二層式洗濯機
実は、今も根強い愛好家がいるらしいですね、二層式洗濯機。
洗濯層と脱水層の、二層に分かれた構造で、
昔はもっぱら、勝手口付近やベランダなど屋外設置が一般的だった。
ちなみに「洗濯機」という言葉、
僕の妻は迷うことなく「せんたっき」と発音します。
正確にはこれ、「せんたくき」が正解。
ついでに僕の妻は「水族館」のことを、
堂々と「すいぞっかん」と言います。
正確には「すいぞくかん」。
例えば僕の妻は、
ねえねえ聞いてよ、今日長女が「がっこー」の遠足で動物園行ったら、「ぞー」に水かけられて「たいく」の服に着替えて帰って来た。濡れた服は今「せんたっき」で洗ってる。次の遠足は絶対「すいぞっかん」がいいわ。
などと、迷うことなくのたまう人間です。
フルスイングで間違いだらけです。
四番バッターばりのスイングで、ぶんぶん振ってます。
正確には、
ねえねえ聞いてよ、今日長女が「がっこう」の遠足で動物園行ったら、「ぞう」に水かけられて「たいいく」の服に着替えて帰って来た。濡れた服は今「せんたくき」で洗ってる。次の遠足は絶対「すいぞくかん」がいいわ。
です。
てか、こんな適正な発音で話されたら、それはそれで、ぜってー引くけどね。あはははは。
※ ※ ※ ※ ※
おっと、急激に話がそれましたな。
さて、二層式洗濯機で、先ず一番に思い出されれる事柄と言えば、
「脱水層で脱水が始まった時の音」だろう。
たん、たんたんたん……
がたんがたんがたんがたん……
どん! どん!
どっかん! どっかん!
「きょ、今日こそは壊れるっ!」
つって毎回心配になる。ははは。
あと、脱水層と言えば、内蓋ね。
な、懐かしっ! 内蓋っ!
忘れずに内蓋しないと、衣類がバーストしちゃうからね。
どうしたらこんなに複雑に絡まることが出来るのだろう、と感心するほど、
衣類がぐっちゃんぐっちゃんに絡まった状態で脱水完了しちゃうからね。
あと、内蓋は、親がちゃんと管理することね。
目を離すと子供がフリスビーごっこしちゃうからね。
瓦屋根に投げちゃうから、田んぼに投げちゃうから、あはは。
そうそう、洗濯層には、洗濯くずをすくう「クラゲのような網」があったな。
吸盤で本体に吸い付けて、洗濯灘の激流に飲まれることなく、ふわりふわりと。
あれは、風情があった。
渦の中央には、洗剤の泡が、まるで綿菓子のように、こんもりと盛り上がって揺れていた。
あれもあれで、風情があった。
そして、洗いからすすぎに入る時、母や当時の主婦たちは、
排水レバーを微調整して排水させながら、
それと同じ水量の水を、水道の蛇口を微調整して入水するという、
熟練の経験と勘が物を言う作業をしていた。
つっても、当然のことながら、目測でそんな神技が出来る主婦がいるはずもなく、
すすぎ作業中に、しばらく洗濯機から目を離せば、
洗濯層の水が無くなっているか、洗濯機から水が溢れているという、
二択の大惨事が待ち受けているわけである。
だから、当時の主婦たちには、洗濯がすすぎ作業になると、
「黙々と水面を見続ける」
という、
世にも不思議な時間があった。あはは。
※ ※ ※ ※ ※
いまだに根強い愛好家のいる二層式洗濯機のことを、こうして綴っていると、
「便利な家電」の定義とは、いったい何であろうかと、はたと考え込んでしまう。
小学生でも分かることであるが、「新しい」と「便利」は同義語ではない。
したがって、昨今の家電業界が当たり前のように謳い、ユーザーを誘う、
「新しいから便利」であるとう理論は、かなり無理のある、素っ頓狂な理屈である。
また「古い」と「不便」も、同じく。
「古いから不便」なんて理論は、落ち着いて考えれば、正気の沙汰ではない。
並びに「多機能」と「便利」も同義語ではない。
実際、巷では「多機能故に不便」というユーザーの声が、溢れかえっていたりする。
古来から人は、焚火の炎や川の流れの水面を見つめながら、
心を静め、疲れを癒し、集中力を高めて来たという。
そう思えば、当時の主婦たちが、二層式洗濯機の水面を見つめ続けたあの時間、
一見して、無駄な、不便な、あのすすぎの時間でさえ、
あれはあれで、とても理に適った時間であったのではないかと、
今だ洗濯のひとつもマトモに出来ない自分を棚に上げつつ、
そこはかとなく思ったりするのだけれど。