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3話「抱かれる痛み」

いくらか、センシティブかもしれません。規約違反にはならないと思います。

「ぼく、国語教えるの、すごく下手だよ?」


「知ってる。わかんない人の気持ち、わかんないタイプでしょ」


 なんだか悲しい気がした。拒絶されたような気がした。ぼくは、慌てて、言い訳がましい言葉を並び立てた。


「いやあ、数学できないからさ、それはたぶんわかるんだけど、なんか、いざ教えるってなると不器用で……」


 己を低くすることに死力を尽くすときが、人にはある。


「じゃ、家来てね」


「え、あ……うん」


 混沌たる頭のまま約束を結んでしまった。



――――――



 いざ、放課後。ぼくは、帰りの支度にもたついていた。どうにも落ち着かなかった。ぼくは、もともと、人の家に入ることが、得意でない。

 女子の家。いや、特段、それでどうこうとは、言わないけれども、しかし、どうも、女子の家というのは、なんとも。


「ほら、行こ。あ、親とか大丈夫? 帰り遅くても」


「ん、ああ、全然大丈夫」


 父は、今日、家に帰らないだろう。外で作った女と遊んでくるはずだ。母は、ぼくが、帰らなくとも。


「行こっか」


「うん」


 先ほどから声が喉につっかえて出にくい。出てきても、なんだか上擦った響きだ。緊張しているのだろうか。女子の、家。なるほど。ぼくはこれから女子の家に入るらしい。

 二人、足並みを揃えて、歩いた。道中話した内容は覚えていない。そもそも自分がまともに話せていたかどうかすら分からない。上の空のまま遂に家の前まで来てしまった。艶のある木製の扉が恐ろしい。


「ほら、入ってー」


「え、あ、おじゃまします」


「親いないから、そんな律儀に挨拶しなくていいよ」


 香澄は平然と笑っている。親がいない、と聞こえた。なるほど、親がいないらしい。なるほど。


「美琴、やっぱり調子悪い? なんかおかしいよ?」


「元気!」


 上擦った。


「そう? 心配だけど……とりあえず、おいで」


 手を引かれて、踏み入った。ぼくの家と違って玄関が綺麗だ。想像と異なり別段甘い匂いなどはしなかった。妙に馴染む空気である。そのまま手を引かれて二階にのぼった。


「ここ、うちの部屋。きのうたまたま掃除しといてよかった」


「入ってもいいの?」


「連れてきたのにここで待ってろなんて言わないでしょ。ほら、どうぞ」


 扉があく。中が見えた。恐ろしく物が少ない。可愛らしいぬいぐるみでも、几帳面に並べてあるものと思っていたが、勉強机、ベッド、本棚、ただそれだけの簡素な部屋。あとは、座布団が、床にふたつ。


「入って入って」


 思いのほか無機質な部屋なので、緊張は解け、難なく入り、さほどおおごとでもないらしいと認識を改む。香澄も入ると後ろ手に扉を閉めた。


「じゃ、ちょっと教科書探すから、ベッドにでも座ってて」


 やはり優しいな、と思いながら腰掛けて、その柔らかいこと、羊に身を預ける如くにて、ベッドの感触を知らぬ身で、些かの感嘆。その新鮮なのを味わいつつ眺めていると、やがて本棚から引っ張り出した問題集を、机に軽く放り投げた。


「よく考えたら、美琴が教科書みたいなものだし、問題集でいいよね」


「えっ」


 過度な期待。ぼくを最大限ぎこちなくさせる魔法のような技。知ってか知らずか残酷である。そもそもぼくは、自分が点数を取れる仕組みを、自分でわかっていないのである。人に説明するなど夢のまた夢。


「ね、これどういうことー?」


 香澄は、ひとつ、問題を指で示した。それだけを見せられてわかるはずがないので、本文は、と尋ねると、目を丸くして答える。


「これ、学校で配られたやつでしょ? もうすぐ提出なのに、やってないの?」


 知らなかった。実のところ、国語の問題集は、配られてすぐになくしてしまったのである。


「そもそもどっか行っちゃった……」


「え!? おバカさんなの!?」


 ぼくは、とても恥ずかしかった。赤面して、俯いていると、くすくすと笑い声が聞こえる。香澄は、顔を赤くして、それでも小さく笑っていた。そこまでおかしいことを言ったつもりはなかったので、余計に恥ずかしかった。


「ほんとにもう、美琴は」


 慈愛の香りがする笑顔だった。ぼくには、瞬時、それがわからなかった。誰からも、一度も向けられたことのない感情であった。

 香澄は、ずい、と身を乗り出し、ぼくの頬を撫でる。ぼくは、赤面よりは、涙があふれそうでたまらなかった。人前で、泣ける歳ではない。


「ねえ、美琴」


「なあに……?」


「抱きしめていい?」


 ドクン、と、確かに聞えた。それは、異性に対する胸の高鳴りではなかった。抱きしめられて、いいのだろうか、という、幸福に対しての身構え。ぼくのような惨めな弱虫でなくては、この気持ちは、わからない。


