嫌な配達先
トラックに積み込まれたお届け物の山。その中の一つが目に止まる。なんの変哲もないダンボールの小箱なのに妙に気になった。おれの気にし過ぎであってほしい、そう思いながら箱をそっと手に取る。見たら後悔するかもしれない、そんな予感がしつつも興味に抗えず伝票に書かれた名前を見る。
「なんで当たるんだよ……」
口に出さずにはいられなかった。案の定おれはお届けに行きたくなくなった。
荷物の中身は化粧品。送り主は化粧品の販売元だろう。お届け先は『楠本』様。正直に言ってこの人の家に向かうのは気が乗らない。
お届けに行っても不在のことが多いということもあるのだが、それはこの人に限らずよくあることなので大した問題ではない。
この人の場合、不在とかそんなこと以上に心理的に負担になるというか、行きたくないと思わせる要素がある。おそらくこの人が悪い訳ではないけれど、お届けに向かうとたまに変な奴がいるのだ。
その変な奴がおれに危害を加える気配はない。でも、そいつに会う度に思う、人間ほど恐ろしいものはいないって。
四十二年生きてきて、いろんな経験をしてきた。当たり前だけど、良いことも悪いこともたくさんあったし、嬉しくて泣きそうになったことも、思い出したくもないこともある。
第六感的なものを持たないおれは、いわゆる心霊とかオカルト的な怖さを感じる経験をしたことがないのだが、人間に対して恐怖を覚えたことは何度もある。そんな中でも「こいつはやばいな」と、忘れたくても忘れられない奴が三人いる。
一人目は友だちだった。
同じ小学校の友だちで、放課後によく遊んでいた。勉強は苦手だけど運動神経が良く、ノリもいい。面白いことが言えて、みんなに優しい小牧はクラスの人気者だった。
小牧の家は母子家庭だった。学校が終わってもお母さんが仕事で家にいないことが多く、小牧はよく遅くまで公園で遊んでいた。おれは小牧とは小学五年生の時に同じクラスになった。
前から友だち繋がりで遊んだことはあったが、同じクラスになってからは一気に仲良くなり、おれたちはよく遊ぶようになった。他の友だちよりも門限が緩かったおれが、よく遅くまで一緒に遊んでいたことがたぶん理由だったんだと思う。平日の放課後はほぼ小牧と一緒にいた気がする。それぐらい仲が良かった。
「なあ、今からおれんちのマンションに来ないか?」
六年生に上がる前だったと思う。公園の隅っこ、止めていた自転車を回収して、二人並んで自転車を押しながら公園を出ようとした時だ。小牧にいきなり誘われた。
時間は六時を過ぎていて、他の友だちはみんな帰った後だった。暗くなってきていたしもう帰ろうかなと思っていたおれは、「今から行くのはしんどいな」と思ったのをよく覚えている。
断ろうと思った。小牧の家は何度も行ったことがあるし、別に今日行かなくてもいいかなって思ったから。でも、おれは断ることができなかった。
「今日さ、いいのが見られそうなんだよ。それで特別に村上にも見せてやりたくてさ」
にかっと明るい笑顔で小牧に言われた途端、おれにはもう断る理由がなくなっていた。楽しそうなものがある、そして、仲のいい友だちが『特別に』おれに何かを見せようとしている。そんなの断れる訳がなかった。
「行く!」
おれは前のめりで答えた。
「おし! じゃあ急ぐぞ。今から行けばちょうどいいはずなんだ」
嬉しそうに小牧が言う。もし間に合わなかったら嫌だと思ったおれは「なら早く行こうぜ!」、みたいなことを言ったと思う。そして二人で小牧の家のマンションまで自転車をかっとばした。
小牧のマンションは古かった。そして、でかかった。五階建てで外壁は白。でも薄汚れていて清潔感はなく、白というよりはほぼ灰色だった。
小牧の家はマンションの二階の角部屋だった。でも、この日小牧は二階に着いても階段を登り続けた。つまらない悪ふざけだと思いながらも「おい、行き過ぎてるぞ」と、つっこんでやると、小牧はにこにこしながら振り向いた。
「いいんだよ今日は。見るなら絶対に上の階の方がいいんだから」
そう言ってまた前を向くと小牧は階段を登り続けた。仕方がないのでおれは小牧の後を追って階段を登る。小牧はそのまま三階も四階も通過して、最終的には四階と五階の踊り場で立ち止まった。
「ここか?」
おれが気になって声をかけると小牧は慌てたようにこっちを見てしーっと人差し指を口の前に添えた。
「ごめん、言い忘れてた。今から大きな声で喋るのなしな。とりあえずおれの横に座ってくれ」
小牧はひそひそと小声で言った。そして踊り場から五階へ続く階段に座るとそこからまっすぐ外を見つめた。こんな所で何を見せられるんだろう、なんて不思議に思ったけれど、小牧は目を輝かせながら何かを待っているようだった。そんな様子を見て、仕方がないのでおれも小牧の横に座った。
おれが「何が起こるんだ?」と聞くと、小牧は「まあ、ちょっと待てよ。あと一分もすればわかるからさ。絶対によそ見するなよ? こっちの方向を見とかなきゃ意味がないからな」と言った。よっぽど楽しみなのか、小牧はおれの方を見向きもせずに外を見続けている。
「わかったよ。仕方ねえな……」
おれは小牧の熱さに根負けして、外を見続けることにした。これでくだらないことだったら絶対に明日ジュースを奢らせてやる。なんて思いながらおれは外を見ていた。
せっかちな性格だった子どもの頃のおれは、一分じっとして待つのも苦痛だった。どれぐらい我慢できたのかは覚えてないが、外を見始めてたぶん数十秒経過した時に「なあ、まだかよ?」と小牧に声をかけた。でも、おれの問いかけに小牧は答えることはなかった。答える必要もなかった。なぜならおれが聞いた次の瞬間、目の前を上から下に人間が通過したから。
おれは最初何が起きたのか分からなかった。自分の三メートルほど前方、マンションの上から静かに人が落ちていった。悲鳴を上げることもなく無言で落下したその人は、声の代わりに中身が詰まった重たいゴミ袋を落としたような鈍くて嫌な音をマンションの周りに響かせた。
「なあ……おい、今の!?」
起こった事象をなんとか理解し、思わず立ち上がったおれは慌てて小牧を見た。子どもでも今の音は落ちた人は無事じゃないことぐらいわかった。
小牧が見せたかったものが何かはわからない。でも、こんな事態に直面するなんて思っていなかったし、こんな時どうしたらいいのかわからないけど、ここでじっとしていちゃ駄目だと思った。
早くこの場を逃げ出したいおれ。しかし小牧はおれとは対照的で、慌てることなく、さっきまでと同様に普通に座ったまま無邪気な笑顔をおれに向けていた。
「な! いいのが見れただろ?」
小牧は嬉しそうにおれに言った。
「……は?」
おれの頭の中はぴたりと思考が止まった。いいのが見れた? その言葉が頭の中で停滞する。
「村上にもさ、見せてやりたかったんだよな」
おれの見間違いかと思ったが、小牧はやはりにこにことしている。こいつは何を言ってるんだ? おれは小牧が何を言っているのかわからなかった。固まっているおれを気にすることなく興奮気味の小牧は続ける。
「最高だったろ? 人の最期を眺めるのは」









