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小牧

「お前何言ってんだよ!」

 気がつけばおれは小牧に腹の底から怒鳴っていた。感情がぐちゃぐちゃになっているせいで声量の加減が馬鹿になっていた。マンション中におれの声がこだまする。でも、小牧はどうしておれが怒っているのか全くわからないみたいだった。

「び、びっくりした。え、何急にキレてんの? 村上ならこの楽しさがわかってくれると思ってたのに。意味わかんねえ……」

 小牧はおれの様子を見て初めて焦り出し、最後の方は消え入りそうな声で言った。なんで人の飛び降りは笑えておれが怒ったら焦るんだよ。おれはますます訳がわからなくなる。

「意味がわかんねえのはこっちの方だよ!」

 おれの声がまたマンションに響く。


「このマンションさ……半年ぐらい前からぽつぽつとここで自殺する人が出てきたんだ」

 小牧に言いたいことはたくさんある。でも、何から言えばいいのかも、どう言えばいいのかもわからない。歯痒い思いでおれが言い淀んでいると、そんな空気に耐えかねたのか、小牧がゆっくりと話し出した。

 昔このマンションで飛び降りがあったことは聞いたことがある。割と地元では有名な話だけど、最近も人が死んでいたなんて聞いたことがなかった。自分の身近なところに現在進行形で自殺スポットになっている場所があったことが衝撃的で、おれはまた言葉を失った。

 おれがなんとか「そんな話、初めて聞いた……」と言うと、小牧は「そりゃあ、いい話じゃないから大人が隠してるんだろ」とさらりと言った。

「子どもには特に知られたくないんじゃない? こういう話って人によっちゃメンタル的なダメージがでかいからさ」

 そんな簡単な話だろうか? 近所で自殺があったなんてすぐに学校でも話題になりそうな話題なのに、話が広がっていないことがすごく疑問だった。でも、小牧が嘘をついているようにも見えず、おれはそれ以上踏み込むことができなかった。

 小牧は「まあ、メンタル的なダメージって言っても、村上は大丈夫だろ?」とあっけらかんと言い放った。おれはそれに対して言葉にならない声を出すだけで上手く反応できなかった。


「人が死ぬのは月に一人ぐらいなんだけど、飛び降りるのは決まってこの棟の屋上から。しかも絶対にこの踊り場から見える位置なんだ」

 戸惑うおれを他所に話を続ける小牧。質問をしたいのに、話を聞けば聞くほど頭が混乱してしまい、おれは相変わらず何も言えないでいた。でも、そんなおれを小牧は気にする気配もない。

「ここで飛び降りる人は必ず頭から落ちるんだ。さっきもそうだったろ? こっちを向きながら頭から落ちてた。それにはちゃんと理由があるんだって」

 ああ、確かにそうだった。人が落ちていく光景は嫌なくらい目に焼きついていてすぐにはっきりと思い出すことができた。

 黒っぽいスーツ姿の若い女の人が頭から落ちていった。少しも斜めになることなく、まっすぐに頭から。

「もう死ぬことしか考えてない。生きることに対する未練がない。だから、ここから落ちる人はみんな頭からいく。確実に死ぬために絶対に足から落ちるなんてことはしないんだって」

 おれは小牧から言われてその時初めて気がついた。まっすぐに頭から落ちる。しかも地上近くではなく、飛び降りた直後の状態が見えるこの場所で既に頭が真下にあるということは最初からそうして落ちたということに。

 おれは寒気を感じた。女の人が自分の意思で頭から落ちたということはわかったけど、どうしてそんなことができるのかが理解できず、理解し難い他人の考え方があることに怖さを感じた。また、怖さと同時にひっかかりも感じた。小牧の言い方が、誰かに教えてもらったことをおれに話しているような気がしていた。

「なあ、なんでそんなに詳しいんだ? それになんで今日人が落ちるってわかったんだ?」

 おれは小牧に聞いた。でも、小牧はおれの質問を無視しておれに、「さっき落ちた女の人の顔を覚えてるか?」と質問を重ねてきた。

「顔? こっちを向いていたのはわかるけど、一瞬過ぎて顔はわかんねえ。いや、そんなことはいいから、なんでお前は飛び降りる人のことにそんなに詳しいんだよ? 誰かから聞いたのか?」

「あ、だから村上は良さがわからなかったのか!」

 何故か小牧は嬉しそうに言った。悩みが解決したかのような、晴れやかな顔で小牧は「そっかそっか! 原因はそれか」と独り言を言う。

「なあ、何言ってんだよ?」

 おれは小牧のことがわからなさ過ぎて泣きたい気持ちになった。ずっと一緒に遊んできたのに、おれは小牧のことを全くわかっていなかったのかもしれない。

「笑ってたんだよ」

「笑ってた?」

「そう。ここから飛び降りる人はみんな笑顔で飛ぶんだ。最初聞いた時はおれも信じられなかったさ。でも、本当に笑ってるんだ。初めて見た時はぼんやりとしかわからなかったけど、何回か見ているうちにだんだん目が慣れてきて、今じゃ顔がはっきり見えるんだ。今日の女の人も嬉しそうに笑いながら落ちていってた」