「ん……あまえんぼさんだね」


 自分から抱きついて、その胸に顔をうずめ、泣き出してしまった。人の胸が、こんなに熱を持っているのを、ぼくはこれまで知らなかった。


「昨日もね、昨日も、いっぱい、怒られちゃったの、その前もね、毎日毎日、たくさん怒られちゃうの」


「うん、うん、頑張ったね、美琴は偉いよ」


 制服を、涙で汚してしまっているのに、香澄はぼくをそのままにして、どころか、頭を撫でて、わけのわからないぼくの愚痴を優しく聞いてくれた。


「今日も、帰るの、怖くて、ぼく、ここに来られて嬉しくて」


「帰したくないな、ここにいてほしい、美琴のこと、守りたい」


「守られるの、申し訳ないよ……」


「本当なら、親が子供を守るんだよ」


「そうなの……?」


「美琴は、特別にうちが守ってあげる」


「嬉しい、いいの? 守ってほしい」


 ぼくは、もうすっかり弱さばかりが表面化して、双眸、男らしさの欠片もなく潤んで、香澄を見上げて、縋るような高い細い声。


「うん、だからちゃんとうちの言うこと聞くんだよ」


「うん、聞くよ、なんでも聞く、ぼく、ちゃんとずっといい子にするから、ずっとずっと、大事にしてくれる?」


「今までもこれからも、美琴が大事だよ」


「本当? 嘘つかない……?」


「本当。……ちょっと体起こして」


「あ……ごめんね、ずっと抱きついてやだったよね、ごめんね、嫌いになったらやだ、気づけなくてほんとにごめんなさい」


 暗い、痛い気持ちが、すでに胸を支配していた。自分がこの世に不要の人間という気がして仕方がない。


「ごめんね、違うの。顔を上げて」


 その言葉で希望が差した。すぐさま顔を上げると、香澄の顔が、優しく素早く降ってきた。


「んえ、ふえ……」


 何をされたか、すぐにはわからず、間抜けな声をあげたところに、柔らかい、濡れたものが、そっと探るように入ってきた。ぼくは、恥ずかしくてたまらなかった。しばらく、そうしてまさぐられていた。愛されているような気がして嬉しかった。ぼくの絶対的な不足を、埋めてくれている、ような気がした。


「ん……美琴、おいしいね」


 と、香澄は、自らの薄い唇を舐めて微笑んだ。


「ね、うち、いまの、初めてだったんだよ」


「ぼくも……」


「そっか。……このまま、もっと初めて、あげたいな」


 トン、とぼくの肩を押す。容易くぼくは押し倒された。ぼくには、香澄への抵抗などという思考は、もう存在しなかった。何でも香澄の言う通りにして居ればそれだけでぼくは幸せになれるのだ。ぼくはもう何も自分で頑張ることはない、ただひたすらに従って大切にするばかりで良いのだ。こんなに気楽なことはない。死ねと言われれば、死ぬのだ。


「脱がすよ。……ん……肩、アザがあるね。どうしたの?」


 隠す気など、微塵もない。どだい傷のことは忘れていた。


「お父さんにやられたの」


「……そっか。もっと脱がすよ」


「うん」


「細くて白くて、それで、……傷だらけ、綺麗だね」


「ん……嬉しい」


 香澄は、なんでも肯定してくれる。ぼくは生きていていいのだ。


「うちも、つけていい? その、胸の、そのところ。噛んで、痕つけたい。うちのものって」


「ちょっと痛そう……」


「うちの言うこと、聞くんじゃないの?」


「つけて」


 そっと歯を立てられる。瞬時、緊張が走り、身を固めた。

 そのあとは、ぼくはもう、ただただ香澄のものとして、随分と乱暴に扱われた。それでもぼくは、嬉しかった。幸福を噛みしめていた。ぼくは、きっと幸せなのだ。

 香澄は、本当にぼくが初めてらしく、さすがに痛そうにしていた。それでも、なんだか嬉しそうだった。

 ぼくも、痛かった。

感想、評価など、たいへん励みになりますので、よろしければお願い致します。この第3話の更新も、ありがたい評価をいただけてのことです。誠心誠意、更新に努めて参りますので、なにとぞ応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心理描写とか、いろいろリアルすぎる……! 途中めっちゃリズム感いい文章とかもあってよかったです! [一言] ……もしかして女の子とのそういう描写がリアルなのって……作者さん、まさか経験が…
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