さくら急便への転職
「小牧が……死んだ?」
おれは壊れたボイスレコーダーのように、たどたどしく今田の言葉を繰り返した。自分が発した声を聞いて、やっと言葉の意味を理解するが、まだ頭は混乱したままだった。小牧が死んだ。死んだ? あいつが?
「うん、先月にな。やっぱり知らなかったよな……」
「お、おお……え、冗談とかじゃないよな?」
無言の今田は真顔のまま沈黙で冗談ではないことを告げてきた。
小牧が死んだ。おれはこれまでずっと小牧と距離を置いてきた。会わないように、関わらないようにしてきた。なのに、いきなりもうそんなことをする必要がないと思うと謎の喪失感に襲われた。
「小牧ってなにか病気だったのか?」
一緒に遊んでいた頃はそんな風には見えなかったけど、中学生になってから重たい病気を患っていたのかもしれない。そんな考えが浮かんだが、今田は悲しそうな顔で首を横に振ってそれを否定した。そして少し言うのをためらうような仕草をしてから口を開く。
「自殺だよ」
今田の言葉を聞いた瞬間、頭を後ろから鈍器で殴られたような気がした。もちろんそんなもの気のせいなのはすぐにわかったけど、それぐらいおれには衝撃的だった。
「飛び降りたんだって。夕方に自分家のマンションの屋上から」
今田ってこんなにしゃべるキャラだったっけ? 今田はおれが聞いてもいないのに、小牧は中学でも人気者だったとか、いじめなんて絶対になかったはずだとか、自殺した日も小牧は朝からいつも通り学校に来てたとか、追加情報を与えてくる。でも、どの情報もおれにはそれほど興味がないし、どうでもいいものばかりだった。
小牧の自殺に関して、おれには一つ気になることがあった。小牧がもし自分のマンションで飛び降りたとしたら、場所はたぶんあの場所に違いない。それが確かめたかったが、いくら待っても今田の追加情報にそれらしい内容が出てこない。
「なあ、小牧がマンションのどこから飛び降りたかわかるか?」
おれは聞かずにはいられなくなり、話し続ける今田を遮った。おれがいきなり質問をしたので今田は少し驚いていた。
「どこ? どこって言われても……その……屋上としか言えないんだけど……」
口ごもる今田を見ておれは我に返った。これはおれの質問が悪かった。「そりゃそうだよな。ごめん今の質問はなしで」と、おれはすぐに今田に謝った。
「いやいや、大丈夫。おれこそごめんな、急にこんな重たい話をして。でも、小学生の時に小牧と村上がよく遊んでたのを知ってたから、伝えた方がいいかなと思って」
少し申し訳なさそうに言う今田の顔には、本当に他意はなさそうだった。おれは素直に「ありがとう。教えてくれてよかった」と伝えた。
「そう言えば……」
別れ際、今田が思い出したかのように声を出した。もう自転車にまたがり帰ろうとしていたけど、気になったおれは「どうした?」と聞きながら今田を見た。
「いや、あのさ……場所じゃないんだけど、小牧のことで一つ気になる噂があるんだよ」
「噂?」
おれは早く帰りたい気持ちを抑えてもう少し今田の話を聞くことにした。
「そう。小牧が飛び降りたのが夕方らしいんだけど、その時間帯に小牧のマンションの近くを通った女子が、小牧の笑い声を聞いた気がするんだって」
嫌な予感がした。「繋がってしまう」、そう思った。
「おれもさ、ちらっと聞いただけだからよくわからないんだけど、なんだかすごく楽しそうな小牧の笑い声が聞こえた気がするんだって。塾に行く途中で急いでたからそのまま自転車で通過したけど、次の日小牧が飛び降りたって知ってショックを受けたらしい」
「そっか……」
おれにはそれしか言えなかった。その後、今田が微妙な話をしてごめんとかなんとか言っていたけど、そんな言葉は少しも頭に入ってこなかった。
小牧は中学になってからか、もしくはそれよりも前から、周りには言えないだけでなにか辛いものを抱えていたのかもしれない。今となっては本人に確かめられないから知ることはできないけど、なんとなくそんな気がしている。
でも、ただ一つわかったことがある。小牧の最期はきっと幸せだったということだ。自ら頭から飛び降りた小牧はきっと幸せそうに笑っていたに違いない。
小牧の話には驚いたものの、おれはその後もなんとかペースを崩さず受験勉強を続けることができた。そのおかげで高校は問題なく第一志望に進学。進学後は部活に力を入れ、陸上短距離で全国大会にも出場することができた。
部活引退後は真面目に勉強をし、地元の真ん中ぐらいのランクの私立大学に入学。そして、そのままスムーズに卒業。卒業と同時に上京してそこそこ大きな商社に入った。でも、小牧のことはことあるごとに頭に過り、おれは忘れ去ることができなかった。
小牧の次にやばいと思った奴との出会いは、小牧の一件からかなり後になる。小牧の一件から軽く二十年以上月日が流れ、今から二、三年前になる。それはおれが大学卒業後に入社した商社ではなく、そこを辞めてさくら急便に来てから出会った奴だ。
