16章 セラフィからの手紙 08
「スミス殿、まずは我が娘を無事に連れ帰ってくれたことに感謝しよう」
トリスタン侯爵の館、領主の執務室。
俺は部屋の主である侯爵と握手を交わしていた。
あの後俺たちは見張りの兵と接触し、夜が明けるのを待って館に帰還した。
館にはすでにヨザリク氏たちが到着しており、魔王軍四天王出現とシルフィ嬢拉致の報でまるで火事場状態であった。
そこに俺がシルフィを連れて帰還したわけで、火に油を注ぐ形になったのは言うまでもない。
侯爵の一喝がなければ、事態が落ち着くまでにさらに時間がかかっただろう。
その後シルフィは館の奥に連れていかれ、俺は報告のために侯爵の執務室に案内されたところである。
「さて、部下からは魔王軍四天王と名乗る者が現れ、我が娘が拉致されたまでは聞いている。その後どのような経緯で貴殿は娘を取り返してくれたのだろうか。聞かせてほしいのだが」
口調は落ち着いているが、侯爵の目は猛禽類のそれだ。
「魔王軍四天王を名乗る奴が娘さんを確保しようとした時、祭壇の奥からもう一人男が現れたんだ。そいつは『闇の皇子』だと名乗って、四天王と戦い始めた。雰囲気としては娘さんを奪い合ってたみたいだな。そいつらが争ってる隙をついて娘さんを連れて逃げた。そんなところだ」
俺はでっちあげた設定をそのまま話した。
もちろんシルフィに口裏合わせを頼んだ内容である。
「ふむ……貴殿から見て、四天王と『闇の皇子』とやらは本物だと思える存在であったかね」
「四天王はケルベロスを従えてたし、『闇の皇子』は多くの兵士を呼び出してた。あんな技やスキルは見たことも聞いた事もない。騙りだとは思えない」
「その二者はどちらが勝ったのかね?」
「最後まで見ていない。ちらと見た限りでは『闇の皇子』が優勢だったとは思う」
「四天王と『闇の皇子』なら当然後者の方が上であろうな。『闇の皇子』の風貌はどのようなものであった?」
「赤黒い兜とマントを身に着けていた。声を聞いた限りでは若い男のようだった」
「伝承の通りか……。ところで貴殿が連れ帰った娘の翼が白色に変化しているようなのだが、心当たりはあるかね?」
「最初から白じゃないのか? そうだと思っていたが」
「そうか。ふむ……」
侯爵はそこで手をあごにあて、考えるフリをした。
「フリ」だと思ったのは、その口が皮肉げに歪んでいたからだ。
それを見て、俺はある『予想』が当たっていたのを確信する。
侯爵は獲物を狩る猛禽の目を再び俺に向け、口を開いた。
「私は貴殿が娘……シルフィに何かしたのではないかと疑っているのだよ。そう、もう一人の娘、セラフィにしたのと同じにな。違うかね? ロンネスクの3段位ハンター、クスノキ殿」
「侯爵は諜報に力を入れている」「手紙は使用人が出した」。この二つはアシネー支部長とセラフィから聞いた話だ。
この情報から、俺は事前にいくつかの可能性を考えていた。
その一つが、セラフィが俺を呼び寄せようとしていることを知った上で、侯爵がその状況を利用するのではないかという可能性である。
ゆえに侯爵からカマを掛けられても、俺は無反応を通すことができた。
「クスノキという3段位ハンターがいるのは知っているが、それは俺ではない。何か勘違いをしていないか?」
「くく……、大したものだな、全く動揺しないとは。こうなることは予見していたというわけか。ケルネイン……いやボナハの件を見れば切れる男とは思ったが、なるほど大したものだ」
侯爵は口元を歪め、言葉を続けた。
「まあよい、認める必要はない。貴殿についてはこれ以上詮索するつもりもないし、詮索したところで魔王すら退ける貴殿をどうこうすることもできまい。ただ貴殿にはもう一つ依頼をしたいのだ。無論報酬は出そう」
「依頼なら話を聞こう」
「それでよい。なに簡単なことだ。シルフィと同じように、セラフィを『光の巫女』として覚醒させてほしいのだよ」
「『光の巫女』とは何だ?」
「貴殿が見たという『闇の皇子』に対する切り札、とだけ言っておこう。つまり『厄災』から国を守る手助けをしてほしいというわけだ。特に問題のある話ではないと思うが?」
