オカルト掲示板
今日、私は偶然助かったんだと思う。不自然な玄関を見て改めて思う。
血痕や争ったような形跡はまるでなく、壁紙や床に傷も新しい汚れの付着すらない。それどころか男に土足で上がられたはずなのに、床がざらつくということもない。
私に刃物を突きつけた男がさっきまでここにいた。いたはずなのに、まるで夢や幻だったかのように、彼がこの家にいたことを証明できるものが何一つない。
私の下着と服は汗で絞れそうなぐらい濡れているけれど、そんなもの残しておいたところで説得力は皆無だろう。
「家で見ず知らずの男に襲われました。でも、その後変な配達員が来て、男をどこかに連れて行きました。配達員の姿は見ていなくて、二人のやりとりも確認できていません」
こんな話を聞いて信じてくれる人がどこにいる?
「お気を確かに」
「疲れてらっしゃるのでは?」
「相談に来るところを間違えてはいませんか?」
警察に相談したとしても、見当違いな心配をされたり、怪訝な顔をされて話を聞いてもらえない未来が見える。なんなら虚言癖を疑われる可能性もあるだろう。
もしかしたら警察の中にも真摯に話を聞いてくれる人がいるかもしれない。でも、「実害が出ておらず、状況もわかりかねるので動きかねます」みたいなことを心苦しそうに言われるのが関の山だ。
私は早々に警察に相談することを断念し、戸締りだけ確認して化粧を落とすこともなくベッドに潜り込んで現実から目を背けた。あんなことがあったのに、疲労のせいか、目を閉じた瞬間眠りに落ちた。
私の精神状態に関係なく、火曜日の朝はいつも通りやってきた。スマートフォンのアラームをセットし忘れていたけど、体に染みついた習慣により六時ぴったりに目が開いた。
のそりとベッドから這いずり出て、カーテンの隙間から外を見ると、これでもか! と言わんばかりの快晴が目に映る。私の心と正反対の空を見て、世界の中心は私じゃないんだなと思い知らされる。当たり前と言えば当たり前のことなんだけど、なんだかひどく嫌な気分になった。
汗だくのまま化粧も落とさず寝たせいもあり、精神的にも身体的にもコンディションが最悪だった。体はだるくてしんどいし、顔は肌が悲鳴を上げているのを感じる。せめて化粧だけでも落としておけよ、と昨日の自分を呪いたくなる。
爽やかな朝の景色を睨みつけながら一分ほど悩んだ末に、私は風邪をひいたことにして会社をサボることにした。ここ数年ぶり、久しぶりのずる休みだ。
管理職だって体調を崩すことはある。インフルエンザになれば出社できないし、私も組織全体から見れば歯車の一つなんだから、一日ぐらいいなくても大丈夫だろう。有給休暇もたくさん余ってるし、上からも部下が休みやすいようにたまには休暇を取れって言われてたし……。
欠席連絡後、じわじわと詰め寄る罪悪感から目を背けるため、休んでもいい理由を自分に何度も言い聞かせる。それでも残る後ろめたさを見て見ぬふりをしながら、アルコールシートでマスク男が通った所を念入りに拭く。
拭き掃除の後、私はお風呂の準備に取り掛かった。お風呂に入ってさっぱりして、それから気持ちを整理する。今の私にとって一番やるべきことはそれしかないと思った。
お風呂に入る前、洗面所で改めてじっくり鏡を見ると、化粧が崩れどす黒い顔の女がいた。ひどい顔をした自分に嫌悪感を持ちつつも、今日休む判断をした私は偉いとも思った。
約一時間の長風呂と午前中の二度寝をしっかりとした私は、ようやく少し気持ちを落ち着けることができた。二度寝から起きた時にはもうお昼過ぎだった。私はケトルでお湯を沸かし、マグにインスタントのカフェオレを入れてリビングに腰を下ろした。
姿を消したマスク男。こちらについてはたぶん調べても何もわからないだろう。動機はもちろんのこと、誰なのかも心当たりはないし、彼が今どうなっているのかも知る術はない。
近隣の不審者情報をざっと調べてみた。SNSと地域ニュース、それから自治体のホームページも見てみたけど、似たような案件はなく、そもそも不審者情報すらほとんど出てこなかった。治安がいいのは良いことだけど、これでは調べたくても取っ掛かりすらない。
マスク男に繋がる情報はないけど、私は不安にはならなかった。だってたぶん彼とはもう会うことはないから。全く根拠はないけど、彼はもう昨夜の時点でこの世にはいない。自分でもよくわからないけれど、何故か私はそう確信している。
次に、結果的に私を助けてくれた変な配達員。こっちはなんとなく調べられる気がしている。お風呂に浸かっている時に、オカルト系の情報サイトや掲示板を漁れば何か出てくるかも、と思いついていた。心のどこかでは馬鹿らしいと思いつつも、私は配達員が人間ではないと結論づけていた。