社会人デビューを果たした商社で、おれは自分で言うのもなんだがすごく順調に出世していた。このまま行けば三十代で部長、さらにその上も目指せる、なんて未来が見えていたが、入社十年目にいきなりその未来はぶち壊される。
職場に仕事のできない先輩がいた。ただ、そいつは口が上手く上からかなり気に入られていた。くそみたいなそいつの名前を仮にAさんとする。
Aさんは本当に仕事ができなかった。営業なのに商談での説明は下手くそだし、トラブル発生時には臨機応変に対応もできない。
何かあればいつも言い訳をしながら誰かのせいにするくせに、人の手柄はすぐに横取りする。Aさんは本当に性根の腐った奴だった。
おれはAさんとは距離を置いていたので、向こうからも絡んでくることは基本的になかった。でも、自分よりも若いのに稼いでいるおれが気に食わないのか、よく陰口を言われていたことは知っていた。
そんな関係がずっと続くと思っていたのだが、転機は突然やってくる。おれが入社十年目の時、上司からAさんと一緒にある大きなクライアントを任された。上司曰く、上がAさんにやらせたいと言ったがAさん一人だと心許ないのでお前も入れとのことだった。
すぐに断りたかったが、「お前に拒否権はない」と上司に先手を打たれてしまい、おれは引き受けるしかなかった。仕方がないので、おれは細心の注意を払ってトラブルが起きないようにしようと固く決心した。しかし、そんなおれの決心なんて何の意味もなく、トラブルは起きた。それも非常に大きなトラブルが。
発注ミスだった。期限内に発注さえすればいい、非常に簡単な業務をAさんは忘れていたのだ。これぐらいなら問題なくやってくれるだろうと任せたおれが馬鹿だった。
クライアントが都内のイベントで使用する資材の発注だった。普通の規模の数量であればなんとか対応できたのだが、かなりの大口案件のため期限を過ぎてからの発注では納期に間に合わせることは絶望的だった。
なんとか対応できないか、必死に策を練って対応を進めたが、おれの努力も虚しく大口案件は失敗に終わり、クライアントとの関係も断たれてしまった。
Aさんはというと、おれが尻拭いに奔走している間に、おれ一人に罪をなすりつけていたらしい。その証拠におれだけが減給で降格の処分も受けた。上司は戦ってくれたらしいが、上の立場の人間がAさんの話を真に受けたらしい。
そんな理不尽なことが納得できるわけもなく、おれが上層部に乗り込もうとした時、たまたまAさんと遭遇。Aさんは「今回は運が悪かったな」と、おれににやにやしながら言いやがった。それを見た瞬間、おれは頭にかっと血が上るのを感じた。そして、その後の数十秒のことはよく覚えていない。
気がついた時には顔面血だらけのAさんが廊下にぶっ倒れてて、おれはたくさんの人に羽交い締めにされていた。
「こ、このっ……人殺しぃー!」
今でもよく覚えている。前歯が欠けたAさんが情けない声で叫ぶ姿はなかなか痛快だった。でも、残念ながらおれはその件で職を失った。
おれが暴れたことをきっかけに、Aさんのこれまでの無責任な行動を告発する者が続出。過去の悪事が明るみに出たことでAさんは急に大人しくなった。その結果、刑事沙汰にならなかったことは不幸中の幸いだろう。でも、出世の未来が崩れ落ちたおれは、東京で働くこともなんだか嫌になり実家に戻った。
帰省後、おれは1ヶ月ほどは実家に寄生していた。父も母も最初は快く出迎えてくれたが、ずっと家にいるのはやはり引っかかるものがあるのだろう。徐々に両親からの無言の圧を感じ始めたおれは、実家から車で五分ほどのマンションに部屋を借りた。
実家を出たものの無職である。貯金はそこそこあるが、ずっと無職のわけにもいかない。なにかいい案件はないか、そんなことを考えながら求人サイトを見ている時にさくら急便の募集を見つけた。
さくら急便を選んだことに大した理由はない。今までとは全く違う仕事がしたくなったおれは、なんとなく惹かれるものを感じて求人にエントリーした。
エントリー後、履歴書を送るとすぐに面接日が決まり、面接に行くとかなりの手応えを感じた。面接翌日、面接通過の連絡と最終面接の日程候補を記したメールが届いた。そして最終面接も特に問題なくあっさり通過。こうしておれはさくら急便のドライバーになった。
最初は慣れない業務に戸惑うこともあったが、今では理不尽なクレームを受け流すのも随分と慣れた。肉体労働でしんどいこともあるし、前よりも給料は下がったけれど、今の生活にはそこそこ満足している。
さくら急便に転職して仕事にもすっかり慣れた頃、おれはある大学生と出会った。Aさんは性格の悪さでいくとおれが出会った中でピカイチだったが、やばさでいくと小牧ほどではなかったし、この大学生ほどでもなかった。
あの大学生はなんというか、やばいというよりいかれていた。