「……確かにな」
なるほどそうきたか。
これは俺がクスノキであると認められないことを逆手に取った取引だ。
俺がスミスである限り、侯爵の依頼を断ることはできない。
断れば最悪『厄災対策の手助けをしなかった』つまり『国家の安全を損ねる行動を取った』という名目で罰せられるからだ。
スミスに関してはカードを偽造している以上、何かあると支部長、下手をすると公爵にまで累が及ぶ。罪をかぶるなどもっての外である。
唯一の逃げ道は……
「その覚醒とやらを、俺ができないと言ったら?」
「『光の巫女』は2人揃わないと問題があるのだよ。1人では、その者の命と引き換えに『闇の皇子』を滅することになる」
いかにもこのやり取りを楽しんでいるかのように、侯爵はニヤリと笑った。
自分の娘の命を質として取引をするなど呆れるしかない話だが、それは同時に俺の情に訴えかける策でもあった。
『腹芸』では、所詮もと中間管理職では本場の上位貴族に敵うべくもないようだ。
「……わかった、セラフィに会わせてくれ」
「ふふ、感謝する。セラフィは貴殿の事を大層気に入っているようだ。存分に旧交を温めるとよい」
侯爵はそう言うと側仕えの青年を呼び、俺をセラフィの下まで案内するように命じたのであった。
セラフィの部屋は、俺が想像しているような女の子の部屋とは違って飾り気の少ない、むしろ質素に思えるような部屋であった。
その生活感の乏しい室内は、セラフィのこれまでの人生に彩りがなかったことを示しているかのようである。
側仕えの青年はドアを開けるところまでが案内とばかりに一礼して去っていった。
やりとりを見張るのかと思っていたのだが、俺がクスノキだと詮索しないという侯爵の意向であろう。
密室になるのを避けるためドアは開けたままにして部屋に入った。
そこにはシルフィも一緒にいて、俺が部屋に入るなりいきなり抱き着いてきた。
傍らにいたセラフィが、驚いたような目で双子の妹と俺を交互に見ている。
「あの、どちらさまでしょうか?」
「ん? ああ、済まない……ではなくて、済みません。私です」
俺が変装、『朧霞』スキルを解いてみせると、セラフィは目を丸くして口に手を当てた。
「クスノキ様!? そのようなこともお出来になるのですね」
「ええ、色々とスキルがありまして。それよりお変わりはありませんか?」
「はい、おかげさまであの後は特にどこかに行くこともなく、ずっと屋敷におります」
「そうですか。ええと、シルフィ様、そろそろお離れに……」
「いや、まだこのまま……」
ううむ、まだ『洗脳』を解いた後遺症があるのだろうか。セラフィも翌日まで残っていたし、仕方ないのかもしれない。
「すみません、シルフィはもともと甘えん坊なのです。先程までクスノキ様のことをしきりに口にしていましたので、しばらくそのままでお願いできませんか?」
「ええ、もちろん構いませんよ。私のせいでもありますので」
そう言うと、自分も同じことをしていたのを思い出したのだろうか、セラフィは少し頬を赤らめた。
「それで、あの、この度は本当にありがとうございました。シルフィが無事に帰ってきて私嬉しくて、とても安心しました。このお礼は必ず……」
「お礼はお父上に頂くので大丈夫ですよ」
「父上から……? もしかして、貴方様のことをもう父は……」
「気付いていない、という事になっております。侯爵閣下は鋭いお方ですね。少々繊細な状況になってしまいました」
セラフィは俺にとって不利な状況になったことを悟ったのであろう、泣きそうな顔で頭をさげた。
「申し訳ございません。私が迂闊に手紙を送ったばかりに……っ」
「セラフィ様、謝らないでください。貴女は妹君を助けようとしただけ。その行為を咎められるものなどおりませんよ。私としてはむしろ頼っていただいて嬉しく思います」
俺が膝を折ってなるべく優しい声で言うと、セラフィは恐る恐るといった感じで顔を上げた。
目が合うと顔がぱあっと赤くなり、俺はなにかマズいことを言ったかと内心慌ててしまう。