やめておけばいいのに私は興味本位で検索をし、そして、幸か不幸か予想を的中させてしまった。
「不在配達 怪談」
「配達員 ホラー」
「不在票 都市伝説」
最初は思いつきでそれっぽい検索ワードを手当たり次第調べてみた。でも、現実はそんなに簡単なものではなく、ピンとくる検索結果には辿り着けなかった。ネットの海を一時間ほど彷徨い続け、午後一時を回った頃、私はお腹が減ったので一旦捜索活動を中断した。
何か作る気力もなく、もうパンを焼くのも面倒だった私は、冷め切ったカフェオレをお供に食パンを焼かずにかじった。味気のない食事の後、再びケトルでお湯を沸かして二杯目のカフェオレを入れた私は、検索方法を少し変えてみることにした。
「N県 心霊スポット」
「N県 都市伝説」
「N県 恐怖体験」
配達員に関する話ではなく、場所指定で調べてみることにした。県だと範囲が広すぎて情報量が膨大だったので、N県南部に絞ってみたり、市や電車の路線まで範囲狭めて調べてみた。その結果かなり時間がかかったけど、最終的に変な配達員に関係がありそうな情報に辿り着くことができた。
息苦しさを感じる熱帯夜、ある男性配達員が指定された時間に再配達に行ったのに受取人が不在だった。この受取人は時間指定をしているのに不在なことが多く、その荷物の再配達も既に二回目だった。
荷物を置いて帰るわけにもいかず、仕方がないので営業所に荷物を持って戻っていると、不在票を見た受取人から配達員の携帯に電話がかかってくる。
「仕事で明日からしばらく留守にするので、できれば今すぐ持って来てほしい」
受取人である男性から電話越しに懇願された配達員は、悩んだものの荷物の保管期限もあるので、再び受取人の元へ引き返してあげることにした。しかし、荷物を届けに戻る道中で交通事故に遭い、配達員は帰らぬ人となった。
単独事故だった。事故原因はわからないが、電柱に激突して配達員は即死。顔はもう誰か識別できないぐらいぐしゃぐしゃになっていた。
この事故が関係しているかは不明だが、事故以降、録画機能のあるインターフォンを付けた家では、深く帽子をかぶった配達員がインターフォンを鳴らす姿が録画されるようになった。運送会社の制服を着ている人が映っているが、いたずらなのかポストに不在票はなく、運送会社に問い合わせても該当する荷物すらない。
配達員は帽子を深くかぶっているため顔が見えないのだが、外見から男だと言われている。実は、交通事故で死んだ配達員も帽子を深くかぶる癖があったと言われている。
インターフォンを鳴らされること以外被害は出てないが、録画機能がないインターフォンの家でも記録が残ってないだけで訪問されているのではないかと噂されており、S駅周辺の住民たちは気味悪がっている。
県から市レベルまで検索範囲を絞り込み、オカルト系の都市伝説を漁っていると、最寄り駅とその隣の駅の間ぐらいのエリアで気になる話があった。沿線沿いの都市伝説を語るスレッドで、よく知る駅名とその近くの奇妙な話が立ち並ぶ中、私は思わずスクロールする指を止めた。
投稿日は今から二年前。それほど時間は経ってないし、関連する投稿を見ていくと、場所もある程度特定することができた。歩いていけば三十分ほどの場所だった。
私はそのままとりあえず住所を検索し、ストリートビューを見てみることにした。なにか情報がないかじっくり見て回ると、電柱の足元に花束が置いてある場所があった。
電柱のある場所で過去に交通事故がなかったか調べてみる。しかし、事故の記録はヒットしなかった。念のため事故物件の検索サイトで周りを調べたけど、交通事故までは網羅されておらず、有力な情報は得られなかった。
スレッドの話にはさくら急便の名前はなかった。でも、なんとなく花束と辿り着いた怪談が無関係に思うことができず、私はこの場所に行ってみたくなった。
行ったからといって何かがわかるとは限らない。それにこの事故現場が私の家に来た配達員と無関係な可能性だって高い。そんなこと頭の中ではわかっているのに、気になって仕方がない。私はマグの中に少し残っていたカフェオレを飲み干すと、急いで身支度を済ませて家を出た。
でも、マンションを出る前に私の勢いは殺されてしまった。一階に降りてポストの前を通った時、チラシが溢れる光景が私を待ち構えていた。そうだった、昨日片付けずに帰ったんだった。
無視して出かけようかとも思ったけど、既に放置してかなり時間が経っているため、私はチラシを回収して一度家に戻った。
「こんにちは、今日はお仕事はお休みなんですか?」
気を取り直してマンションを出た時、後ろから聞き覚えのある声が私を呼び止めた。びっくりして振り向くと、綺麗な白髪でスラックス姿のおじいさんが、とびきりの笑顔で私を見つめていた。