後編
コンピュータを操作しながら、紅蘭が小さく嘆息した。
エンジニアのギィは、数時間前からブリッジに籠もったままだった。ユマと一緒にカズを探しに行った、その後の話は詳しくは聞いていない。「途中で別れたから」とは、言っていたが……。
あの、思わせぶりな言葉はどうした。
らしくもなく、ものすごく心配していたのに。この憤りは、後で百倍にして返してやらないと気持ちが治まらない。
そんな時だった。船長のリックから、指示を受けたのは。
こういう事は本来、ユマやカズの役割なのだが……その二人の姿が見えないのだから、お願いしたい。と、いう前置きの後でリックは言った。「この船の現在の生体反応を調べてみてくれるか?」と。
カズだけじゃなく、ユマまで消えたというのは、初耳だった。
そう言うと「どうして、カズの時に報告してくれなかったんだ」とリックが大仰に溜息をついていた。
搭乗員たちが暇をもてあましている間、リックはひとりでブリッジに居た。船は自動操縦なので、ブリッジで確認作業をするのはひとりで十分だったので。立候補をする人間もなく、だったらもともと「他人任せ」は苦手なリックがその役を引き受けていた。
報告については、忘れていたのだから今更言われても仕方がない。素直に「ごめん、すっかり忘れていた」と告げると、最後には頭を抱えて「この船の乗務員はどうして、いつも船長を蚊帳の外に置くんだ」と、ごねていた。
そんなもの、統括者は蚊帳の外から人を見る必要があるかに決まっている。そもそも、いきなり「生体反応」を調べようなんて言い出したり、さらには自分でやらないのが、船長の船長らしい所だ。
生体反応。
五人に決まっている。だって自分達は地球を発った時からずっと五人で行動をしているのだから。
苦笑しながら、結果を待つ。コンピュータが出した結果に、紅蘭の動きが止まった。
「ギィ、ユマを知らないか?」
ブリッジで、ワープの最終チェックを行っていたギィに、リックが声をかける。その後ろに付き従う、紅蘭の表情は沈んでいた。
「なんだよ、リックまで」
と、おかしそうに笑う、ギィ。
「いや、仮眠室にもいないし紅蘭に聞いたら少し前に君と二人でカズを探しに行ったと言うから」
「ユマとはすぐに別れてひとりで探した。でも、見つからなかった。ユマもいないのか?」
「紅蘭に、先ほどの結果をギィにも言ってやってくれ」
促され、紅蘭が前に出る。
「現在、アマテラスにおける生体反応は、四つ。何度チェックしても、同じだったよ」
ひとつはブリッジ。勿論ギィだ。そして、二つはミーティングルームに居た紅蘭とリック。
あとひとつはどうしても掴めない。生体反応が指し示す場所に行っても、姿が見えない。なにより、もうひとつあるべき反応がない。
「それは」
と、ギィの険しい目が二人に向けられる。
「ユマが、カズをどうかしたって、言いたいのか?」
「最初にひっかかっていたのはあんたでしょ? 二人でカズを探しに行って、やっぱり見あたらないって帰って来たよね? で、ユマはどうだったんだよ。ちゃんとした報告もらってないよ」
紅蘭が、ギィに食ってかかる。
心配した分、怒りが百倍……の、筈なのだが。それ以上にショックだったのは、五人のうち、一人が現実にこの船に居ないという事実だ。
船外に出たのなら、その痕跡は残されている筈。だが、そんな痕跡はどこにも発見できなかった。と、言うことは考えられる事はひとつしかない。
「ユマに聞かないと仕方ないだろう。探しに行くか?」
「いや」
と、リックが首を振った。
「我々は、しばらくこのブリッジに詰める」
「え?」
「ユマとカズには、随時船内放送でブリッジに集合するように呼びかける。だが、ここに居る三人は、今現在からここを出ることは禁止する」
それは、少し困ることになるんじゃないかな。
そう言おうとして、紅蘭がリックを見る。だが、彼の面差しが真剣だったので、紅蘭は言うべき言葉をつげずにいた。
ブリッジに詰めて、何十時間が経過したのかも、紅蘭は忘れた。
そのうちに、誰かが言い出すだろうとは思っていたのだが、誰も言い出す気配がない。そうかやはり女性は不利というわけだ。
間もなく、アマテラスはワープポイントに到達する。
館内放送で、何度も招集をかけた。だが、ユマもカズも姿を見せる事はない。
搭乗員の三人も、リックの指示通りブリッジを出る事はなかった。
そろそろ、限界だということを、紅蘭は知っている。
いや、限界も限界だ。
大体、女性には子宮がある分、トイレは近い。訓練をつんでいるとはいえ、生理現象には限界がある。
一番最初に、「トイレはどうするの?」と聞いておけば、今、限界と戦う必要はなかったのだろう。その場の雰囲気というやつで、言えなかったものは仕方がない。
もそもそと体を動かして、ちらりとギィを見る。
だが、彼は気づきもしない。
