Y05 平常運転の女神様
「ふぅ〜」
俺はため息を吐く。
自覚しつつ、既に何度目かのため息吐いている。
軽く目頭を揉み、ふと視線を室内に向ける。
周囲は陳列された傷んだ木製の書庫棚と色の褪せた床に乱雑に置かれた書類の束。
見渡す限りの紙、紙、紙である。
そして事務処理を待ちかねている書類の山が、窓辺のデスクで大いに主張していた。
そのデスクの主人は俺に馴染みある格好で、黙々と作業していた。
俺はデスクの脇に座り、主人の書類に目を通している。
主人の処理速度を上げるために優先度、項目系統別に書類を並び替えるだけでも効率アップするからだ。
そして、俺が本気でサポートに徹すれば、この量ならば余裕で終わる。
しかし、俺のやる気は皆無で、ひどくうんざりしていた。
その原因はこの場所にある。
ここは天命館、第2課書庫…………つまりーーーー。
「ふぅ、俺は確かに会えますか? とは言いましたが、俺から会いに行くとは言いませんでしたよ? しかも翌日に……無理矢理呼び出されるとは思いませんでした。どうなんですかね〜、あんなに感動的な別れだったのにな〜。これはもう、やり直しも兼ねて、仕事終わったら、またあの格好していただくしかないですかね〜。あ、でもあのえちえちは見られないのか……ふむ、次は水着バニーでも来ていただくか〜な〜」
と、主人に聞こえるように愚痴っていた。
まあ、俺は拗ねていたのだ。
というのも、ミルキー様(心の中で勝手に愛称で呼んでいる)と別れ、あの後一昼夜かけて無事、忘却の世界から抜け出した俺は、草木の香る、草原へと移動していた。
せっかく、ミルキー様に修復してもらったスーツ服も再び砂埃まみれになっていたが、今はいい。
それよりも目の前の光景に俺の胸は高鳴っていた。
小鳥の鳴き声とそれを喰らう赤い怪鳥。
遠くのバッファローじみた獣の集団。
瑞々しい草木の奥にウサギもどきの巣穴が散見出来る。
そして、全身で感動した俺はこの素晴らしき異世界でこれからめくるめくファンタジーを堪能するのだ。
いや、しなければならない。
そして、俺は駆け出そうとした矢先、突如足元に魔法陣が出現したのだ。
「な、なにぃーーーー!!」
その魔法陣は底なし沼のようで、足をとられた俺は膝、腰、胸とズブズブと地面に呑まれていく。
草枝にしがみ付き、なんとか足掻くも、なす術もなく頭まで沈み込んだ俺。
ブラックアウト。
そして俺が次に目にしたのは、書類の海で溺れていた俺の(担当の)女神様だった。
ミルキー様の説明で、俺の頭が混乱しつつも仕事が大変な状況であることをを理解する。
どうするべきか決めかねていると、そっと俺の裾を掴み、涙ぐむミルキー様を俺はどうしても放ってはおけず、なし崩し的に手伝うことになった。
しかし、仕事を初めて5時間経つと流石に頭が冷静になってくるモノである。
俺は一体何をやっているのかと。
まあ、正直言って、こんな仕事を助けることでミルキー様に恩が返せるのなら本当は問題ないのだが、それはそれとしてお楽しみのお預けくらった俺自身の感情として納得できないところがある。
だから、こうやって仕事の目処が立った頃を見計らって、ミルキー様に愚痴っていたのだった。
以上、QED.証明終了とする。
「QEDって、なんですかそれは。あと、人をコスプレ女神のように言わないでくださいっ!! あと、呼び出したことは、本当にすみませんですっ!!」
「はい、素直でよろしいです。ですが、ミルキーウェイ様、私を呼ぶのは若干反則じみてません?」
俺は特殊ではあるが、ミルキー様が担当する一介の転生者でしかない。
そんな人間を特別扱いしてはここ天命館内部どころか、各方面に色々問題があるのではと思うのだが。
「うぅ〜、そこに関しては本当に弁明の余地もないです。ですが、他に頼る人がいなくて……こんなに仕事を回されたのも初めてのことでして……」
そう、申し訳なさそうに告げるミルキー様だが、俺は少し違うことを考えていた。
ふむ、…………もしかしたら、逆に俺が来たことでこの天命館内部でも何かしらの変化が起きているのかもしれない。
となれば、下手に動かず。
今は流れに身を委ねるのが吉かもしれない。
「サトーさん?」
「ん? はい?」
「いえ、何か黙り込んでいたのでもしかして怒らせたのかな〜、と」
「いえいえ、…………ではなく、そうですね、ちょっと怒っているかもしれません」
「えぇ!? ど、どうすれば」
「ですのでこの怒りを鎮めるためにミルキーウェイ様とお茶がしたいのですがよろしいですか?」
「は、はい」
「では、一緒に準備をいたしましょう。あと茶請け話として私を召喚した方法とかを教えてください」
「わかりました」
休憩を兼ねて俺は準備を進める。
このままだと仕事が終わるまでノンストップしそうなミルキー様なので仕事の調整にはいい塩梅である。
俺はミルキー様に淹れ方を教えてもらいながら、茶席を用意する。
実際お茶を淹れたのはミルキー様だが、新しいことを教わるのはいくつになっても楽しいものである。
そして、準備が完了した。
俺は席に座る。
「それでは始めましょうか、本日は一押し農園直送の初摘みを淹れされてもらいました」
「……うん、美味しいです。俺は詳しいわけではないですが、これは俺でも美味しい茶葉だってわかります」
「それは良かったです。今日は手順を省かず時間をかけて淹れましたので自信があったのですよ」
とミルキー様は主張ぎみな胸を張って嬉しそうに話す。
そして、そのまま俺たちは雑談を交えながら楽しい会話を始めたのだった。
しばしの歓談。