「……あ、あの、それで、その……っ」
「クスノキ様、やっぱりセラフィと仲がいいの?」
セラフィがなにやら怒り(?)のせいで言葉に詰まっていると、しがみついていたシルフィが首をかしげて言った。
「多分悪くはないと思いますが……」
「そうだよね。セラフィはずっとクスノキ様の話をしてたから……。あ、だからわたしもクスノキ様のこと、ずっと知ってる人みたいな感じがするの」
いやそれ多分後遺症のせい……とは言えないので、「それは嬉しいですね」と言って誤魔化す。ごめんね、大人ってズルいんだよシルフィ。
「ちょっ、シルフィ、そんな、ずっと話してたなんて、そんなことなかったでしょうっ」
「わたし頭がぼうっとしてたけど、セラフィの言葉は覚えてるよ?」
「だけど、そんないっぱいはしてなかったから……っ。もうっ」
年相応にキラキラした二人のやりとりは、貴族の子女もやっぱり女の子なんだなと思えて実に微笑ましい。
しかしおじさんになるとキラキラにやられて女の子同士の会話の中身が耳に入らなくなるのは不思議である。
いや、理解して反応すると気持ち悪がられるからな、これはおじさんの防衛本能であろう。
「あっ、そうです、クスノキ様にお聞きしたいことがあるのです。シルフィの翼の色が変わったことについて何かご存知ありませんか?」
顔を赤くしたセラフィが、ちょっと慌てたように俺に向き直った。
「ええ、実はここに来たのはそのことについて話をするためなんです」
「そうだったのですか。それで、これはどのようなことなのでしょうか」
俺はシルフィが『魔力譲渡』によって『闇の巫』から『光の巫女』に変化したこと、セラフィも同様に『光の巫女』へと覚醒させてほしいと侯爵から頼まれたことを話した。
シルフィはそれを聞いて目をキラキラさせ、セラフィは少し目を伏せて何かを思案する顔になった。
「『光の巫女』……ですか。『闇の巫』についてはあの後父から聞かされましたが、さらに変化することがあったのですね」
「そのようです。『光の巫女』は『闇の皇子』を倒すための切り札と侯爵はおっしゃっていましたね」
「父が素直に『闇の皇子』を倒すとは思えません……けど、『光の巫女』にはなっておいたほうがいいと感じます。クスノキ様、私にもその『魔力譲渡』をお願いします」
自分に言い聞かせるように言って、セラフィは俺を見上げた。
その瞳に宿る強い意志の光に、俺は感嘆とともに幾分かの同情を禁じ得なかった。
目の前の少女たちが背負わされた重責は、前世の経験では測り知れないものである。
「わかりました。お背中失礼いたします」
背中に手を当て『魔力譲渡』を行使する。
「……んっ……あぁ……」
セラフィの口から漏れる声を聞き流しつつしばらく様子を見ていると、黒い翼の先端から色が変化しはじめる。
30秒ほどで、彼女の翼は天使のそれのように純白となった。
「はぁ……ぅ。あ、これが『光の巫女』の翼……きれい……」
「これでセラフィも一緒」
セラフィが翼を広げると、シルフィも合わせて翼を広げて喜びを表現する。
可愛らしい双子が手を握り合っている様子は、『光の巫女』の覚醒イベントに相応しいキラキラぶりであった。
「セラフィ様も確かに『光の巫女』になられたようです。あまりお部屋に長居もできませんので、今日のところはこれで。助けが必要ならいつでもお呼びください」
一応『解析』で職業が『光の巫女』に変化しているのを確認し、俺は2人から離れようとした。
「まだだめ、行かないで」
「あっ、もう少しお話を」
両腕を双子に掴まれた俺は振りほどくこともできず、その後一刻ほど二人の他愛のない話に付き合うことになった。
侯爵の野心に振り回されての結果とはいえ、彼女たちは俺が関わることで人生が変わってしまったとも言える。
ならば、彼女たちを少しでも幸せな方向に導くのがインチキ能力者としての役目ではないだろうか。
多分に前世のメディア作品群の影響を受けた考えな気もするが、それが一番納得できるのも確かであった。