いつもはあんなに言いたい放題なのに、こういう時には全然役に立たない。「なんだ、青い顔して。もしかしてトイレか?」とか言ってくれても良いのではないかと、八つ当たり気味に、紅蘭は思う。
それに対する返事は、いくらでも考えてあるのに。
救いの神は、ない。
ならば、仕方がない。
紅蘭は意を決して立ち上がった。
「先生、トイレ」
リックが紅蘭を見て、苦笑する。当人は、全く笑えない状態なのだが。
「許可する。行ってこい」
あっさりと答えるリックに、もう少し早く言うべきだったと思いながらも、口に出来なかった本当の言葉を紅蘭は告げた。
「怖いからついてきて」
普段からは想像も出来ないような、消え入りそうな声だ。自分でも、びっくりだった。
リックがまじまじと紅蘭を見て、吹き出した。
「紅蘭にも怖いものがあるんだな」
「見えないものは、怖いよ」
小さく肩を震わせる。もちろん彼女の震えは、尿意を我慢しているせいもある。
「じゃあ、ボディーガードを勤めよう」
「覗いたら、首根っこ叩き折るからね」
(やれやれ、さすがはゴリ蘭だな)
そんな返しがあると、思っていた。
だが、ギィの口から出たのは全然違う言葉だった。
「おいおい、俺をひとりにするのか? 怖いじゃないか」
「子供かい」
紅蘭のからかいにも、ギィは反応しない。
「らしくないの、オンパレードだな」
やれやれと、リックが嘆息する。
何か、引っかかったが――紅蘭には、それを考える余裕はなかった。ブリッジを出て個室に駆け込む。後ろから付いてくる足音に安心して。
「あら、リックは?」
個室を出た紅蘭を待っていたのは、ギィひとりだった。
「ああ、ついでに調べたい事があるとか言っていたな。一時間後にワープを行うから、先にブリッジに居ておけだと」
紅蘭の顔が、ぱっと輝いた。さっきまでの緊張がゆるみ、安堵の笑みを浮かべる。
「おお、ついに帰れるのか。でも、どういう心境の変化?」
「搭乗員は全員ブリッジに集合するよう、船内放送をしろとさ」
つまり、結局先ほどまでとは変わらないという事か。と、少し落胆しながらも紅蘭は納得した。
ワープを示唆し、二人(一人)の動向を待つという事だ。
だが、定刻を過ぎてもついに二人からの連絡はなかった。それどころか、
「ちょっと、どうしてリックまで戻って来ないのよ」
苛立たしげに、紅蘭が爪を噛みしめる。リックからの連絡は、一時間前から途絶えたままだ。
と。
不意に、笑い声が聞こえた。
振り返った紅蘭の前で、ギィがおかしそうに笑っている。
「あのな、紅蘭」
やっと。
紅蘭は違和感が何であったのかに気が付いた。挑むように、ギィを見つめる。
「この船に乗っていたのは、何人だったかな?」
「だから五人でしょ?」
「本当に、そうだったか?」
紅蘭の目は、ギィから離れない。背後でドアが開いた事にも気づいていない。
「ギィ、さっきからアタシのこと紅蘭って呼んでるよね?」
「お前は、紅蘭だろ?」
「お前」と、再び紅蘭が呟く。
ああ、と、ギィが少し笑った。
「ギィは、お前を紅蘭とは呼ばなかったのか」
数歩、紅蘭が後じさる。
「ギィは、自分が戻って来なければ、ユマが狼だと言った」
ギィが、その紅蘭に詰め寄った。二人の距離が縮まり、ふたたび紅蘭が後退する。何かの気配を感じて振り返った紅蘭の目が凍り付いた。
「俺も、お前を初めて見た時に思った。美味そうだって」
前門も後門も、狼。逃げ場がない事は、解った。
そう、やっと解った。この船に乗っていたのは、五人ではない。
ここで、本物のギィなら「汝は人狼なりや?」と言うのかな。そんな事を考えながら。
紅蘭は最後の言葉を吐いた。
「そりゃ、相思相愛ってやつだね」
惑星探査船「アマテラス」は、間もなく太陽系にワープする。
エンジニアであるギィの記憶を読み取ったので、操縦に関しては特に問題はない。
地球人により識別された番号は、γ―〇〇八一―三五七八―K。「アマテラス」乗員により「鼠王国」と名付けられた惑星だが、そこに住む者にとっては「名前」など意味はない。
精神感応力、そして非常に優れた変身能力を持つ、小動物。地球人類に「かわいい」と呼ばれ「知的生命体」とみなされなかった、彼ら。
『ミッキー』及び『ミニー』と名付けられた動物は、今は人間の姿をしていた。
やや長い旅にになるが、幸い食料はたくさんある。母星に居たままでは、いずれ来る食料難の為に海に入るのもやむを得なかっただろうに。
はるか母星を離れた新天地に、さらなる栄華の夢を求めた彼らを乗せて。
アマテラスは、やがて地球に到達する。
―了―
この小説を書くにあたり、「キャラクターの口癖」や「特徴」をしっかりはっきり持っておかないと破綻するな、と、思いました。
だから、ある方々に了承を取り、イメージ的なモデルにさせて頂きました。
あくまでイメージですが、一部にその方々の名前も使わせて頂いております。
おかげで、キャラがすごく生きている作品が描けたと思っています。
ありがとうございました。