと思われる方向は、かつて自殺が多かった階段の辺りだった。
「ほんとうにいたもん」
お母さんに向かってそう言う女の子は嘘をついているようには見えなかった。おれはなんとなく、この件についてはこれ以上考えないようにしている。
「マンションの話はさておき、マンションの近くに花が供えられている電柱があるんです。ご存知ですよね?」
彼は話を変えてきた。おれは、たぶんこっちが本題なんだなとすぐに察した。
「ああ、それはおれも知っている」
「ですよね! よかったよかった」
彼は嬉しそうに笑った。彼が一体なんの話がしたいのかわからず戸惑っていると、彼は笑顔で衝撃の事実を告げた。
「あそこ、実は誰も死んでないんですよ」