 おれには顔まで見えなかった。でも、あの時笑っていたなら……目に焼きついている光景に情報が加筆され、嫌なのに頭の中で笑顔の女の人が落ちていく映像が流れる。笑いながら真っ逆さまに落ちる女の人。おれは想像した途端、喉に逆流するものを感じた。そして、そのままその場で吐いた。

「うわ! おいおい、汚ねえな……」

 小牧はおれを非難するような目で見ていた。そこに心配の色はなく、ただただ汚いものを見るような目だった。

「村上さ、せっかく見せてやったのに……本当になんだよお前」

 小牧は投げやりな感じで言った。おれはその場の空気にも、小牧と一緒にいることにも耐えられなくなり、自分の吐瀉物をそのままにして踊り場から逃げ出した。

 一刻も早くマンションを出たかったおれは、階段を転げ落ちそうになりながらも全力で駆け下りた。そして、地上の女の人が落ちたあたりは見ないようにして建物から離れ、おれは自転車に飛び乗り家に帰った。

 その後どうやって帰ったのか、家に帰ってからどう過ごしたのかはよく覚えていない。でも、翌日からおれは高熱を出して一週間ほど学校を休んだ。


 学校を休んでいる期間中、おれはずっと熱にうなされていた。薬も効かず辛い時間が長く続いた。しかも、しんどくて目を閉じていると何度も何度も笑いながら落ちる女の姿が浮かび、気が狂いそうになった。

 おれの様子を見た両親に、何かあったのかと心配されたが、おれは小牧のマンションで見たことは一切言えなかった。記憶が曖昧だけどたぶん目撃した当日も、親には何も話していないはずだ。

 本当は見たこと、聞いたことを誰かに言いたかった。でも、言ってしまえば見聞きしたことが現実だと認めなきゃいけなくなる。そう思うと誰にも言えなかった。

 本当は今更なかったことになんかできないことはわかっている。でも、それでも幼かったおれは、自殺する人を見たことを、「あれは夢だった」と思って片付けてしまいたかった。

 結局、心の整理がつかないまま一週間が過ぎ、熱が下がった。一週間後、学校に行くと小牧はこれまで通り学校にいた。そして何もなかったかのようにおれに接してきた。

 小牧の態度があまりにもいつも通り過ぎて、やっぱりあれは夢だったのかもしれないと思った。だからおれは夢だったことにして、小牧にいつも通り接しようとした。でも、結果的にそれは無理だった。

 今思えば当然のことだが、例の件を夢だったと思い込んでもおれは小牧との会話を今までのように楽しめなくなっていた。その後、おれから小牧に話しかける回数が減り、それに伴い遊ぶ頻度も減っていった。そして、六年生になってクラスが変わると、あんなに毎日遊んでいたのにおれたちの関係はますます疎遠になっていった。


 中学生になると小牧とは学校が別々になった。おれも小牧も公立中学に進学したが、校区の関係でバラバラになったのだ。おれはそのことにほっとしていた。もう会わなくてすむ、そう思うと嬉しさまで感じていた。

 中学で新しい友だちができ、陸上部に入って部活に打ち込んでいると、小牧の存在はおれの中でさらにどんどん小さくなっていった。このままいけばいつか忘れ去ることができるかもしれない、なんて思っていた。

 しかし、実際にはそうはならなかった。


 中学三年生の時、高校受験のためにおれは春から塾に通い始めていた。駅前にあるそれなりに大きな塾で、おれが通う中学校以外の生徒もたくさん通っていた。だから、もちろん小牧が通う中学校の生徒もいた。

 おれは高校は陸上部が強い隣の県の私立の受験を考えていた。幸いなことに小牧は同じ塾に通っておらず、しかも中学生になってから一度も会っていなかった。だから、このままスムーズに高校生になれたら、今後二度と小牧と会うことはないだろうと勝手に思っていた。

 そんな十月のある日、塾で小牧と同じ中学に通う生徒から声をかけられた。授業後、駐輪場で自転車の前カゴに鞄を捩じ込んでいると「なあ、村上……だよな?」と、後ろから話しかけられた。

 その男子は小学生の頃何度か遊んだことがあり、なんとなく顔は覚えていた。最近塾で見かけるようになったけど、関係が元々希薄だったので、声をかけられるなんて微塵も思っていなかった。

「そうだけど。えっと……今田だったよな?」

 名前はぼんやりとだが覚えていた。おれはお腹が減っていたので早く帰りたかったけど、どうして声をかけられたのかが気になっていた。

「そうそう、久しぶり」

 今田は先週からこの塾に通い始めたこと、塾でおれを見かけて懐かしく思ったこと、帰ろうとしたらたまたま駐輪場にいたので話しかけたくなったことを説明してくれた。そんな今田に対して、話していても特に面白みを感じなかったおれは、適当に相槌を打ちながら早く帰りたくなっていた。

「じゃあ、またな」

 話が終わったと思ったおれはその場を後にしようとした。すると、今田に「ごめん、待って。もう一つ話したかったことがあって……」と呼び止められた。

「話したいこと?」

 おれは首を傾げた。すると、今田はごくりと唾を飲み込んでからおれに言った。


「小牧がさ、死んだよ」


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