苦労話と愚痴がメインにはなってしまったが、それでも楽しい話だった。
そして、本題に入る。
「それではサトーさんがどうやって召喚されたのか教えます。サトーさんがヒューマンゴーストであることは説明しましたね」
「ええ、おかげでゴーストスキルを使えることも教えていただきました」
俺は、右腕に闇のエネルギーを溜める。
いや、厨二病になったわけではない、本当に闇のエネルギーを溜めているのだ。
そして、そのエネルギーをうまく制御して使用すると俺の右腕が透けていく。
スキルを発動させたのだ。
俺がミルキー様から教えていただいたゴーストスキル能力は憑依と透過である。
中級種に昇格再臨すれば、中級基本スキルとして、念動力とドレインが使用できるらしい。
聞いた話だと、中級スキルは攻撃手段にもなりそうなので、正直取得したいが、レベル1放置プレイ(誤字にあらず)はちょっと厳しい。
では、ヒューマンスキルはどうなのかというと、俺の職業はヒューマンゴーストという種族から変わっておらず、ハッキリ言ってエラー状態である。
恐らく職業の形としては歪なようで、厳密な職業としては無職になるらしい。
この説明だと職業と種族混同しているように思うだろうが、俺の場合は本当に混同状態なのである。
人間たちは種族と職業がほぼ別れるが、魔物は明確な区分がない。
ほとんどの魔物に職業はなく、その存在自体が種族であり職業である。
稀に知性を持つ魔物が職業条件を満たし、何らかの祝福を経て職業を持つ場合があるが、それは本当にレアケースだ。
どうやら俺は魔物でもあるわけで、その影響を受けているらしい。
だから、俺が人間として会得できるスキルとして、職業スキルはもらえず、無職でも可能なスキルのみであり、かつ誰かから教わる形でないといけないらしい。
うん、すごく面倒だ。
どうせ、この問題が解決しないと冒険者にはなれないのだし、気楽に過ごしていこうと思う。
現状、スキルはゴースト基本スキルの憑依と透過のみ。
だが、俺はゴーストの恩恵で、腹も空かないし、眠気もない。
夜は遠くまで目がきくし、完全透明化して気配も遮断できる。
あ、俺が装着した物も透過するので、某映画みたいに、産まれたままの姿にはならないので事案発生にはならないのである。
さて、話がそれたが、俺の召喚の話だ。
異世界にいた俺がミルキー様に簡単に召喚されたのは、俺がゴースト属性を持っていることに起因する。
異世界に送り出した人間ひとりを召喚で呼び出すのは膨大な力を要し手続きも難しくなるが、俺はゴースト。
つまり、使い魔扱いとして、召喚すれば、消費魔力も手続きも簡単に済むらしい。
一回こっきりのインスタント召喚なら、なおコスパ良しとのこと。
言い方悪いが俺のタグ付けも、ミルキー様ならば容易で、異世界のどこにいても俺を探して直ぐにピンポイント召喚できる。
「……ん? なんか、こう。俺の扱い悪くなってません? お手軽男、3分でポン……みたいな?」
「そ、そんなことないです、むしろ自分のことながらよくこんな悪知恵が働くものだとびっくりしているところです。決してサトーさんを軽視してませんから!」
「それは、十分伝わっていますので大丈夫ですよ。ですので咄嗟に言い淀んだことは見逃しましょう。ダージリン党の女神様」
「う、教えていないのになんでわかるのですか……。もう、いい加減好きなモノ教えてください」
「そのうち教えますよ。それはそれとして茶請けのおかわりを所望いたします」
のらりくらりと答えつつ、適度にお茶を楽しむ。
そして、話にひと段落がつきそうな頃、ふと俺は気づく。
「む? ミルキーウェイ様、ひとつ質問です。私の召喚って何も特別なわけじゃないんですよね?」
「? はい、手順と準備を踏まえて、サトーさんを呼べるほどの能力の持ち主ならば誰でも可能ですよ」
「ってことは、俺はこれから召喚されまくる未来もあるわけですかね…………ハハハまさか…………ね」
うん、俺が告げた瞬間から、ミルキー様の顔がかなり青ざめているのはきっと気のせいだろう。
気のせいだよね?
「サトーさん…………」
「はい、何ですか?」
「私がサトーさんを召喚したことで、サトーさんは召喚可能な存在として異世界に記録されてしまいました。そのため条件さえ合えば、どんなところにも召喚される可能性がなきにしもあらずでして……ご、ごめんなさい。私ってば軽はずみなことを!!」
マジかーーーーーーーーーーーーーー!!!
と激しい動揺を一瞬で封印し、心の中で叫ぶ。
口に出して叫ぶとミルキー様が更に落ち込むからな。
…………………………………………OK、OK、大丈夫。
異世界冒険にちょっと致命的なスパイスが効いただけだ、死にはしない。
今は目の前のミルキー様だけに全力をつくそう。
女神様に悲しみは似合わない。
「はぁ〜、まあ良いです。その代わり条件があります」
「えぐっ、なんでしょう?」
「また、私を呼んで一緒にお茶をしてください。あ、あと水着バニーはいつか着て見せてください。これは絶対ですので忘れずにお願いします」
「え、…………それでいいのですか?」
「はい、むしろ、それが良いのです」
「…………もう、本当にサトーさんなんですね………………ありがとうございます」
「さて、そろそろお開きにして、残りを片付けますかね。泣き虫な女神様」
「ふふ、はい、お願いしますね。優しいサトーさん」
そう言って互いに微笑み、こたびの茶会は実に有意義なものになったのであった。
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